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めげぞう@ Re[2]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) 森の声さんへ そうですよね。 私が仲間作…

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森の声

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2024.08.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日は、
子ども達に「本人の自由意志に基づかない活動」を強いると、子どもの心とからだがバラバラになってしまうのです。すると、心も不安定になります。

ということを書きましたが、子どもが、自立して自分らしく生きることが出来るようになるためには、この「本人の自由意思に基づく活動」が必要になるのです。

昔の子どもたちの「子どもたちによる、子どもたちのための群れ遊びの場」ではそういう活動が出来ていました。

そんな群れ遊びの場では、嫌ならやらなければいいのです。飽きたら色々と工夫して楽しくすればいいのです。ケンカしても自分たちで解決しました。監視や管理や命令をする大人はいませんでした。「遊びとしての勝ち負け」は競いましたが、勝つことにこだわりはしませんでした。楽しくなくなってしまうからです。

それに、昔の群れ遊びの場には色々な年齢の子、色々な能力の子、色々な性格の子が集まっていたので、「みんなが同じルールを守って勝ち負けを競う」という活動自体が出来ませんでした。
小学校の高学年の子と幼稚園ぐらいの子が勝ち負けを競い合っても意味がないのです。

それよりもみんなが助け合って楽しく遊ぶことの方が大切だったのです。ですから、小さい子には「おみそ」といって特別ルールを作ったりもしました。でも、最近の子たちは小さい子にだけ特別ルールを作ろうとすると「ずるい」と言い立ててきます。

固定されたルールに従って勝ち負けを競うスポーツのような活動が成り立つためには、年齢や、体の大きさや、性別や、能力などの同質性が必要になります。実際、スポーツではそうなっていますよね。
そして、最近の子どもたちは自分と似た年齢、似た趣味、似た能力の子としか遊ぼうとしないし、また遊べません。だからスポーツは出来ても群れ遊びが出来ないのです。でも、そのような条件が与えられているのは学校やスポーツクラブのような特殊な場だけです。





「会社」もそのような場です。「家族」も同じです。
でも、幼い頃から多様性が失われ、助け合うのではなく勝ち負けを競い合う群れの中で育った人は、「会社」や「家族」という「多様性に支えられた群れ」の中ではどうしたらいいのか分からないのです。


結婚して子どもが生まれても、自分とは異なった感覚や考え方を持ち、異なった世界に生きている子どもとの関わり方が分からない、自分とは異なったルールを持っているパートナーとの関わり方が分からない、そして「自分勝手(マイルール)」をお互いに押し付け合う、今、そういう人が非常に多いのです。

将来子どもが自立して自分らしく生き、幸せな家庭を築くために必要なのは「勝ち負けを競う合う能力」ではなく、「助け合う能力」なんです。でも今、その「助け合う能力」を育てる場がありません。

もっとも最近は、結婚願望もあまりなく、子どもも嫌いで子どもを持ちたいという願望も弱く、一人で気楽に生きたいと願っている若者が多いみたいですけど。





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Last updated  2024.08.08 06:29:53
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