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森の声

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2024.10.10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
教室のお母さんから
『創造性』
『オリジナルを生み出す能力』
というのはどうしたら強くなるのか、今度話したいです。


というコメントを頂いたので、今日は「創造性」ということについて、私なりの考えを書かせていただきます。

Googleで「創造性とは」と調べたら、AIが以下のようにまとめてくれました。
創造性とは、独自性や斬新さ、生産性が高い発想を生み出す能力です。既存の知識や情報を組み合わせ、独自の視点や考え方を取り入れながら、新しい価値を生み出すことを指します。

創造性は、想像力や発想力と混同されがちですが、それぞれ異なる概念です。
想像力:現実にはない物事や、相手の立場、顧客のニーズなどを頭の中で思い描く能力
発想力:新しいアイデアを生み出す能力


まあ、「創造性」という言葉の意味はこのようなことのようです。でも、意味が分かったからといって創造的になることが出来るわけではありません。
子どもの創造性を育てることが出来るわけでもありません。

「創造性」とは「独自性や斬新さ、生産性が高い発想」に基づく活動ですが、だからといって「独自性や斬新さ、生産性が高い発想」に囚われた活動は創造的ではありません。「自由」を失ってしまっているからです。

「創造的である」ためには「自由」が必要なんです。その「自由」とは、「束縛がない自由」のことではなく、「主体的に感じ、考え、行動することが出来る自由」のことです。ですから「創造的な活動」に囚われていたら創造的な活動は出来ないのです。

ピカソは絵の世界に新しい表現を創造しましたが、それは自分の意思で主体的に感じ、考え、行動し、探求した結果であって、「他の人とは異なった新しい表現」を創り出そうとし生まれた結果ではありません。
ピカソの真似をして描いても、そこには自由も創造性もありません。

個性的であるから、独自性があるから創造的なのではないのです。表面的にはみんなと同じようなことをやっていても、自分の意思で主体的に感じ、考え、行動した結果なら十分に創造的な活動なんです。

またそのためには周囲の人や過去の人から多くのことを学ぶ必要があります。ピカソが創り出した新しい表現は、若い頃に学んだアカデミックな学びの上に創造されたものです。彼が勝手に、でたらめに作り出した表現ではありません。



創造的であるためには「過去とのつながり」が必要になるのです。単に「他の人と違っている」だけではだめなんです。

全ての生き物の命を支えている「命の働き」は創造的に働いて命を支えています。そこで起きているのは「死と再生」です。毎日、古い細胞が死に、毎日新しい細胞が創られているのです。
命の働きは「死」と「誕生」の繰り返しによって支えられているのです。人間の創造的な活動においても、「創造」は「破壊」とセットになっているのです。

また「新しい細胞」は「古い細胞」の単なるコピーではなく、時間的な延長の上に新しく作られています。だから成長や老化という変化が起きるのです。

「古い価値」の上にしか「新しい価値」は生まれないのです。だからといって、「古い価値」に囚われていても「新しい価値」は生まれません。だから「古い価値を大切にしながらも、古い価値に囚われない心の自由」が必要になるのです。

子どもの教育において創造性を育てるために必要なのも同じようなことです。思春期前に、「昔の人が考えたこと」、「昔の人の技術」をまず学ぶ必要があるのです。
そして、思春期が来たら「じゃあ君だったらどう考える?」「どうやる?」と問いかけるのです。

最初から「自由にやってもいいよ」と言って、自由にやらせてしまったら創造的な能力は育たないのです。ただ自分勝手に表現したり活動するようになるだけのことです。だからといって、学んだことを「唯一の正解」として固定してしまっても創造的な能力は育ちません。

「過去の価値」の延長にありながらも、「過去の価値」に囚われずに新しい価値を創り出すのが「創造的な行為」なんです。

そのためには幼いうちはまずちゃんとした基礎を学ばせる必要があります。そして、思春期が近づいて来たら「基礎に囚われていたら出来ないような課題」を与えます。そしてそれまでに学んだ基礎を一回解体(破壊)させます。
そして、自分の感覚や感性や思考形態に合わせて、それまでに学んだ基礎を新しく再構成させます。そうすることで子ども達の創造的な能力が育つのではないかと思うのです。

ただ問題は、思春期前にただ真面目に基礎だけを学んできたような子は「基礎に囚われていたら出来ないような課題」が与えられたとき、それを乗り越えることが出来ないということです。

そこで必要になるのが、もう一つの「学び」なんです。


子どもの創造的な能力を育てるためにはこの「相反する両方の学び」が必要なんです。
基礎を学ばずにただ自由に育っただけの子は、「個性的な表現や活動」は出来るようになるかも知れませんが、創造的な表現や活動が出来るようにはならないのです。

逆に、幼い頃から自由に遊ばずにただ真面目に基礎を学んだだけの子は、「常識的な表現や活動」は出来るようになるでしょうが創造的な表現や活動は出来ないでしょう。

だから昔の人も言ったように、「いっぱい遊んでいっぱい学ぶ」ことが必要なんです。「遊び」と「学び」、子どもの創造性の育ちのためにはこの「相反する両方の学び」が必要なんです。





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Last updated  2024.10.10 08:08:14
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