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すべて、お楽しみさ… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.10.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類
自然や人間は思い通りに動いてはくれません。また、思い通りに動かないからと言って拒否することも出来ません。

ですから、自然や人間と関わっていると、おのずと相手に合わせる技術を学びます。

ただ、この時大切なのは「自分を失わずに相手に合わせる」ということです。自分を失ってしまったのでは奴隷と同じです。あくまでも「自分の意思」で合わせるのです。

これは武術などでも同じで、ただ相手に合わせているだけだったら、相手の思うように扱われて、簡単にやられてしまいます。

だからといって、相手に逆らっているだけだと、力と力の勝負になり、自分より力が強い相手には敵いません。

じゃあ、どうしたらいいのかというと「相手の特性」を理解するのです。そして、その特性を利用するのです。

そのように対応することで始めて「先手」を取ることが出来るのです。私が言っている「合わせる」という言葉の意味はそのようなものです。

相手の「要求」に合わせるのではなく、相手の「特性」に合わせるのです。

だからこそ、農業などでも、良い品質のものをいっぱい作ることが出来るのです。



コマ回しでも、子どもは最初回すことが出来ません。ですから、色々と工夫します。その色々と工夫する過程で子どもは「コマの特性」を理解していきます。

だから、その特性を使ってコマを回すことが出来るようになるのです。

お茶や武術の型を学ぶ時も、ただ言われた通りに動くのではなく、その「型の特性」を理解しながら動くのです。

だから、崩すことも出来るようになるのです。「型」は大切ですが、「型」に囚われていたら、型を学ぶ意味がなくなってしまうのです。

絵画におけるデッサンでも同じです。デッサンにも「型」があるのですが、それにこだわっていたら芸術にはならないのです。かといって、「型」を学ばなければいつまで経っても幼稚園児の絵のままです。

「型」を学び、「型」を忘れるから、素晴らしい芸術になるのです。でも、そのためには「型の特性」を理解する必要があるのです。「型」を学ぶのは「型の特性」を学ぶためであって、「型」そのものを覚えるためのものではありません。

そして、この「特性」は体験を通して学ぶしかありません。

なぜなら、子どもの特性も、コマの特性も、武術の型の特性も、絵画のデッサンの特性も、自分の感覚やからだを通して理解しないことには、自分の感覚やからだをそれらの特性に合わせることが出来ないからです。

本やテレビで見た知識では合わせることが出来ないのです。だから、「ノコギリの使い方」をテレビで見ても、実際には使うことが出来ないのです。

でも、現代人は大人も子どももそのことが分からなくなってしまっています。

昔の子どものおもちゃや遊びには、このような意味での「合わせる」という要素がいっぱい入っていました。「ごっこ遊び」も特性を理解するための遊びです。「お母さんの特性」を理解していなければ、「お母さんごっこ」で遊ぶことは出来ないのです。



ただ、多少の熟練は必要なように工夫されているため、子どもはそこで夢中になるのです。

でも、機械相手に学んだ「合わせる能力」は、機械にしか通用しないのです。自然や人間や子どもには通用しないのです。





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Last updated  2012.10.09 08:01:13
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