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すべて、お楽しみさ… かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.01.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は、子どもの頃「お習字」を習いに行っていました。(でも、全く才能がないので私は我が家で一番字が下手です。)

その時に言われたのが、静かな気持ちで墨を摩ること、姿勢を正しくすること、筆を正しく持つこと、心をこめること、手を抜かないこと、などなどです。

でも、先生にもよるみたいですが、今の学校のお習字ではあまりそのようなことは言わないようです。そもそも、自分で書いてみせることをしない先生も多いようです。

私が親しくして頂いている元小学校の先生に習字の名人がいます。その先生の話では、今、小学校の先生たちの多くが自分ではお習字が出来ないそうです。それで、自分で「お手本」を書くことが出来ないので、教材屋が持ってくる「お手本」を見せて、子どもに書かせているそうです。

当然、そのような先生が、習字の面白さ、奥深さ、文字の由来と意味、筆で字を書くことの意味などを伝えることが出来るわけがありません。そして、ただ単に見かけだけ似せた「上手な字」を書くように指導しているのでしょう。

その「習字名人」の先生は、今では定年退職なさっていますが、時々お習字をみんなに教える講座を開いてくれています。その場で話されることは、人間の文化や歴史の話であり、心とからだの話しでもあります。そしてそれこそが「文化を伝える」ということでもあるのです。

今の学校教育では知識や小手先の技術ばかりを教え込み、その知識や技術に伴う「心とからだの使い方」と「歴史の話」がすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。

そして、これは習字だけの問題ではありません。実は算数(数学)や国語や理科や社会などでも同じなのです。

皆さんは、大人になってから学校で習った算数や数学を使っていますか。特別な仕事に就いている人以外はほとんどの人が四則演算以上の算数を使っていないのではありませんか。



今、一番下は中二です。そろそろ数学が分らなくなってきたようで、私に聞いてきます。確かに、全然わかっていません。単純に答えが合えばいいと思っています。

私は、問題を繰り返し読むこと。頭だけで理解しようとするのではなく、絵や表や図を描いたりしてその問いの中に何が書かれているのかを理解すること、手を抜かないこと、きちんと整理して考えること、式は丁寧に書くことなどを伝えようとするのですが、学校では今までそういうことを聞いてこなかったようで、全く理解できないようです。

極端にいえば、基本的な考え方や、取り組み方が正しいのなら、答えなんか多少間違っていたっていいのです。今の時代、正解を知りたいだけなら電卓を使えばいいのです。そうではなく、数学を学ぶことの本当の意味は、客観的、論理的に考える考え方を学ぶことなのです。

だから将来数学を使う職業に就かない子にも数学を学ぶ意味があるのです。

こういうこともまた「文化」なのです。正解を導き出すための技術を教えるだけでは、「数学の進歩と共に育ってきた精神文化」が途絶えてしまうのです。

今、数学が苦手な子が増えています。特にみんな応用問題が苦手なようです。大人も同じです。それはつまり、今、客観的、論理的に考えることが苦手な人が増えているということでもあります。

そしてこれは、マスコミやデマ情報に騙されやすい人が増えているということであって、実は非常に危険なことでもあるのです。

(原発賛成を押し通すためのデマもあれば、原発反対を押し通すためのデマもあります。デマを基準に話をしても問題は解決しないのですが、客観的、論理的に考えることが出来ない人は「デマ」と「真実」を見分けることが出来ないのです。)

数学も含めてすべての学問は人類の大切な「文化」です。子育てや家事もまた「文化」です。そして、その文化はそれぞれの分野に固有の心とからだの使い方を必要とします。また歴史的な意味もあります。そのことを子どもたちに伝えていくことが「文化」を伝えるということなのです。

ただ単に、音楽や踊りを伝えることが「文化を伝える」ということではありません。逆にいえば、音楽や踊りを単に「技術」」として伝えているだけなら「文化」は途絶えてしまうのです。つまり、歌や踊りや学問や家事や歩き方といった目に見える技術や形の背景にあるのが「文化」であって、「文化」そのものは精神的なものであって、目には見えないということです。

ですから、欧米の人が、ただ単純に「箸の使い方」を学んだだけでは「文化」を受け継いだことにはならないのです。また、さまざまな芸能などを「映像」として残しても「文化」を残したことにはならないのです。



ちなみに 「育つ」ということは「量が増える」ということではありません。「質が向上する」ということです。 そして、質が向上するためには「文化」が必要なのです。それは日本だけでなく、世界中で同じです。

「子どもが育つ」ということは、単に背が伸び、体重が増えることではありません。人間としての質が向上することです。

それは例えば、十の知識を百にすることではなく、その十の知識の意味を知り、使いこなせるようにすることです。だからこそ知識を百に増やすことにも意味があるのです。

日本人は、歩き方から箸の上げ下ろしに至るまで、心とからだの使い方とつなげて伝えてきました。ただ「技術」を伝えていたのではなく、その技術と共に「日本の文化」が伝えられていたのです。



日本人は今でも箸は使いますが、でも今ではそういうものは単なる技術の問題になってしまっています。それはもう「文化」ではないのです。





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Last updated  2012.01.13 20:53:10
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