森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2023.08.25
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「話し合い」とは、何らかの問題解決のために意見を交換することです。
結論を出す場合もありますが、結論が出なかったり、あえて結論を出さないこともあります。
相互の関係づくりに役立ちます。

「議論」とは言葉の論理を使ってどちらの考え方の方が正しいのかを決めるための戦いです。
ただしこの「正しい」に客観性はありません。「議論に勝った方の意見が正しい考え方として認められる」というだけのことです。そのため、勝った方の意見が本当に正しいかどうかは不明です。裁判で冤罪が起きるのはそのためです。

また議論では、言葉の論理に巧みな人の方が有利です。本当のことを言ってもそれを証明できなければ嘘だとして処理されることもあります。

この「話し合い」とか「議論」は、仕事の現場などでもよく行われています。
「話し合い」は学校でも使われています。
「話し合い」では「自分の気持ち」や「自分の考え」をお互いに伝え合うだけで、勝ち負けは競いません。だから、子どもにもできるし、子どもたち同士の関係づくりにも役に立ちます。


ただし、これには個人差が大きくて、「言葉の論理」の学びや、「客観性の育ち」が遅れている子は、中学生になっても議論が出来ません。大人でも出来ない人がほとんどです。日本の学校ではこういう能力を育てるような教育をしていないからです。

そのため、日本の政治家や商人は、外国の政治家や商人に簡単に言いくるめられます。インドでも、多くの日本人観光客が値段交渉が出来ずに、相手の言いなりのお金を払っています。

ただし、議論は一種の戦いであるがゆえにユーモアが絶対的に必要になります。ユーモアを伴わない議論は対立ばかりを生み出し、時には悲惨な結果につながります。
インドの値下げ交渉でもユーモアは絶対的に必要です。楽しく話を進めないとまけてくれませんから。私はインドでだいぶ鍛えられました。

議論が苦手な日本人は、このユーモアも苦手です。
ちなみに、この場合の「ユーモア」とは「おやじギャグ」のようなものではありません。「論理的な遊び」のようなものです。

日本では、単なる勝ち負けを競うような言い合いを「議論」だと勘違いしている人も多いですが、そこに「言葉の論理」や「客観性」や「ユーモア」がなければ、それは「議論」ではなく「罵り合い」に過ぎません。

あと、「話し合い」や「議論」のほかに「対話」というものがあります。
日本人は議論は苦手ですが、対話は得意です。
ただしこれは昔の日本人の話です。現代人は対話も苦手です。対話能力が育つような生活文化や生活環境が、社会の近代化と共に消えてしまったからです。

職人の世界は「見て学ぶ世界」です。丁寧に教えてはくれません。言葉で説明もしてくれません。だからといって見ているだけでは学べません。そこで対話が必要になるのです。


話し合いや議論では、必ず「言葉」を使いますが、「対話」では必ずしも「言葉」を必要としないのです。目と目、表情と表情、しぐさとしぐさだけでも「対話」は出来るのです。

草や木のような「人間ではない相手」とも、対話は出来ます。音や光とも対話が出来ます。産まれたばかりの赤ちゃんとも対話が出来ます。

言葉を使って対話する時も、「相手が言った言葉」だけを相手にするのではなく、口に出される以前の「心の中の言葉」にも耳を澄ませる必要があります。そうでないと「対話」は出来ないのです。

特に、言語能力が未熟な子どもと対話する時には、「心の中の言葉」にも耳を傾ける必要があります。でも、そういう対話が出来る人は少数です。

そして実は、この世界には、そんな「対話」という方法でしか入ることが出来ない世界がいっぱいあるのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.08.25 07:53:59
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: