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嫌なことがあると(ついこの間、お酒飲み過ぎて、失敗したのサ)、見たくなる風景のひとつが、隅田川だ。南千住から浅草に向かって歩くのもいいし、吾妻橋から見るのもいい。 川を見ていると、心の半分が川に流されていくのかもしれない。川を見ているときは、痛み止めをのんだみたいに、憂鬱の感覚が鈍くなっている。 今日、地下鉄を浅草で降りると、地上から降りてくる人が普段よりも多くて、また、かすかなお囃子の音が聞こえてくる。 地上に登ると、もの凄い人だ。どうも、あの有名な三社祭らしい。神谷バーの三叉路から雷門方面が、歩行者天国になっている。普段人の歩けないところを歩くのは楽しい。はっぴを着ているのは、おそらく地元の人だろう。 吾妻橋で川を見てから戻ると、神谷バーの三叉路に、パトカーが二台乗り付け、20人あまりの警官がいる。茶髪で派手な青年とおねえちゃんが、暴れて声を張り上げて警官にくってかかっている。「障害持ってて何が悪い」と叫んでいる。近くに、太った中年男性が横になっている。その奥さんらしい人も、野次馬や警官に向かって何か叫んでいる。どうやら家族のようだ。中年男性が、何か障害を持っているようだ。うまく立てない様に見える。 誰かと喧嘩したらしいのだが、詳細はわからない。 そこを後にして、浅草六区の方へいくと、建物の前でカップルの男の子が女の子を思いきり殴った。女の子はバカアッ、と叫んで白いバッグを男の子に投げつけて去っていった。男の子の足には刺青がある。 祭りの日には喧嘩が多いのかなあ、と思った。
2008.05.18
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部屋が片づいてない人は頭の中も整理されてない、とか聞いたことありませんか。私の部屋はいつもぐちゃぐちゃなの。捨てられないし、定位置に置けない。どこか、定位置に置くとかそういうのがバカみたいに思えるのかもしれない。祖母は、使った鋏は元へもどせば、ちらからない、と言ったものだ。祖母の部屋はいつもきちんと片づいていた。私は正直に言って祖母があまり好きではなかった。私は、鋏をはじめだいたいのモノに関しては、使った後のことなど考えたことがない。その無頼な考えのせいで、部屋は常に片づいたことがない。まじで頭がぐちゃぐちゃなんだろうな、と思う。坂口安吾の部屋はぐちゃぐちゃだったみたいだな。澁澤龍彦の部屋は、ほこりはかぶってるけど秩序があったそうだ。これからどうしていこうかしら。頭の中は整理したいのはやまやまだ。
2008.02.17
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NHKで尾崎豊のテレビがやっていたので、見ました。19歳の尾崎豊が映っていました(タバコをすっていたね)。当時は私は、中学生くらいで、尾崎豊の歌はあまりすきではありませんでした。なにをあつくなっているの、という感じで、横目で見ていたような記憶があります。今はすごい好きで、共感をします。何かを乗り越えるには、あんなふうにあつく激しくやる必要があるのかな、と思います。番組の中で茂木健一郎が言っていたように、弱さを乗り越えようとしているように見えました。苦しみが伝わってきて、生きることそのものが苦しい人、という感じがします。(でもこれも、早死にしたから、余計にそんな風に感じるのかもしれないけど)音楽も成功も名声も恋愛も、何も彼を救わず、彼を生にとどめなかったのかなあ…。彼の歌を聴いていると、すごくネガティブだと思う。すごく暗いなあ。私もけっこうこれで暗いところがあって、でも彼の暗さとはまた違う暗さなんだけど。でもそれでも、この年まで生きているっていうことは、そんなに暗くもないんだろうな。暗さ、というか、弱さというか。私も自分の弱さに負けたくはないな。負けないために、がんばらなきゃいけないと思いました。尾崎は、しばらくニューヨークに暮らしていたという。私ももうすぐ、アメリカに旅に行って、ニューヨークにも行くので、それを知ってうれしかったです。ニューヨークで尾崎のことを想おうと思いました。旅に出るので、2週間ほど留守にします。なんか今日はだらだらととりとめなく書いてしまいました。
2007.08.10
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(昨夜は眠れなかったの)このサバイバル・ワールドにルールは無い傷つく無防備な心こそが罪であるのだ心を守らないことが怠惰なのだ(好きにすればいい私もう知らないよ)傷つけられたとき傷つけられたと言っているようではすでに存在は失われている
