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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.02.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日は言葉というものは暗号であり、その暗号を解読するためには暗号キー(解読キー)が必要だということを書きました。

それは全ての生き物において共通のことで、だから異種間では言葉が通じないわけです。
オウムが人間の言葉を話せても、オウムと言葉で会話が出来るわけではありません。
オウムは人間の言葉の音を真似することは出来ても、その意味を解読する暗号キーを持っていないからです。
ちなみにここで“言葉”とは音声によるものばかりを指してはいません。種によっては匂いや超音波や色などが言葉として使われている場合もあります。

そして、人間以外の生き物たちは基本的に生まれた時から同じ種であれば同じ暗号キーを持っています。
暗号キーがもうすでにDNAに書き込まれているからです。
だから、教育など受けなくとも異個体間とのコミニケーションが可能になるわけです。

でも、人間以外でも高等な生き物になるほどその暗号キーに文化的な変化が生まれてきています。

それは高等な生き物になるほど生まれてからの学習がその暗号キーの形に大きく影響を与えるようになってくるからです。

そして人間はその極にいます。
人間の暗号キーはその大部分が生まれてからの学習によってその形が決まるようになっているのです。そして、この暗号キーをちゃんと作ることが出来ないと他者とのコミニケーションにトラブルを生じるようになります。

でも、そのかわり神様は育ちの環境に合わせて高度で複雑な暗号キーを創り出す能力を人間に与えてくれました。それはつまり、人間だけがDNAに書き込まれた暗号キーに縛られなくてもよくなったということです。ある意味で人間は神様から自由になったのです。

人間はこの能力のおかげで複雑な暗号キーを創り出し、ついには神様の暗号を読み解きたいと願う人たちがその神様の創造物である物質の世界の暗号を解読する暗号キーまで探り当ててしまいました。

そのおかげで、人間はそれまで自然の中に隠されていた暗号を次々と読み解くことができるようになりました。その新しい暗号キーの名前を科学と言います。
そして、人間は次々と新しい扉を開け、その中に隠されていた力を使うことが出来るようになりました。
でも、それは禁断のリンゴだったのです。

育ちの環境に合わせて自在に暗号キーを創り出すことが出来るということは、逆に言うと育ちの環境にトラブルがある場合は暗号キーがデタラメに作られてしまう危険性もあるということなのです。
すると、“科学が分からない”どころか、仲間とのコミニケーションすらとれなくなってしまう恐れもあります。
さらに、その状態がひどければ他の生き物たちよりも劣った状態になってしまう危険性すらあるのです。


物質の暗号を読み解く暗号キーだけは世界共通なのですが、人と人がコミニケーションする場合に必要になる暗号キーは人それぞれだからです。

それこそが禁断のリンゴの恐ろしい意味なんです。人間は禁断のリンゴを得て、大きな可能性を得ると同時に、また同時に自分自身を破滅させるかも知れない大きな危険性にさらされることになったのです。旧約聖書に書かれた「バベルの塔」の寓話は現実世界の話しなのです。

今まで人類は禁断のリンゴの素晴らしさばかりを称え、その力を使いまくってきました。でも、今どうも神様から“開けてはいけない”と言われていた最後の扉まで開けてしまったようなのです。
(これは昔話でも多く語られているパターンです。)

その扉の向こうには“鏡”がありました。


そして多くの人がその鏡に虚無と、醜い自分自身の姿を見ました。
それは自分たちの欲のためばかりに禁断のリンゴの力を使ってきた人間の姿です。

でも、そのことに気付き、その間違いを正そうと志す人はその醜い自分の姿を真っ正面から見つめようとします。すると、鏡はその人を受けいれ新しい世界へと導いてくれます。
実は鏡は新しい世界への入り口なのです。
この世界への入り口を開く暗号キーは方法ではなく、人間の魂そのものだったのです。

この鏡を通り抜けることが出来ればここからまた新しい物語が始まるのです。
でも、通り抜けることが出来なければ人類の物語はここで終わります。

自分の醜い姿を認めようとしないで鏡から目をそらす人たち、整形してごまかそうとする人たち、気に入らない鏡を壊そうとする人たち、鏡の前で言い訳する人たち、楽観論ばかりでごまかそうとする人たちは決して鏡の向こうの世界へ入ることは出来ません。鏡は新しい世界へのフィルターなのです。

どんなに科学が進んでも、その科学を使う人間の心が正常でなくなったら物語はそこで終わってしまうのです。

さて、この人類の物語の先はどのように展開するのでしょうか。このまま終わってしまうのでしょうか。

ちなみに、“子育て”という物語では“子ども”がその鏡の役割を果たしています。
その鏡が写し出すものを素直に受けいれることが出来る人は鏡の向こうの素晴らしい世界に入ることが出来ます。
でも、そうでない人はズーッと鏡に映る自分の醜さに怯えながら生きることになります。

言葉の話しからおかしな方へと話題が流れてしまいましたが、人間にとって言葉とはそれほど本質的な働きだと言うことです。神様と同じように人間は言葉で出来ているのですから。





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Last updated  2008.02.04 11:02:58
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