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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.05.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
先日、本屋さんで色々と本を物色していたら、“鬱病は日本の国民病だ”というようなタイトルの本がありました。鬱病になってしまった編集者が書いた本のようです。

確かに、日本人は自己肯定観が低く、憂鬱的な気分が強い国民です。
それで、その裏返し(強がり)で、やたらと威張って見せる人もいるわけです。

日本の社会が権威主義というのもその現れです。自信がないから権威に寄りかかるのです。
学歴信仰、学力信仰も同じです。みんな寄りかかるものが欲しいのです。生涯雇用という考え方も同じです。自虐的と言って、まともな反省を避ける人も自信がない人たちです。自信がないから事実を直視出来ないのです。

また、お母さん達は自分の子どもをほめることが出来ません。家の中では褒めていても他の人に聞かれるような場では褒めたりしません。大抵は子どもの悪口を言って盛り上がります。でも、内心では子どもに申し訳ないと思っているのですが、でも、それを口に出してしまうと場が白けるので、みんなに合わせてしまうのです。

また、さらには子どもの長所が分からない人もいっぱいいます。そして、そういう人は自分の長所も分かりません。逆に言えば、自分の長所が分からないから子どもの長所も分からないのです。自分を肯定出来ない人が子どもを肯定出来るわけがないからです。

それでいて、みんな人目を気にして非常に真面目なんですから、これはもうみんな鬱病予備軍と呼んでもおかしくない状態です。

でも、日本人は昔からそうだったのかというとそうではないのではないのかと思うのです。それがいつからかと考えてみると、どうも明治になって多様性が否定され、価値観が統一され、政府が正解を押しつけるようになった辺りからではないかと思うのです。



自己肯定観の低さ、自信のなさは正解を基準に否定され続けてきた結果なのではないかと思うのです。多様性が肯定されていた時代には、人は正解によって評価されることはありませんでした。どれだけ人のために仕事が出来るかどうかで評価されたのです。そこには正解はありません。だから、自己満足であろうと自分で自分を肯定出来たのです。

まあ、あまり過去ばかりを褒めてもしょうがないのでじゃあ自己肯定観の低い時代に生まれた私達がどうしたら自己肯定観を取り戻せるのかということを考えてみます。

そこで、自分を表現することや言葉を紡ぐことの非常に大きな意味が現れてくるのではないかと思うのです。

ということで続きます。





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Last updated  2008.05.19 18:41:05
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