モラハラ対処法 naive編



モラハラ対処法 naive編

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自分が、モラの被害を受けている、という自覚を、はっきりと持てるといいね。

それが出来れば、クリアしたも同然。


ただし、そういう機会は、とっても少ないから。

はっきりと、目に見えるものでもないし。だからこそ、たちが悪い。


わかった上で、”対処しない”という方法もある。

マリア様? イエス様? 観音様? お地蔵様?のような。

広ーいこころを持つ。

何でも許して、ニコニコと、受け入れてしまう。

これも、精神に負担がかからなければ、ひとつの手。

痛みを感じないように、自分の感覚は、どんどん麻痺していくけれど。


スタンダードな方法としては、時間の力を借りる、というものもある。

忘却が訪れてくれるまで、じっと待つ。


被害を受けすぎていると、自分が何が嫌で、何をどこまで許せるのか。

加害者に、そこまで混乱させられている場合が多く。

こころで感知するのではなく、「何となくな、体の不調」として自覚することもある。

攻撃にさらされすぎて、神経が過敏になってしまったり。


いずれにしても、冷静になれるよう、まず、休養が必要。

状態によっては、専門家の力を借りた方が。


少し立ち直ってきたら、積極的な方法として、いくつか。

一度、やられてしまうと、場面をかえても、人間関係が新しくなっても。

どういうわけか、被害にあいやすくなるもの。

どこにでも、餌食を待つ、加害者・ハラッサーはいるものだから。

被害者のにおいをかぎつけて、やってくる。


まずは、「もう、被害者には、ならない」。

そう固く決心すること。

それだけでも、かなり違ってくる。


それから、相手を変えることはできない、ということを、肝に銘じなきゃね。

とっくに、わかっていること……だよね。

それが出来ていれば、苦しんでいないって。


以下の方法は、この問題に限らず。

何かの出来事によるトラウマの克服にも応用できる。


決意したら、まず、加害者(対象)から離れる。


これは、けっこう難しい。


脳には、傷ついた場面をよみがえらせ、何度も何度も。


なぞりはじめてしまう傾向があるから。

そこから無理にでも脱して、考えるのを止めないと、”離れた”ことにならない。


「傷つけられるくらいなら、ひとりでいた方がマシ」と覚悟を決めて。

その毅然とした決意は、実は小心者の加害者に、ちゃんと伝わる。

”加害者に排除される”のと、”自分から見限る”のでは、

気持ち的に、まったく、まーーったく違う。

迎合するために使っていた神経を、自分の好きなことのために向けるべき。


攻撃されなくなることによる刺激の無さから、はじめはほっとしても、寂しくなるかもしれない。

痛めつけられた後に、もらえる、ご褒美的な”アメ”も無くなるので、喪失感も出てくる。

それに耐える、強い精神力が必要。


「良い人」、「いい子」をやめる。

見捨てられないために、しがみつき。

無理をして、「理解者」「寛容な人間」を演じないこと。

これが、大前提かな。


言うのは簡単だけれど、実際には、「良い子」的なものは。

幼少のころから、身にしみこまされたものだから。

はぎとるのは、けっこうたいへんなことだったりする。

意外なことに、これが一番、時間とエネルギーのかかることかもしれない。

自分の在り方を、まるっきり変えることだものね。

嫌がらせへの本当の対抗力の根源は、ここにあるのかもしれない。


不安感や見放される恐怖感、が強い時、体調が悪くて動けない時、などは、避けるべきかも。

少しずつ、準備をはじめていけばいい。

1 安全な場所に避難(相手や場所から離れる。少しだけでも)

2 相手と自分を切り離す(しがらみや想いなど。この時だけは、はずしてしまう)

3 ちくちく言われた、気になる言葉や出来事を、書き出す

4 事実を認め、受け入れる(多少なりとも、真をついてるはず。事実に近いから、傷つく)

5 あるいは、しっかり自分で、否定する

ここから、ひとひねり。

ブラック・ジョーク、ユーモアセンスを活用。

6 自虐ネタへ変換してしまう

(同じ場面が来たら、先手を打って、自分で言ってしまえるようにする。嫌がらせのネタはたいがい、ワン・パターン)

7 いつ、言い返すチャンスがくるかわからないので、芸人のセリフのように練習


ここまで来ると、いつの間にか、立ち直っている自分に気づいたりするけれど。


慣れると、避難しなくても、、その場で、1~7までが、出来るように。


こうやって、めちゃめちゃにされた自尊心を、回復させることから、はじめよう。

そのうち、受け身から転じて、反撃できるようになれるかもしれない。

できれば、ケアしてくれる存在があった方がいい(理解者、被害の先輩、カウンセラー等々)。


職場でのことだったら、当事者に、辞める時、メール、はがきなどの挨拶で、

「●●な(言われて傷ついたこと)、わたしでしたが、お世話になりました」と。

嫌味っぽいけれど、言ってもいいんじゃないかな。

加害者は、まったく意味がわからず、「自虐してるよ」ぐらいにしか思わないだろうけれど。

ぼろくそ傷ついた”自分”のために、やってあげる、ということに意味がある。


でもね、こういう、加害者の一連のパターンを読んでしまえば。

攻撃が来るタイミングや、「そろそろだぞ」というのが、わかるように。

こころがまえができるから、それだけでも、十分に、防御の効果あり。


相手は、外面がいいので、被害を相談しても、信じてもらえないことが多いけれど。

「あなたの我慢が足りないんでは?」と、反対に、責められることも。


ただ、特質も使いようなんだよね。

ハラッサの人でも、自分の世界と違う、”外部”の人間にしてしまえば。

そうでなくても、こころを相手から、完全に切り離してしまう。

加害者を心配したりしない。痛みに共感して、わかってあげようとするのを止める。


少し距離を置くと、見えてくると思うけれど。

たいていの加害者は、自己愛が強いので、”おだて”に弱い。

てきとうに、”よいしょ”してあげると、どこまでも木に登るんだ、とか。

外に向っては、”一生懸命で、頼りがいのある人”と、意外な一面が見えてくるかも……かも、しれない。


もしも、加害者に、恩や義理、感謝の念、罪悪感が残るなら。

身内ではなく、外部の人間として、返していく方法もあると思うな。


こういった体験を、ネガティブなものとしないで、プラスに考える方法。

それは、「感謝」しかないね。

こういう辛い思いをさせてくれて、ありがとう。

これからの人生に活かしていきます、って。


痛みを知っている人は、強く、やさしくなれるから。

今度は、そういう人たちが、自然に、集まってくる。

毅然とすることは、孤独になることとは違う。

どうか、おそれないで。



モラハラ概論については⇒ こちら


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