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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2022.05.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最初に、参加者募集のお知らせです。

茅ヶ崎で毎月やっている気質の勉強会がまた4月から始まりました。1年間かけて、色々なワークをしながら、気質について学ぶ会です。
原則として、各月の第一土曜日にやっています。次回は6月4日(土)です。
会場はJR茅ヶ崎駅の近くの公共施設です。10:00~12:00で、参加費は2000円です。
ご興味のある方は「篠」までお問い合わせ下さい。

******************

現代人は自分のからだを大切にしません。からだと対話することもしません。からだを通して学ぶことを大切にしません。からだの不思議を知りません。「からだ」という恩寵も「からだ」という喜びもを知りません。

でも、学校でも家庭でも、「命を大切にしよう」とは言います。「命」を支えてくれている「からだ」は大切にしていないのに、「命を大切にしよう」とは言うのです。不思議なことです。

そんな現代人の考える「命」は非常に抽象的で観念的です。「命を大切にしよう」と言いながらそこには全く具体性がありません。ですから、子どもに「命ってなあに?」とか、「命ってどうやって大切にするの?」とか、「命はなんで大切なの?」などと聞かれてもまともに答えることが出来ません。

そもそも皆さんはご自分の命を大切になさっていますか。最近は、自己肯定感の低い人も多いですが、自分で自分を否定することは、自分の命を粗末にしていることにはなりませんか。

「命」は物と違って、触れることも、見ることも出来ません。科学的にその存在を証明することも出来ません。実際、「命は単なる化学現象に過ぎない」と主張する科学者もいます。そこにあるのは、「命」ではなく、「命のような現象」に過ぎないということです。竜巻は「命あるもの」のように動きますが、単なる物理現象であって「命あるもの」ではないですよね。
AIを搭載したロボットは人間のように反応しますが、「命あるもの」ではありませんよね。それと同じです。

じゃあ、「命」は本当に観念的なものなのかというとそれは違うのです。確かに、科学的にその存在を証明することは出来ませんが、からだの感覚を通して、リアルな感覚として感じることは出来るからです。

それは「音楽」と似ています。私たちは当たり前に「音楽」が存在していることを知っています。でも、そんな身近な存在でも、科学はその存在を証明できないのです。なぜなら、「音楽」を科学的に観察することが出来ないからです。

科学で観察できるのは「音」だけです。「音の変化」や「音の関係性」を観察することも出来ますが、そこに「音楽」はありません。「音楽」は人の心でしかその存在を確認することが出来ないものなのです。

「命」も同じです。「命」は人の「からだの感覚」を通してしか確認出来ないものなのです。子どもを抱きしめたときに「子どもの命」を感じますよね。自分のからだに意識を向けることで、それと同じ感覚を、自分自身の命に対しても感じることが出来るのです。

古来から日本人は「命」というものに対して非常に高い感受性を持っていました。それは、日本人が世界的に見ても非常に高い「からだに対する感受性」を持っていたからです。日本古来の宗教である神道の元々のご本尊は「命」そのものです。キリスト教の神様は「観念の象徴」のような存在ですが、日本人の神様は我々の「命」に宿っていたのです。

でも、「自分のからだと対話する能力」を失ってしまった現代人は、「命を感じる能力」も失ってしまいました。そして、「命」の源である「からだ」を、「頭の道具」として使うようになりました。その結果、「心」と「からだ」が分離し、「心」と「からだ」が不安定になり、不安が強くなりました。

じゃあ、どうやったらもう一度「からだの感覚」を取り戻し、「自分のからだ」と対話することが出来るようになるのか、ということですが、困った事に「自分との対話の方法」は教えることが出来ないのです。

ただ、教えることは出来ませんが自分で学ぶ方法はあります。その一つに、「ゆっくり動く」という方法があります。普通、人はいつも無意識にからだを動かしています。無意識に起き上がって、無意識に歩き、無意識に歯を磨き、無意識に話し、無意識に食事をしています。
 そして、そのような無意識状態でからだを動かしているときには、「心とからだの対話」はありません。からだの内部だけで処理が自己完結してしまっているからです。だからこそ、考え事をしながらでも自転車に乗ることが出来るわけです。人間以外の動物たちはみなその状態です。


ちなみに「ゆっくり」は「ゆったり」とか「ゆるむ」という言葉と繋がっている言葉のようです。ですから、「ゆっくり動く」ということは、単に「スローモーションで動く」ということではありません。「心の余裕を持って動く」ということです。

また、「からだ」を「頭の支配」から解放してあげないことには「ゆっくり」は出来ません。実は、「ゆっくり」を大切にするということは、「脳の中の世界」から出て、「自分のからだが置かれた現実の世界」に還ってくるということでもあるのです。

それはまた、自分自身を受け入れることであり、目の前の子どもを受け入れることであり、自分が置かれている現実を肯定することなんです。「ゆっくり」はそこからしか始まらないのです。

でも、最初は単に物理的にゆっくりと動くようにして見るだけでもいいです。退屈かも知れません。非効率かも知れません。「なんでこんなことしているんだろう」と悩むかも知れません。でも、それを続けていると、それまで見えなかったものが見えるようになってくるのです。「心」と「からだ」が繋がることで、「からだの感覚」も戻ってくるのです。すると、自分の命とか「子どもの命」も感じることが出来るようになるのです。





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Last updated  2022.05.11 06:44:56
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