・ポルトガルワインの現在
FIO Wines はローター・ケッテルン醸造所と、ポルトガル北部のワイン生産地域ドウロにあるニーポート家( Niepoort (niepoort-vinhos.com) )が共同で運営するナチュラルワインのブランドである。ポルトガルは酒精強化したポートワインの印象が強いが、これもまたドイツワインは甘口という先入観と同様に、時代遅れの認識と言って良い。
もっとも、ポルトガルのテーブルワインが注目を集め始めたのは比較的最近のことだ。 1990 年代まではポートワインと軽く夏向きの白ワインとして知られるヴィーニョヴェルデや、フルーティな甘口スパークリングのマテウス・ロゼが国際的に認知されていたが、それ以外のほとんどは大規模な醸造所や醸造協同組合による日常消費用のワインで、小規模で高品質なワインを造る生産者は皆無だった。
しかしニーポート家の当主ディルク・ニーポートは、早くからテーブルワインの産地としてのドウロのポテンシャルを確信していた。ドウロがポートワインの産地として成功したのは 1700 年代以降のことで、もともと赤ワインの産地として知られていたのだ、という。
ディルク・ニーポートは創業 1842 年のポートワイン醸造所ニーポート家の長男として、 1987 年に 23 歳で父のもとで働き始めた。そして 1990 年に赤ワインの「ロブストゥス」 Robustus を醸造。当時高品質な赤ワインはドウロではほかに誰も造っていなかった。地場品種の古木の収穫で醸造したそれは濃厚でパワフルなワインで、おそらく当時もてはやされていたロバート・パーカーの好みそうなスタイルだったのだろうが、友人や近隣の生産者たちからは笑いものにされたという。
そして実際、ロブストゥスが評判を呼ぶことはなかった。というのも、醸造した 4 樽のうち 3 樽を、ディルクがオーストラリアに研修に行っている間に、父ロルフが使用人に飲ませてしまったからだ。親子の間に相当な諍いがあったことは想像に難くない。
しかしディルクはめげることなく、 1991 年に赤ワイン「レドマ」 Redoma を醸造。これが注目されて話題となり、テーブルワインの生産者として知られるようになる。ポートワインの醸造こそ稼業と信じて疑わなかった父の跡を 1997 年に正式に継いでからは、ディルクは一層テーブルワインの生産に力を入れるようになった。ロブストゥスも 2004 年産から復活している。(参考: The Radical Reinvention of Great Portuguese Wine (foodandwine.com) )
高品質な赤ワイン造りの伝統を復活させようと、ディルクが発起人となって 5
人の醸造家たちがドウロ・ボーイズを結成したのが 2003
年。私が初めて ProWein
-毎年 3
月にドイツのデュッセルドルフで開催される、世界最大規模の業界向けワイン試飲会-を訪れた 2006
年、ポルトガルは高品質なスティルワインの生産国として熱心にアピールしていた。そしてオレンジワイン・レボリューションの著者として知られるサイモン・ J
・ウールフ Simon J. Woolf
とライアン・オパズ Ryan Opaz
がポルトガルワインの現在を伝える単行本 ”Foot trodden. Portugal and the wines that time forgot”
(「足踏みされたブドウ 時が忘れたポルトガルとワイン」未邦訳 Foot Trodden – Portugal and the Wines That Time Forgot (foot-trodden.com)
)を出版したのが 2021
年。この著作でポルトガル各地の高品質なスティルワインの生産者が紹介されたことで世界のワイン業界の関心を集め、近年次第に存在感を増してきている。
(つづく)
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