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魂がふるえるような… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2024.04.24
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禅宗に、「随所作主」(臨済録)という言葉があります。

この言葉の意味については 「今日の禅語」 に以下のように説明されています。



「随処に主となれば立処(りっしょ)皆真なり」

の一句である。いつどこにあっても、如何なる場合でも何ものにも束縛されず、主体性をもって真実の自己として行動し、力の限り生きていくならば、何ごとにおいても、いつ如何なるところにおいても、真実を把握出来、いかなる外界の渦に巻き込まれたり、翻弄されるようなことは無い。

そのとき、その場になりきって余念なければ、そのまま真実の妙境涯であり自在の働きが出来るというものである。




「従業員」や「家来」と呼ばれる人たちは、自分を雇っているご主人様の言葉や価値観に従って行動します。

そこに主従関係がなくても、人目を気にしながら生きている人は、「人目」が「ご主人様」になっています。この場合の「ご主人様」は、「自分に対する自分の責任を放棄するための道具(逃げ道)」に過ぎません。ご主人様に従っていて失敗したとしても「人のせい」に出来るのですから。

「子育て書」通りに子育てをして失敗しても、その失敗の原因を「子育て書」のせいに出来るのです。でもその結果は、自分と子ども自身が負うしかないのですけど・・・。

常識に縛られている人は、「常識」が「ご主人様」になっています。
子どもに振り回されている人は、「子ども」が「ご主人様」になっています。

「パートナー」が「ご主人様」になっている人も、何らかの「宗教」や「主義」が「ご主人様」になっている人もいます。



そのような責任を放棄することで、失敗した時に人から非難されることを避けようとしているのです。ですから、その「ご主人様」のことも大切には考えていません。
「従う」ということと「大切にする」ということは次元が異なることだからです。

大切にしているからこそ「NO(ノー)」と言うこともあるのです。

子どもがオモチャやお菓子を欲しがったとき、「子どもがうるさいから」という理由で買ってあげてしまう人は、子どもを「ご主人様」にしている人です。

幼稚園を選ぶときも、子どもに選ばせているお母さんが多いですが、そのようなお母さんも子どもを「ご主人様」にしています。

でも、そのような人は「子どもを大切にしている」とは言いがたいでしょう。
子どもを「ご主人様」に仕立てておくと楽だから、子どもの言うことの従っているに過ぎません。また、実際に入ってみたらその幼稚園が合わなくても、その責任をその幼稚園を選んだ子どものせいにすることも出来ます。
「ご主人様」に従って生きている人は、自分の都合が悪くなると平気で「人のせい」にするのです。

でも、「ご主人様」に従っただけの行為であっても、その行為の結果は「ご主人様」ではなく実行犯である「自分」に返って来てしまうのです。

周囲の目を気にして子どもを苦しめても、苦しい子育てをしても、周囲の人はその結果を引き受けてはくれないのです。そのことだけはしっかりと覚えておいた方がいいです。







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Last updated  2024.04.24 08:17:16
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