影 0
思い 0
絵と言葉 0
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この間、生まれた町へ行ってきた。 絵のネタを探しに…。 生まれたのは東京の世田谷区下馬というところだ。 ただ、母親が私を連れて家出同然にその家を出て行ったので、つい最近まで、自分の生まれた家がどこにあるのか知らなかった。 最近、調べてその家を見つけた。 実の父の家族とも、会うことができた。とてもいい人たちだ。 不思議なことがあって、その家をはじめて探しにいった時、私が100回見た「アカルイミライ」という映画に出てきたカフェを見つけた。 家は、そこから数分あるいた近くにあった。 その映画とわたしの生まれた町が、リンクしてしまった気がする。 下馬に行くと、異世界にいるような気がするのだ。 私の生まれたことが物語になって、映画の中の1エピソードになっているのだと思う。そして、映画の中のカフェや木々が、光と影が、下馬にある。 眼鏡をかけたお兄さんが、信号待ちをしていた。若い頃の父親に似ていた、いや、父親そのものだ、と思った。実の父親のことを想う。父は昔、若くして亡くなっている。(育ての父親はもうひとりのほんとうの「おとうさん」だ。) … 下馬は、団地があり、昭和のにおいがする。 この道の左手が世田谷観音だ。 赤ん坊の私を連れて、母親はよくここへ来たのだそうだ。 酒乱の父親と喧嘩をして出てきて、ここでもの思いをしていたのだと聞いた。 ここでまた不思議なことがあった。 母親のことを考えていると、携帯が鳴った。 電話は母親からだった。 いい絵を描かせてください、と観音様に祈った。 帰りに、そっと家の前を通ると、三味線と、長唄が聴こえた。おばの声だろうか。 おばは、三味線の先生なのである。
2008.08.15
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妹と姪と私とで、ふとんを並べて眠る。ある朝、筋状に、窓から流れ込む光、まだふとんの中にいて、となりに妹が寝ていて、その向こうに姪が寝ている、デジャブを感じる。「ねえ、私ってさ、昔から、ものごとの悪い面ばかりを見てきたような気がする。sちゃん(妹のイニシャル)、前言ってたよね、私が24時間テレビを見ていたとき、出演者が泣くのを見ていてわたしが偽善だと言ったとき、tyちゃんっていつも、そういう見方するよね、そんなの別にいいじゃんっ、て」「しかし朝から、重い話題だよね~(笑)」と妹。「朝っぱらからごめんね(笑)」と私。「今夜のボジョレー パーティーでね」と妹。つまるところ、世界は私と独立して存在しているのではなく、相互的な関係であり、私が見る世界が世界の存在であるなら、見方によって世界はまるで違った存在になるのだろう。
2006.11.29
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同僚のうさぎちゃんと、昼食の時一緒になった。うさぎちゃんは、うさぎのようなつぶらな瞳をして、うさぎのようにほうれん草をゆっくりとかんでたべた。「tyさん、結婚したら、他の人を好きになっちゃいけないんですかねえ」とうさぎちゃんが言った。うさぎちゃんは既婚者だ。好きな人がいるのかな、それとも、結婚して、ものたりなさをかんじているのだろうか。恋は理不尽なものだよね、と私は思う。「恋はいいとかわるいとか、そういうものじゃないよね。いいとか悪いとか、そういうことが言えるとすれば、例えば現代の日本は一夫一婦制だから、世間的にも、法的にみても、悪いと言えるだろうし、それから、うさぎちゃんのことを好きなだんなさんの心を深く傷つけることにもなるよね。そういう意味では悪いといえるだろうけど、でも誰かをすきになっちゃったのなら、恋そのものは、いいとかわるいとかではないよね。」などなどと私は言った。うさぎちゃんは、この答えにものたりなさそうにしている、ように見えた。「いいよ」と言えばよかったのだろうか。夫以外の人を好きになる自分は悪くない、と言って欲しいのだろうか。人は、悪者だと言われることをおそれる。自分はいい人だと思われたい。だけど、いいとか悪いとか、そんなことは他人の判断にたよることじゃない。自分で判断することだろ、と思う。そして自分にもそういいきかせる。
2006.11.16
