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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.05.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
みなさん、“大人の条件”なんて考えたことがありますか。

子どもを産み、育てることですか?
家族を守ることですか?
平和を守ることですか?

どれも部分的には正しいとは思いますが、でもこれが大人の条件だとすると本人の努力にかかわらず大人になることが出来ない人があまりに多くなってしまいます。
また、これが出来たからと言って“大人としての自覚”が生まれるわけでもありません。

私は、大人の条件を
「受け継ぎ 守り 育て 伝えること」だというように考えています。


全ての生物は生命を受け継ぎ、守り、また子孫に伝えてきました。この流れが途絶えてしまったらその種は絶滅してしまいます。そしてその役割を担っているのが“大人”です。
でも、最近の日本人はこれも難しくなっています。週刊誌の見だしなどを読んでいると、結婚したくない人、セックスが嫌いな人、子どもが嫌いな人、子育てが嫌いな人が急増しているような印象を受けるからです。実際に、虐待もまた増加しています。また、日本人男性の精子の数が世界レベルで極端に低いという報道もあります。

サルや象などは、「餌の取り方」、「餌の場所」、「なわばり」なども受け継ぎ、守り、子孫に伝えています。
子育てをする生き物では“育て”も入ってきます。育てないと死んでしまい、生命を後生に伝えることが出来ないからです。
また、人間の場合は文化や知識や技術や知性なども「受け継ぎ 守り 育て 伝えること」の対象になります。

こういう活動の主体になっているのが“大人”だということです。
ですから、結婚していてもいなくても、子どもがいてもいなくても、大人としての役割を果たすことは出来るわけです。
そして、その役割を果たす大人がいなくなってしまったらその種は退化するか絶滅します。

だとしたら、大人に求められる能力は
●受け継ぐ能力
●守る能力

●伝える能力
の四つだと言うことです。

でも、悲劇的なことに今の日本にはそのいずれの能力も子どもたちに伝える場がありません。
みんな“自分を守ること”に精一杯なのです。

これらの能力を支えているさらに基本的な能力は、

●聞く力
●理解する力
●覚える力
●考える力
●助け合う力
●伝える力
●工夫する力
●豊かな感情と感性
●手を使う能力、からだを使う能力

などです。

確かに、学校などでは似たような能力を子どもに求めています。でも、不思議なことにその能力を求めるばかりでその能力を育てるカリキュラムがないのです。

考える能力を育てることなしに、“考えろ”と考えることを要求しているのです。でも、考えるということは一つの技術ですから、その技術を学ぶことが出来ない子どもが考えることなど出来るわけがないのです。だから、手っ取り早く“暗記”という方法で対応する癖を付けてしまうのです。でも、子ども時代に暗記で勉強する癖が付いてしまうと、考える能力が身に付かなくなってしまうのです。

子ども時代は試行錯誤しながらそれらの能力を学ぶ時期であって、それを結果によって評価してはいけないのです。 評価をしてしまうと、子どもたちは手っ取り早く大人を満足させる方法を身につけてしまうのです。

それは例えば、自転車を知らない人たちに自転車で競争させるようなものです。自転車に乗ったこともない人たちですから、正しい乗り方など分かりません。それで、ちゃんと乗ろうと考え始める人もいるかも知れませんが、押して走り出す人も出るでしょう。すると、結果としては自転車に乗ろうと工夫する人より、押して走った人の方が早くゴールにたどり着けるのです。そして、早くゴールにたどり着いたものだけを褒めていたら、みんな自転車に乗らずに押して走る癖が付いてしまうでしょう。自転車とはそういうもんだと思いこんでしまうのです。

でも、そのうち出遅れながらも一生懸命に頑張って自転車の乗り方を学んできた人が走り出すと、ただ押して走っている人は追い抜かれ、追いつけなくなります。でも、そうなってしまうとそこからあらためて自転車の乗り方を学び直そうなどとは思わないのです。そんなことをしてしまったらさらに成績が下がってしまいますからね。そして、 “自分には能力がないからダメなんだ”と自分を納得させるのです。

また、 学校で子どもたちが学んでいるのは、学校という場の中だけでしか使えないことばかりです。 子どもはやがて大人になって社会に出ていって大人としての活動をしなければならないのに、学校という場の中だけでしか使い道のない知識、技術しか学ぶことができないのです。これは子どもたちにとっては悲劇です。

でも、社会の中で活動をしたことがない学校の先生にはその悲劇がよく分からないのです。そして、それを子どもの能力の問題に転換してしまいます。でも、学校の先生達の非社会性は多くの場所で語られていることです。先生達の常識は社会の常識ではないのです。だから、先生の常識を子どもたちに押しつけてはいけないのです。

(もちろん全部の先生がそうだというわけではありません。子どもが生き生きと社会に出ていくことが出来るような教育をしてくれている先生だっています。でも、悲しいことに少数です。)

これでは、日本の社会がおかしくなって当然です。むしろ、おかしくならない方が不思議です。





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Last updated  2008.05.01 07:14:50
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