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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2023.08.29
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間の最大の特徴は「自由」であることです。
でも、「自由」が存在するためには「不自由」が必要になるのです。

「善」が存在するためには「悪」が必要です。
「光」が存在するためには「闇」が必要です。
「下」が存在するためには「上」が必要です。
「中」が存在するためには「外」が必要です。
「自分」が存在するためには「他人」が必要です。

そうですよね。だから「自由」だけを求めて「不自由」を嫌い遠ざけていたら、困ったことに「自由」も消えてしまうのです。

問題は、その本人は「自由が失われたこと」に気付かないということです。何ら具体的な不自由があるわけではないからです。



最初のうちは、「やったー」と思い、色々と動き回ったりするかもしれませんが、邪魔するものがないということは、「自分の能力」を上達させる機会も、使う機会も、ハラハラドキドキする機会も存在しないということです。
自分の行為に意味も目的も持てないということです。
そして、同じ事ばかりを繰り返すようになります。「自分という檻」に閉じ込められてしまうからです。そしてその檻には出口がありません。

またそのため、成長も止まってしまいます。成長は「乗り越えるべきもの」が存在するからこそ必要になる現象だからです。
「重力」があるから、それに逆らって立ち上がり、歩くという能力が育つのです。
それが、本能的に「自由」を求める人間の特性なんです。


言葉が分からないと一人ぼっちになってしまって寂しいから、子どもは言葉を覚え、ほかの人とコミュニケーションを取ろうとするのです。

だから、大人は子どもに必要以上の自由を与えてはいけないのです。
人間は何もできない未熟な状態で生まれてくるからこそ、自分の成長によって自由を手に入れようとするようになるのです。


昔の子どもたちには、遊具など皆無のただの空き地や、路地裏や、野原や、山の中で遊んでいました。大人が作った遊具などなくても、そこにあるものをうまく使って遊びを作り出していました。

木や、石や、木の実や、葉っぱも立派な遊び道具だったのです。
水や風や光も遊び道具でした。「影ふみ」という遊びは光を使った遊びです。「影絵遊び」も光を使った遊びです。
重力も、地面も、からだも、遊び道具です。路地裏も、さらには大人も遊び道具でした。「大人に隠れて悪いことをする」というスリルはワクワクします。

「遊具」に慣れてしまった最近の子を、そういうものがない所に連れて行っても、遊びません。というか、遊べませんす。
最近の子は、「子どもを遊ばせてくれるもの」が何もないところで遊ぶ能力が育っていないからです。

大人たちは、安易に子どもに自由を与えることで、子どもが自分の力で自由を得る能力を育てる機会を奪ってしまったのです。子どもを「つながりという不自由」から切り離し、ゲームのように一人で自由に、簡単に遊べるおもちゃや遊具を与えるということはそういうことなんです。
さらに大人たちは、自分の力では乗り越えることが出来ない壁で子どもたちを取り囲んでいます。

そういう状態で育っている子どもたちが無力感を感じ、自己肯定感を育てることが出来ないのは当然のことです。





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Last updated  2023.08.29 13:24:33
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