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同僚のうさぎちゃんとメタボリック男と、昼食の席が一緒になった。「でもさあ、過激派っていまでもいるんだよね、どこかで政府転覆を狙ってるんだよ」とメタボリック男が言った。「すごい執念だよね~、なんかうらやましいような」と私。「なんかそういう執念を、エネルギーとして使えないかな、例えば発電とか…」「過激派発電所!」一同笑う。「でも、私の夫、バリケードを築いて、うんどうをやってたんですよ、なんとかうんどう」とうさぎちゃん。「だんなさん、70代なんですか」とメタボリック。「いえ、私と同い年くらいなんですけど」うさぎちゃんは26さいだ。「そんな時代に、運動なんてあったかな~」と私。「歌舞伎町で、バリケードをつくってたんです、だから夫は、仕事がみつかるかなあと不安がっていました」とうさぎちゃん。「ああ、アカとか言われるかもって?」と私。「でも、アカっていう言葉も、このごろつかわないよね、ははは」とメタボリック。忘年会の話になって、忘年会は新宿の、なんかあやしいところがいいよね。西口の…とメタボリック。西口?と私。ああ、東口で、歌舞伎町にしようか。ええ、歌舞伎町?こわくないですか?とうさぎちゃん。怖いよ、銃弾と白い粉が舞ってるよ、とメタボリック。つまらないことをいう人だな、と私は思う。歌舞伎町のうんとあやしいところでお願いします、と私。どこでもいいからあやしいところへ私を連れて行ってよ。
2006.11.10
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昨夜は何年かぶりにくまのぬいぐるみを抱いて寝たのこれははじめて家出をした夜にもっていったものくらがりの中のくまの横顔プラスチックの目に光の粒が光っていたあの夜の星だったらいいな後も見ずに家を飛び出した夜の
2006.10.27
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初めの夜は、脳細胞がダンスを踊っているみたいに、意味や言葉のかけらがつながったり離れたり、真っ白になったり、一晩中それが続いた。私は死人みたいに横になっていた。死体になった気持ちだった。ひからびたミイラみたいに。日が昇ったら、光がとてもいやだった。やがて人の声が聞こえてきた。それが怖かった。日常生活の、いろいろな瞬間の断片が浮かんできた。会社の廊下を歩く風景とか、駅の階段を登る一瞬の空気が、頭に浮かんで、それが怖かった。何も食べず飲まなかった。ミイラになってしまいたかった。二日目に、すこしだけ頭の整理ができてきて、それでも幼児のような欲求を、電話口で繰り返すだけのようだった。まだ眠りはおとずれなかった。横たわったまま、夜になり、そしてふたたび朝になった。三日目。会社を休んだ。お昼頃に、立ち上がってみた。腰がいたくて、すこしふらついた。冷蔵庫のジュースを飲んだ。初めの夜以来のシャワーを浴びて、すこし化粧をして、コンビニに行った。缶チューハイとサンドイッチと冷凍のうどん、を買って帰った。缶チューハイを半分飲んで、サンドイッチを食べてまた横になった。生きていかなければいけないから、明日は会社には行かなければならないから。ふとんの中で、苦しみが襲ってきた。夜起きて、シャワーを浴びて、うどんを温めてたべて、好きな映画のDVDをつけっぱなしにして、また横になった。明日は起きなければ。夜、きれぎれの夢を見た。怖い夢ばかり。外は、暴風雨が吹き荒れている。朝、起きて会社へ行った。世界は、何故なのか以前よりやわらかく見えた。
2006.10.24
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実の父が死んだ事を、長い間私は知らなかった。父と母とは、私が2歳くらいの時に別れた。母は私を連れ、身の回りの品だけを持って(「ほんとうに、ハンドバッグひとつくらいのものだったのよ」と最近になって母は言った)、世田谷の下馬にあった家を出て奈良へ行き、老人ホームで住み込みの仕事を得て、そこで暮らし始めた。酒を飲んで暴力をふるったという父を断ち切り、忘れ去ってしまいたかったのだろう。私は父の話をまったく聞かされずに育った。ほどなく母親は再婚をして、新しい父親が出来、新しい家族が出来た。その家族がもともとそこにあったように、私は自然にその中でふるまうことができた。おとうさん、というのは、新しい父親の事でしかなかった。おとうさんは、一生懸命に私を育ててくれた。私には実の父の記憶はひとつふたつしかなかった。その記憶の中で、私に近づいてくる父の顔は、墨で塗りつぶされていて、父の顔が私にはわからなかった。家族はやがて三重県へ引っ越した。妹が二人生まれ、父親は何度か職を変え、しばしばいさかいを起こしながら、新しい家族はすこしずつ安定していった。そのめまぐるしい生活の中で、時おり、なにかひっかかるものが、水底から浮かんでくるような気がした。だが、小学生の頃には、遊ぶことやただ生きていることそのものに夢中で、生きることの光の中でそれは形をとることはなく、ふたたび水底へと戻っていった。母親の方は、新しい父親との生活や子育ての忙しさの中に、昔の事などなにひとつ、かまけている暇も、理由もないようだった。そのころ、実の父は死んだのだと思う。私は知らされなかった。父の事はすでに昔の事なのだから、今を生きる母親にとっては意味がなかった。そして母親にとって意味のないことは、子供の私にとっても意味がないことであったのだ。その時には。
