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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.12.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
先日、“強い心とは決断できる心のことだ”ということを書きました。

自分を見失わなければ、付和雷同的に行動したり、誘惑に負けたりすることもないでしょう。自分の人生を自分自身の生き方としてしっかりと生きることも出来るでしょう。

でも、この“自分を見失わない心”を子どもに求めることはできません。
それは、思春期前の子どもたちはこの“自分”がまだ出来上がっていないからです。
出来上がっていないのもを見失わないようにすることはできないのです。
思春期前の子どもたちはこの“自分”を作っている時期なのです。

私が何を言っているかお分かりになりますか。
このような意識の変化はなかなか言葉で伝えることが難しいのですが、でも、そのことは簡単なテストで確認することが出来ます。


語ることが出来ないはずです。
“ぼくは○○だ”ということは言うかも知れません。でも、その多く年齢や性別などといった属性や、大人や他の人からの評価をそのまま言っているだけです。
子どもは、他の人からの評価で自分に関するイメージを作っているのです。

だから、自分自身の意識で自分について語ることが出来ないのです。そして、それ故に自分との対話も出来ません。 子どもは自分と対話することが出来ないのです。 だから子どもに“良心”を期待しても無理です。子どもはすぐに欲望に負けてしまうのです。というより、欲望と戦う“強い自分”がまだ生まれていないのです。(子どもの作文や表現を見るとこういうことはすぐ分かります。10才頃から“自分”が目覚め始めます。)

でも、実はこのような状態の大人もいっぱいいます。
そういう人は他人からの評価をそのまま自分の姿だと思いこんでしまっているのです。
ワークなどで“自分の短所”について語ってもらうことがあるのですが、“どうしてそう思うのですか”と聞くと、“小さい時からそう言われてきたから”と答える人が多いのです。

例えば、“私の短所はグズでノロマなところです”という人がいたとします。
でも、これは明らかに他人からの評価を基準にしています。だって、そうじゃないと自分がグズでノロマであることなんて気付くことが出来ないはずだからです。
生まれた時から、一度も“お前はグズでノロマだ”と言われたことがなければ、自分がグズでノロマだなんて思いもしないのです。 そうではありませんか。


そういう人の心は、自分の心でありながら自分のものではなくなってしまっているのです。
だから、不安になって色々と情報に振り回されてしまったりするのです。

そして、ワークなどでお母さん達の話を聞いていると、どうもしっかりと自分の心を持っている人が少ないようなのです。だから、意見を求めてもどこかで誰かがいっているような言葉しか出てこないのです。自分の言葉で語ることが出来ないのです。

“自分”というものをしっかりと持っている人は何かあった時、その“自分”と相談して物事を決めることが出来ます。また、何かを考える時にもその“自分”は相談相手になってくれます。
ですから、そのような相談相手を持っている人は深く考えること出来ます。


そして、その“自分”が揺るがなければ他人に振り回されることはないのです。
自分にとっての最終的な味方がその心の中の自分なんです。

では、その“自分”をどのように育てたらいいのかということを明日書いてみます。(多分)

この“自分”は、時間と空間を超越しています。宇宙とつながっているのです。






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Last updated  2007.12.26 18:30:41
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