2006.12.02
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わたしがどんなにおろかで間違っていて弱くて何も知らなくてそれでもわたし以外のだれのことを生きる道すじとしてもならなかったんだ信じるに値しなくてもそれでも
2006.11.13
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母親が住み込みで働いていたので、小さい頃は老人ホームで育った。老人ホームの老人たちに、遊んでもらった。いちど、盲目のおばあさんが私に話しかけている最中に、そーっと部屋をぬけだすいたづらをしたことがあった。誰もいないのに、話し続けているおばあさんをみて、笑いがこみ上げてきたことを、罪悪感とともに覚えている。老人ホームのとなりには、身体障害者施設があった。いろいろな障害、いろいろな身体の変形を持った彼ら。手が曲がっていたり、身体全体がねじれていたり。近所には精神薄弱児の学校があり、その運動会や行事に出るなどの交流があった。老人ホームの夜勤の時は、私もホームの事務室にいて、ヘルパーや事務員とテレビを見たりしていると、精神薄弱の、子供の心をもった大男のヨッちゃんが、老人ホームにやってきて暴れたりした。なだめられて子供のようにうなだれるヨッちゃんの姿をかすかに覚えている。あるいは、父親の知り合いのハンセン氏病回復者のAさんは、ときたまに私達の村に遊びにやって来た。Aさんの手には指がなかった。顔がゆがんでいた。サングラスをかけていた。深い交流のある父親の娘である私をAさんはまるで孫のように可愛がってくれた。指のないAさんと手をつないで歩いた。Aさんは、瀬戸内海の療養所に暮らしている。遊びに行った時に、オートバイの乗り方を教えてもらった。指のない手と足で、Aさんは器用にオートバイに乗る。指が取れて丸くなった足でガンガン蹴って、エンジンをふかす。私は初めてオートバイに乗って、瀬戸内海の島を乗り回した。(無免許で…)周囲がそのようだったからか、障害をもっている人や老人を、特別に感じることがない。障害があってその不便さを気の毒には思っても、かわいそうだとはおもわない。彼らは健常者と何の区別もない、普通の人間だからだ。ただすこし不便さを持っているだけの、美しい部分もつまらない部分も、醜い部分も持っているごく普通の人間。父親はボランティアをずっと続けている。人生のほとんどをそこに費やしている、と言えるくらいに。父親は、よいことだからではなく、たのしいからだ、と言っていた。私はある時期、父のすすめで、障害のある女性の介護に週何回か通った。その女性は人間的にとても魅力のある人で、友達のように付き合うことができた。ちなみにその人は、こちらです。夢織り猫やまぎりもえの日記よければちょっと見てみてください。私は、ボランティアだからといってとくにたのしいのではなかった。そのたのしさは普通の人間とつきあっているという種のたのしさだった。だから、相手が嫌いなひとならきっと介護をする気分にはならないだろう。人を助ける、助けられる、という関係は、通常のかかわりよりももっと濃密な人間関係を生むだろう。そして、連帯感のようなものも。父親がたのしいというのは、きっとそういうことなんだろうな、と今は思う。ただ、私は書いてきたように、障害をもっている人にたいして、特別な感情を持っていない。それにまた、連帯感、という言葉は苦手だ。そして苦手なのなら、仕方がない。と今は思える。でも、まだ家族のもとで暮らしていた頃は、父親の性質を尊敬していたので、自分の、父とはちがう性質を、まるで悪いことのように思っていた。父親はなによりも楽しそうだった。父親のような、人間の連帯感を求めるような性質になりたい、と望み、そうなれない自分は何かがおかしいからだ、と思い、苦しんでいた。当時の私を苦しめていた事柄の一つだった。(つづく)
2006.11.08
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おなかがすいたからって機嫌悪くなったり家族がそろうのをまたずにたべはじめる父が嫌だった今日は優しい気分わかるよお腹がすくのが人の気持ちより重要ってことお腹がすいても我慢すべきだと罪の意識のよぎった私だったけど今夜は家までまたないマックで野菜サラダなんかたのまないフィレオフィッシュとチーズバーガーとチキンナゲットと申し訳にKAGOME野菜生活で父が嫌だったけど大好きだったんだ