2006.10.07
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少し前に、祖母の家に居候をしていた。祖母の家は二世帯住宅で、そこには私の叔父の家族が住んでいる。イトコが二人いる。大学2年のツトムくんと、高校2年のユリちゃんだ。ツトムくんは毎日夜遅く帰ってくる。私が住んでいた部屋は叔父宅の玄関の隣にあったのだが、毎晩ツトムくんは、流行の歌を口ずさみながら玄関を入ってくる。そして、ドドドドと勢いよく階段を二階へ上がる音。時々、ドワーッ、ウォーッ、など突然に叫び声が聞こえる。ある冬の夜、帰り道で猛スピードの自転車にうしろから抜かれた。通り過ぎる時に「愛してる~」と歌う声が聞こえた。後ろ姿をよくみるとそれはツトムくんだった。恋をしているのだ。夜中に、門の前でひそひそと彼女らしき人と携帯電話で話し込んでいる夜もあった。もう俺もユニクロは着たくないね、などと生意気な事を言っている。プラダの鞄を持ち歩いている。ユリちゃんも玄関を通る時はいつも流行の歌を口ずさみ、玄関で飼っているウサギに「ただいまーピピちゃん」「おっはようーピピちゃん」など声をかけながら通り過ぎる。色白の整った顔立ちにメガネをかけていて、真っ直ぐな黒髪には天使の輪がまだ光っている。あの子は幼くて、今の女子高生のようなませたような所がまったくないのね、といつも祖母が言っていたように、まだ中学生のように幼く見える。きれいな顔立ちなので、もうすこし大人になったらもてるだろう。多分。でも今の所は、ボーイフレンドより女友達とのつきあいに夢中のようだ。バレンタイン・デーには十何人分のチョコブラウニーを焼いて、女友達に配ったのだった。学校から帰ってくるとまず1階の祖母の家へ来て、ひとしきり祖母の相手をする。時々祖母がぼそぼそと何か言うほかはユリちゃんが甲高いよく通る声で機関銃のごとくしゃべりつづけている。ひっきりなしに笑い声がする。ユリちゃんはいつもハイテンションなのだ。ときどき二人は1階の祖母の家で夕食を食べる。祖母のキッチンには、二人が子供のころから使っている動物の絵がついた小さなコップが置いてある。そのコップで牛乳を飲みながら(たまにビールの時もある)ツトムくんはそわそわしながらご飯を食べる。落ち着きがない。「おばあちゃんうまいね、このカレー」と、祖母に言葉をかける。おかわりはしない。「高校生のころはおかわりしたのにねえ」と祖母が言うと、「太りたくないんだよね」と言う。ユリちゃんはお茶が熱いまま飲めないので、氷を二つほど入れて飲む。テレビでレミオロメンが『粉雪』を歌っている。「この歌いい歌だよね」とユリちゃんが言う「でも顔がキモいよね」。「うん、キモいね」と私は相づちを打つ。レミオロメンはシリアスな表情で歌い続けていた。さまざまな悩みが無いわけはないはずだが、シリアスさとはあまり関係なく、イトコ達は生きているように見えた。ありあまるエネルギーをもてあましながら、時々繊細な表情を見せながら、でも毎日が楽しくてしかたがない。と。すこしキラキラしてみえた。
2006.09.10
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"if you love somebody, set them free"というスティングの歌がある。当時家にはまだレコード・プレーヤーしかなかった。その歌が入っているLP("The Dream of the Blue Turtles")をテープに録音するときに、アンプ装置の見方がわからなくて、父親を呼んできた。スティングが歌っている"free,free,set them free "父親と私はアンプをさわりながらそれを聴いている。「ええ歌やな」と、アンプを見ながら父親が言った。「そう?」十代の私は、父親が自分の好きな歌をいいと言ってくれたことのうれしさと気恥ずかしさのために、わざとぶっきらぼうに答えた。その時は知らなかったが、当時父親には恋人がいた。そのひとは大勢と一緒に私の家に遊びに来たことがある。そのひとのはにかんだような笑顔をまだ覚えている。またある雨の夜、父の恋人とその友達と、父親と私とで、車に乗って高速道路を走ったことがあった。私はスティングのテープをかけてもらった。"Bring on the Night"というライブアルバムだった。雨は激しかった。誰かが音楽の音量を上げた。夜の闇と激しい雨音と大音量の音楽とが入り交じった。スピードメーターは130キロのあたりをふらふらとしていた。私は「スピード落として」と叫んだ。音にかき消されて声は届かなかった。大人達は笑っていた。「愛している人を自由にしてやれ」とスティングは歌っていた。
