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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2022.01.02
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「冷暖自知」という言葉があります。

goo辞書には以下のように説明されています。

冷たいか暖かいかは、飲んだ自分しか分からない意から。仏教のことばで、禅宗では、悟りは人から教えられて理解できるものではなく、本人が悟らなければ理解できないとされる。「冷(れい)暖(だん)自(おのずから)知(しる)」と読み下す。

本来、この言葉は仏教用語のようですが、でも、日常的な体験を伝えようとする場合にも同じことが起きています。

子どもが熱いやかんに触ろうとすると、お母さんは慌てて「熱いからダメよ」とか「火傷するよ」などと言って止めますが、子どもにはお母さんが言っている言葉の意味が分かりません。

高いところに登っている時も、お母さんは「危ないから止めなさい」といいますが、落ちて痛い思いをしたことがない子は「だいじょうぶ だいじょうぶ ぼくはおちないから」などと根拠のないことを平気で言います。

以前教室に来ていた子で、「戦争に行って鉄砲で人を撃ってみたい」と言う子がいたので、「自分の方が撃たれて死んでしまうかも知れないんだよ」と言ったら、「僕は大丈夫」と答えました。

私自身、子どもの頃は親に色々な要求を言ったり、文句ばかり言っていたのに、自分が親になってみて始めて、親の気持ちが分かりました。「苦労をかけたんだな」ということも分かるようになりました。

これもまた「冷暖自知」です。

実は、「本来の学び」や「人を育てる学び」というものは、全て「冷暖自知」の原理で成り立っているのです。

やってみて、実際に体験する事で学びが成り立つのです。特に、思春期前の子どもには冷暖自知的な学びが絶対的に必要なんです。それが「からだでの学び」ということです。


一つの目安としては10才以降です。

思春期頃になると、知識を自分の体験を通して理解する事が出来るようになるので、「知識による学び」を「体験による学び」とつなげることが出来るようになるからです。

抽象的な思考は具象的な体験や思考を土台として生まれるのです。


「命」という抽象的な概念は、身近な人や様々な生き物の生き死にに関わることで理解出来るようになるのです。

そのため、思春期前に、十分にその「体験による学び」をしてこなかった子は、思春期が来ても「知識をただ覚える」という学び方しか出来なくなってしまうのです。
「見て学ぶ」、「聞いて学ぶ」ということも出来ません。とにかく体験のない子は「見たこと」、「聞いたこと」を理解出来ないのですから。

そのため、暗記科目は何とかなりますが、自分の頭で考えないことには解くことが出来ないような応用問題や理科系の問題には歯が立たなくなります。

そのような子は、学校を卒業して会社に入っても「言われたこと」しか出来ません。「自由にやっていいよ」と言われると途方に暮れます。

それでも部下として使われているうちは何とかなりますが、部下をあてがわれて指導や教育をしなければならなくなった時に途方に暮れます。

子育ての場でも途方に暮れます。

会社を退職したあとや、会社に就職できなかった時も、途方に暮れます。

そして今、そういう人がいっぱいいます。





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Last updated  2022.01.02 09:51:18
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