2006.11.08
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このごろ、谷川俊太郎の詩や文章をよんでいるんだけれど、この人はほんとうに、たとえば神について考えたときに生まれる不可思議な感情を言葉でとらえるようなことが上手だなあと思います。ひっかかるところがあって、この人の詩には、肯定のひびきがあると思っていました。私は、生を肯定しきれずにいました。この世界に生を受け、生きている以上はここにしかいる場所がないのに、ずっとこの場所を肯定できませんでした。この世界が悲しい場所だから、というのも理由のひとつです。生を肯定しきれずにいた私は、谷川俊太郎の肯定的なところになじむことができないでいたんですが、最近なんだか、生きることを肯定することができたような気がしました。すこし長いのだけど、谷川俊太郎の詩の一部を引用します。-----------------------------「ネロ」より(略)ネロもうじき又夏がやってくるしかしそれはお前のいた夏ではない又別の夏全く別の夏なのだ新しい夏がやってくるそして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなことそして僕は質問するいったい何だろういったい何故だろういったいどうするべきなのだろうとネロお前は死んだ誰にも知られないようにひとりで遠くへ行ってお前の声お前の感触お前の気持までもが今はっきりと僕の前によみがえるしかしネロもうじき又夏がやってくる新しい無限に広い夏がやってくるそして僕はやっぱり歩いてゆくだろう新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ 更に新しい夏を期待してすべての新しいことを知るためにそしてすべての僕の質問に自ら答えるために-------------------------------この詩は谷川俊太郎が、十代の頃に可愛がっていた隣家の犬の死をめぐって書いた詩です。そしてここに、「ぼくはただ季節の最初の陽差から受けた感動を、最も動物的な、最も素直な、最もあたり前な形で、即ち生きたいという欲望と生きようとする決意として書きつけたまでなのだ。生きようとする決意を何故死者に呼びかける形で書いたのか、それはぼくにも解らない。」(『詩を書く』谷川俊太郎著/思潮社)と谷川俊太郎自身が書いています。こんなに健康に生きる欲望を歌うことができたのは、運の良いことかもしれないけど、ただ、それをなぜ死者に呼びかける形で書いたのか。死の存在を受け入れたのじゃないかな、と勝手に思いました。死ぬからこそ今は生きたい、と。死すべきちいさな存在で、何も解らない無知な人間だからこそ、わいてくる自分の質問に答え続けたいというふうに。いろいろ書いたけど私は何が言いたかったのかな。(-_-)ちょっと躁状態なのかも。
2006.10.30
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生きる理由をずっとずっと探していた気がする。考えていたけれど、みつからなかった。本を読んで、納得の出来る答えを探し当てることはできたけれど、でも、それを信じることは、ビルからとびおりろというのと同じようなことだった。生きる理由がわからないから、生きる意志が希薄だった。理由もないのに、生きていていいんだろうか、ずっと心のどこかにそれがあった。たのしいことをしても、心が晴れることはなかった。すべてが、何かいけない、嘘のことのように思えていた。頭でかんがえていたからだめだったのだ、と思った。生きる理由はある日いきなり、否応なく、身体を襲う。これまでいろいろと考えていたことが無も同然の、つじつま合わせの、あとづけの理由になってしまう。真実はただ空から降ってくる。そんなものなのかもしれない。
2006.10.30
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一日の内に何度もあなたのこと考えたの秋の冷たい雨がときおり激しく降った風が吹いて木々が揺さぶられていたあなたとのこと思い出したらからだが熱くなってきたりあなたのことをお祈りしたりした突風に傘が裏返ったマンガみたいだって同僚に大笑いされた電車に乗っていて退屈だったからあなたのことをまた考えた一日のうちに30回くらい考えたかな今日は多い方そのくせあなたにメールをしたいとは今日は思わない声も別に聴きたくないただあなたのことを考えて心を温めていたい今日はね
2006.10.06