2006.08.20
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職場で二、三ヶ月前に初めてタブレットを使って描いたイラストです。ボカシが気軽にいれられて、上手にかけたなっと思いました。職場で描くイラストは、自分のほんとに描きたい絵とは違うけどそれはそれでたのしいです。デザイン作業はあんまり好きじゃないけど…。
2006.08.05
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まどだまどのあることを雨がはじけるので知らされるついさきほど目の前を飛ぶ鳥を見てから私は鳥の目をして鳥と同じに冷たくて湿った空気をはばたきに合わせて呼吸し東京は空の底でぐらぐら揺れる灰色の崖だった他には何もない何もない私は何者でもないだから驚いたのだ雨がはじけて窓が在ることに夢から醒めたように現実感のないビルの最上階床があり整えられた空調の中で丁寧にいれられたビールの気泡がゆっくりとたちのぼる忘れていた物思いが黒い羽を広げはじめる
2006.07.27
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私が派遣で勤めている日本女子大学というところは、未経験のことをさせてくれる。文京区というところはまだ残っている伝統工芸の多い町なのだが、今日は代々浮世絵の刷り師であるお宅へ、ネットで配信する番組の為に取材に行った。番組っていってもテレビ番組のようなものとはすこしちがうけど。…番組など作ったことはない。伝統工芸を紹介する番組の構成と動画及び静止画の撮影とデザイン及び編集を私がすることになってしまい、今日は一気に撮影作業をしてきた。途中、ご近所の世間話の声が入ったり、車の音が入ったり。撮影も初めてだし編集で使うプレミアというソフトもまったく触ったことがない。できるのでしょうかね、まったく。恋わずらい(^^;)のためにそれどころではない私なのに。でもそんな仕事に熱中することで、仕事をしている間は好きな人のことを忘れられたからよかった。伝統というものを伝えようとする人達がいる。それは便利さと快適さを追求することとは逆行することだ。文京区の路地の中にあるお宅には、エアコンをつけない。うちわとすだれと風鈴と緑の植物で涼をとる。坂口安吾の『堕落論』を好んで読んだ私には、伝統というものを尊重する気持ちは薄い。どうでもいいと思う。たとえば中世の町がいまだに現存するヨーロッパより、古いものがどんどんなくなって雑然としていく日本の風景が私は好きだ。お寺や神社が好きだけれど、一方で、それを古いからというだけでむやみに尊重する気持ちをうざいと感じている。伝統なんて過去へのこだわりにしか過ぎないのじゃないのか。そんな気分の私が、伝統工芸の番組なんか作っている。その中で、私は伝統工芸のすばらしさを強調するだろう。世の中ってそんなものなのかな。今日取材させていただいた先生、とても素敵な方で、私はファンになったので、その先生の為に素敵に作りたいと思う。高橋工房伝統を尊重する思想をとりはらった技そのものというものはやはり素敵だと思う。
2006.07.23
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上高地に旅行に行った。乗鞍のペンションに泊まった。夜中、激しい雨の音で目が覚めて、また眠った。朝、周りの林に散歩にでかけた。雨は上がっているのに、雨の音がしている。林の中だけに雨が降っているのだ。葉についた雨粒が、降り注ぐ音だった。林の手前には雨が降っていないのに、林の中に雨が降っている。夕方帰ってきたら、住んでいる町に雨が降っていた。傘を持っていなかったが、そのまま駅を出た。駅からアパートまでの道に、鬱蒼とした桜並木が続く通りがある。桜並木の下には雨は降っていなかった。
2006.07.09
