森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

すべて、お楽しみさ… New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2012.05.15
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
最初にちょっと事務連絡です。


***************************

ブログという媒体で伝えることが出来るのはどこまで行っても「頭での理解」だけです。

そして現代人は「頭での理解」だけしか求めていません。子育てや教育の現場でも、大人たちは一生懸命に頭で理解させようとするばかりです。

でも、「頭での理解」は「絵に描いた餅」と同じようなものです。見ることは出来ても食べることは出来ないのです。

それは、象の絵や写真やビデオを見て、「象」というものを理解したつもりになっているのと同じです。

「真実」というものは決して言葉化出来ないし、映像化することも出来ないのです。「真実」を知っている人は、言葉や映像の中にも「真実」を感じることが出来ますが、「真実」を知らない人はどんな言葉を聞いても、どんな映像を見ても「真実」に気づくことはないのです。

日本語を知っている人は、テレビなどで色々な国の言葉が流れている中で「日本語」だけを抽出して聞き取り、理解することが出来ます。



そのようなことです。

童謡「浦島太郎」の中では竜宮城の様子を「絵にも描けない美しさ」と表現しましたが、言葉で表現することが出来るのはこれが限度です。

般若心経の「色即是空 空即是色」も同じです。

実際に竜宮城を見た人は、「絵にも描けない美しさ」という表現を聞いて、「そうそう そうなんだよな」と共感しますが、見たことがない人にはこの表現は全く無意味です。

そして、「言葉」や「頭の理解」と「真実」をつなぐものとして、昨日書いた「身体感覚」や「芸術的感性」というものが存在しているのです。

当然のことながら、ブログという媒体では、私は言葉でしか表現することが出来ません。そこにあるのはどこまで行っても「頭での理解」だけです。

でもそれはゴールではなく、入り口なのです。

言葉は「地図」であり「ガイドブック」です。現地の様子がどんなに詳細に書いてあっても、そこは現地ではないのです。

ガイドブックを読んだだけで満足してしまう人は永久に現地にたどり着くことは出来ないのです。

でも、実際にはそのような人がいっぱいいます。そのような人は、「自転車の乗り方」という本を読み、理解し、暗記しただけで、「もう自分は簡単に自転車に乗ることが出来る」と思い込んでしまいます。

シュタイナー教育でも、宗教でも、その他色々な分野にもそのような人はいっぱいいます。


テレビで「トンカチの使い方」、「ノコギリの使い方」などを見ただけなのに、平気で「僕はトンカチもノコギリも使えるんだ」というようなことを言う子がいっぱいいるのです。

身体感覚や芸術的な感性を大切にしていない社会に生きていると、「頭での理解は単なるガイドブックに過ぎないのだ」ということが分からなくなってしまうのです。

そのガイドブックに書いてある世界を、自分自身の身体感覚と芸術的感性で確認し、さらに「絵には描けない美しさ」を実際に確認するためには、頭で理解した後、その理解したことを忘れる必要があるのです。

頭で理解することは非常に大切です。でも、理解したら忘れないと、さらに先には進むことが出来ないのです。

そしてその作業は、自分一人でやるしかありません。私は「理解する手助け」をすることは出来るのですが、「忘れる(身体化する)手助け」は出来ないのです。



でも、忘れないことには頭の理解が身体化していかないのです。そして身体化しない知識や理解はその人の心とからだを束縛します。

(シュタイナー教育ではこの「忘れる」ということを大切にしているのに、シュタイナー教育を学んでいる大人たちはただ一生懸命に理解し、覚えようとするだけで、忘れようとはしません。そのため、シュタイナーの言葉が身体化せず、学問化してしまっているような気がします)

私は今は古武道の道場に通っています。そこでは毎回自分の未熟さを実感し、「どうしたらいいのか」ということを真剣に考えます。

考え続けていると「答え」は見えてくるものです。でも、次の時その答えを実践しようとすると、全く通じません。

それは答えが間違っていたからではなく、答えにこだわってしまっているからなのです。

「相手がこうきたら こう返せばいいんだ」ということが分かっても、またそれが事実であっても、それを意識してしまったら技としては通じなくなってしまうのです。

頭での理解を忘れて身体化しないことには技としては使えないのです。でも、そのためにはまず理解する必要があるのです。

それはまた、「考えろ 考えろ」と言っておいて、考えることが出来るようになったら「考えるな 考えるな」と言うようなものです。

ここには現代人には理解できない矛盾があるのですが、でも、真実に近づくためにはこの矛盾が必要なのです。

「頭での理解」は入口に過ぎないのです。でも、入り口を通らないことには中に入ることが出来ません。でも、入り口に留まってしまったら、「中」を体験することが出来ません。「中」を体験するためには入口から離れなければいけないのです。

現代人は入口にしがみついているだけなので、そこから先にもっと素晴らしい世界があることを知りません。

私はまだまだ未熟で、「頭での理解」をなかなか身体化出来ない状態なので、逆にそのことがよく分かるのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.05.15 09:27:53
コメント(9) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: