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間違えて借りた本。『藤沢周平と司馬遼太郎』を借りるつもりが、根っからの慌て者だから、この『藤沢周平と山本周五郎』を借りた。だが、時代小説を通じての思想の話はとても興味深いものであった。
佐高信の「はじめに」にこうある・・・、
本田宗一郎は、『徳川家康』を読み、作者の山岡荘八に、四回も質問状を出した。「江戸城をつくるとき、四国などから大勢の人を連れてきたが、城が出来ると、城内の秘密がばれるからと、みな殺しにしてしまっているんです。(略)働かせておいて殺すとは、いったい何事ですか。侍は大事だが、人足なら殺してもいいというのは、どうしても合点が行かない。人間許せることと、許せないことがある」
こう思って本田は手紙を出したのだが、山岡からの返事は肝心のことに答えていなかった。
評論家の平野謙は、松本清張の解説で、
誰もが書いている大物を松本清張に書いてほしい。そうしないと、いつまでたっても山岡荘八のようなできの悪い作家が捉えた権力者(家康)像しか残らない。 p189
このように、この本は書かれており、司馬遼太郎なども紙芝居だと、斬って捨てている。痛快也。
歴史には正史と野史があり、または歴史小説と時代小説があると言う。正史は時の権力者による歴史でしかなく、闇の歴史が、人間にとって大きな意味を持つこと、を力説する。
歴史小説は正史であり、時代小説は野史(外史)であるとも。そこで、例として挙げてあるのが『斬に処す(結城昌治)』や『相楽総三とその同士(長谷川伸)』である。これらは、常識崩しである。 p031
山形には「出羽三山」という言い方がありますけれども、歴史小説にも三山(※)みたいなものがありますね。この三山の前では、司馬遼太郎なんか蜃気楼みたいなものですね。 p164
※『夜明け前(島崎藤村)』『山の民(江馬修)』『大菩薩峠(中里介山)』
山本周五郎のよく知られている言葉に、人の満足やよろこびよりも失意や絶望のうちにこそ人間の人間らしさを感じる、というのがあります。 p186
この二人(佐高信と高橋敏夫)は、徹底的に正史(権力)を斬り、闇の世界、底で懸命に生きる人間たちに注目する。それが、山本周五郎であり、藤沢周平の書いてきた小説世界である。他に、二人は隆慶一郎、松本清張、吉村昭を評価する。
今、藤沢に嵌っているので、これは納得しながら読んだ。

藤沢周平と山本周五郎 時代小説大議論
佐高信*高橋敏夫
毎日新聞社
2004年11月30日発行
『手仕事の日本』 2015.10.16
『ひらがなだいぼうけん』 2015.09.26
新折々のうた2 2015.09.25