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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.01.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最初に、明日明後日と三重なので、ブログの更新は出来ません。


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人間は他の生物に比べて非常に不完全な状態で生まれてきます。
犬や猫の赤ちゃんは、生まれてすぐにでも自分から動いてオッパイに吸い付くことができますが、人間の赤ちゃんはお母さんがオッパイをあげない限りオッパイを飲むことが出来ません。
つまり、それだけ母親の世話を必要とする生き物だということです。

そして、人間はあらゆる生き物の中で大人になるまでに一番長く時間がかかる生き物です。脳神経の成長は21才頃まで続くといわれています。
それは、大人になるまでに身につけるべき“人間らしさ”というものがどれだけ複雑なものなのかということを物語っています。
そして、人間らしさというものが生まれつきのものではなく、生まれてから学んで身につけていくものだということでもあります。

そのからだの成長には順序と時期が決まっていてそれを人為的に操作して変えることはできません。

寝たきりの赤ちゃんは次に寝返りを打ち始めます。そして、お座りするようになり、手を使うことが上手になり、やがてその手の助けを借りて移動するようになります。

この順序は変えられないのです。
それに、この作業にかけることが出来る時間もおおよそ決まっています。
そのため、この時期にこの学びが完了していなくても、からだの成長は自動的に次の段階に移っていってしまうのです。成長は待ってはくれないのです。それはまるでオートメーション工場のようです。

次の工程に送られた成長は、それまでの成長状態に合わせた形で調整されます。手を使うことを学ぶことが出来ないまま次の工程に送られてしまえば、手を使わなくても済むように成長を調整されます。考えることを学ぶことが出来ないまま次工程に送られてしまえば、考えなくても済むように次の段階の成長が調整されます。

ある一定時期にその学びがない時には、この個体にはそういうものが必要がないものとして処理されてしまうのです。

汗をいっぱいかく状況で育てられているなら、汗をいっぱいかくことが楽に出来るように次の成長が整えられていくのです。

真っ暗闇で育てられてしまえば目の働きが機能しないままになってしまいます。
そして、目が見えなくても何とかなるように他の機能が調整されていきます。

歩くことが出来ない状況で育てられてしまうと、歩くという機能を必要としないように次の成長が整えられてしまいます。それはつまり、歩けなくなってしまうということです。



つまり、成長は論理的な不整合がないように次の段階に進んでいくのです。
指を使うことを学ぶことが出来なければ、指を使わなければ成長しない部分は工程ラインからはずされます。チューナーがないのにスピーカーだけあっても無意味だからです。
生命の働きはできるだけ無駄を省こうとするのです。

だから後になってステレオを聴きたいと思ってチューナーやスピーカーを付けようとしてもそう簡単にはいかないのです。なぜなら、スピーカーを取り付ける必要がない構造として次の段階に進んでしまっているからです。

この成長の工程ラインを管理しているのは人間の生命の働きです。

何百万年、何億年という生命の歴史がその工程ラインを管理しているのです。
そこには個人的な趣味、興味、人情、優しさ、思いやりなど入り込む余地はありません。非常に厳格でシビアーな管理者なんです。

そこで大切にされているのは「ヒトの遺伝子」であって、「○○さん」という個人ではないのです。
だからちゃんと遺伝子を次世代に受け継ぐことが出来ないような個体は時に廃棄処理されてしまうのです。

その管理者の前では、“もうちょっと待って”とか“失敗した、やり直させて”などということは一切通用しないのです。
なぜならそれは時間を戻すことを意味するからです。そんなことは誰にも出来ないのです。

成長とはそういうシビアーなものだということをしっかりと認識しておいた方がいいと思います。
時々、“子育てに失敗しました、やり直せないでしょうか”などということを聞いてくる人がいますが、そんなこと神様にだって出来ないのです。

でも、人間にも出来ることがあります。
それは過去の偏りをこれから成長していく能力、自分の意志で育てることが出来る能力を使って調整していくことです。

つまり、チューナーやスピーカーを取り付けることができない構造になってしまったとしても外付けという形ならそれが可能だということです。内蔵はできなくても、外付けでも音楽を聴くことはできるのです。ただし、内蔵と同じ機能を持たせることはできません。それはしょうがないことです。

大人になって学んだ英語は外付けの言葉です。生まれた時から母国語として慣れ親しんだ人の言葉とは同じにはならないのです。

でも、それなりに何とかなってしまうのです。
それが人間のすごいところです。

でも、様々な機能を内蔵するのは大人が意識して子どもと関わることで可能ですが、外付けは自分の力でやらなければなりません。
本人の自覚と努力がないと新しい能力を育てることは出来ないのです。

また、内蔵された能力でもちゃんと使っていないと、“必要のないもの”として倉庫送りになるか時には廃棄処理されてしまいます。

宇宙飛行士はたった数週間無重力状態で生活していただけで筋肉はやせ細り、地上に戻ってきた時立って歩けなくなってしまうのです。

生命は無駄なものはすぐに捨ててしまうのです。

でも、ちゃんと使っていればいつまでも使うことが出来るのも人間の能力の素晴らしさです。
だから、老人のような子どももいれば、子どものように若々しい老人もいるのです。

これが人間の素晴らしさでもあり、怖さでもあります。





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Last updated  2008.01.31 18:46:56
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