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一つのことを信じることは無数にあるはずの可能性を一つに絞ることだから嘘だと思った無数の嘘がいやだったのかもしれない無数の可能性の中に引き裂かれて苦しみ続けることが真実に近いはずだと思ったそれで人に迷惑をかけてもうとまれてもそれでも信じないことは私の信条だったなぜだろう嘘は悪いと教えられたからだろうか単純な私だから愚かなんだろう
2006.07.13
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もう罪人なのにまだ罪がないと思っているの幻なのにそう簡単には底の抜けない地面
2006.07.13
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上高地の、河童橋手前の林におさるさんがたくさんいた。はじめは遠くから見ていたが、我慢しきれずに、そろそろと近づいていった。近づくと、このおさるさんが私を威嚇したので、私はとんで逃げた。ちょっぴり傷ついた。だけどおさるさんの本能だから、責めるわけにはいかない。
2006.07.12
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泣いてしまった恨みというのは、見ないふりをしているとあるときふと吹き出してくるものだな恨みなどなくむしろ大好きなはずなのにせいいっぱいの笑顔のうしろに恨み言が隠れていたなんてじぶんでも気づかないでも涙っていうのは目が潤うしいいよねいつもコンタクトで目が乾いているから
2006.06.05
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ひとりは母親のせっかんとして髪と制服に火をつけられて悲鳴を上げて「おかあさん、髪が燃えてるよー」と叫ぶお母さんはまだまだという感じで火を消さないこれが娘への愛だみたいな感じ制服は化学繊維でできているのかビニールを燃やすようないやな匂いがする断末魔みたいな恐ろしい悲鳴がおこるお母さんは我慢できなくなったように娘に駆け寄って火を消すんだけれど娘はもうこときれる寸前で何か言おうとするそのときに目がさめてしまった何を言おうとしたのかなー…またべつの夜には女子高生が何か政治的な訴えのために自分の舌を噛んで自殺をはかるという夢なかなか死ねないで仲間の女子高生に助け抱えられながら歩くのだけれどだんだんに歩みが遅くなっていくのが怖かった死んでしまう前に目が覚めた私の中で何かが死のうとしてるのかなまたは死ぬ程罰している何かが自分の中にあるのかもしれないなあんて分析したりして
2006.03.30
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THE BACK HORNは…自殺や妄想や心中の歌をうたいながらも、現実の彼らは成功しつつあるロックバンドなので、引き裂かれ、矛盾している感じがする。アルバムの中には自殺とか呪いみたいな歌から、売れ線の歌やクリスマスソングがあって引き裂かれているし、メンバーも、鬱の人やら夢見る人みたいな人から、商売人的な人までいて引き裂かれている。引き裂かれ、矛盾している、というのを強く感じるのだなー。世間や世界に対する嫌悪、と同時に、一方で生命そのものへの信仰のようなものがあり、それが救いにもなっている。また、どこかにそういう明るいものがなければ売れないだろう。さっき長々と書いたのにまちがって一旦消しちゃったので疲れました(>_
2006.03.27
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ピープル アー ストレンジ/ドアーズお前がおかしなとき 人々はおかしいお前が孤独なとき 人々の顔は醜く見えるお前が必要とされてないとき 女達は邪悪に見えるお前が落ちぶれているとき 通りは歪む----------------------------英語は慣れてない~(>_
2006.03.12
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目が覚めたらああ なんて夕焼が 痛いあの光蒼い街の向こうに白金の様なあの光そこにほんのすこしだけ姿を見せるtruth目が覚めたなら毎日夕暮れの時間にはやけどのような痛みを感じるのだろう
2005.12.28
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