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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2009.01.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
思考には「受動的思考」と「能動的思考」の二種類があります。座禅などで「無念無想になりなさい」と言われてもそう簡単に考えることを止めることは出来ません。

この受動的思考は子どもでも大人でも誰でもできます。なぜならこれが「心の働き」だからです。人は生きている限り心の働きが止まることはないのです。

でも、この思考と、問題を解決するための思考とは同じではありません。問題を解決するための思考は意識して集中しないと出来ないのです。つまり、考えようとしないと考えることが出来ないのです。それ故に「能動的思考」なのです。でも、考えようとするだけで考えることが出来るのかというとそんなことありません。

この「能動的思考」は一つの技術なので、その技術を学んでいない子がどんなに一生懸命に考えようとしても考えることは出来ません。それは英語を学んだことがない子が英語を話そうとするようなものです。英語を学んだことがない子は叩かれても、叱られても英語を話すことは出来ません。本人が話したいと思っても話すことは出来ません。

ちなみに「受動的思考」の方は日本語のようなもので、とくに教えなくても子どもは大人との関わりを通して自然と学んでしまいます。それに対して「能動的思考」は外国語のようなものなのでそのような場でちゃんと学ばないことには使えるようになりません。

大人は考えようとしない子を見て、「なんで考えないんだ」と叱ります。でも、叱っても決して考え始めることはありません。そのような時、子どもは「受動的思考」によって「叱られないようなごまかし方」を一生懸命に考え始めるばかりです。
こんな時は、叱るのではなく考える技術を伝える以外に子どもが考えるようになる道はないのです。

ただ難しいのは、考えることが出来ない子どもを見て単純に「なんで考えないんだ」と叱ることしかしない人はその「考える技術」が未熟な可能性が高いと言うことです。ですから、そのような人が子どもに「考える技術」を伝えるのは難しいかも知れません。英語を話すことが出来ない人は英語を教えることが出来ませんから。



<続きます>





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Last updated  2009.01.11 06:57:11
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