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前に指定型バトンをしたときに、私は以下のマジメっぽいうざい質問を書いて、それに一葉さんと真果さんが答えてくださったのですが、答えてもらってばかりでは悪いような気になって自分でも答えて見ました。●生きる意味とは存在そのものが意味だと思いたい。猫のトラちゃんや、自分や、虫や、ものごころつかないうちに死ぬ子供や、家畜や、植物や、若くして死んだ父親などに共通するのは存在する、あるいは存在したということだから。だけど、それだけでは満足できないから、自分だけにしかできないことを求めて生きてるのだろうな…。●哲学という学問に対するイメージ第一志望で大学の哲学科に入学したころは、あこがれを抱いていました。哲学を勉強すれば、世界を明確に認識でき、いろいろなもやもやが晴れてすっきりするだろう、小さな事で悩むこともなくなるだろう、とか。今では、あこがれがほとんどなくなり、哲学は、世の中にすんなりと順応できないタイプの人間が、論理で世界と自分とのすきまを埋めていく学問、というイメージです。それとか、生まれつきどうしても根本的に考えずにはいられない人のためのマニアックな学問というイメージ。哲学にもいろいろあるだろうから一概には言えませんが。論理が得意な人じゃないとできないと思うので、私には到底無理で向いていないということが最近やっとわかった…。どうでもいいけど、who am iというサイトのタイトルは、私の卒論のテーマだったのです。忘れましたので中身はきかないでください。●一ヶ月後に死ぬとわかったら何をするかそれを今すれば、悔いなく生きられると思って、たまに考えます。考えるだけなんだけど…。好きな人に会いに行って、好きとかありがとうとかいろいろ言って、それから親と兄弟と猫に会って、身の回りを片付ける。描きかけで終わってもいいので満足出来る絵とか詩を描くべく挑戦する。
2006.06.24
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1.今の派遣の仕事をネットで探していたときに一番始めに目に留まったのが今の職場だった。ネットには具体的な大学の名前は書いていなかったが、来てみると叔母が卒業した大学だった。2.最寄り駅を降りると、まず母が卒業した大学がある。そこから20分歩くと、叔母が卒業した大学に着く。そこで毎日仕事をしている。3.20分歩く間に橋がある。その橋のたもとに、私の父親が大学時代に住んでいた学生運動のアジトがあったという。今はもう壊されたのか、見あたらない。結婚前に母はそこを訪ねたこともあっただろう。その横を毎日歩く。その度に父親のことが頭に浮かぶ。4.自分が生まれたという家を訪ねてみた。表札を見ると、父親の家族はまだそこに住んでいるようだった。自分がむかしそれだった苗字が表札に書かれていた。その家から数分歩いた所に、オープンカフェがある。そのカフェに、はっきりと見覚えがあった。丁度今、はまっていて、毎日のようにもう50回は見ている映画に出てくるカフェだった。映画の中で、生き別れの父と子が再会する場所だ。だが話は異星人同士のように、完全に、すれ違う。その映画にのめり込むあまりに、映画の世界が現実の中へ流れ込んできたのだろうか。そういえば、この映画には水母が川を下って海へ出て行く、という主題があるのだが、私も先日、隅田川を流れる水母の群をみたのだった。この映画が現実に、流れ込んできているのだ。やはり。偶然が4つ重なった。カードが配られたみたいに。だからなんだということもないんだけど。
2006.06.18
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門を入ろうとしたら、自転車が止まった音がしたので、振り向くと男の人がいた。何かの配達の人かなと思って、その人に笑いかけた。男の人は、自転車にまたがったまま、股間に手をあて、激しくうごかしはじめた。蒼暗いたそがれどきで、その人のソレが、ぼんやりとほの白く見えた。私は門を閉めて家に入った。なんだかかなしくなってしまった。その人が終わるまでみてあげればよかったのかな。それとも、さわってあげればよかったのか。そうしてもいいと思った。たそがれ、の語源は「誰そ彼」という古語らしい。あなたは誰?誰もが誰かわからない時間。
2006.06.15
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つらいことがあって、街から電車に乗って、シタマチの川が迫る駅で降りて、川沿いを歩いた。川を見たって、かなしみは減らないし、傷はいやされもしない。傷は、結局は自分で傷つけた傷だから、自分があるかぎりいえないということだろう。どこにいっても自分がついてまわる。とぼとぼ、と歩いた。「ひとりで散歩してるの、もったいないじゃあん」と、声をかけられた。かまわないでください、という笑顔をつくった。その人は離れないように、ときどき川を見ながら、自転車をゆっくりこいでいる。「どこから歩いてきたの」「H駅からですけど…(悪いですか?)」「今からどこへいくの」「Tの方へ」はやくどっかへ行ってよ、と思いながら笑顔を作って答えた。だけど、人を疑うっていやだ、と私は思い直した。つらくて、ほんとうはそれどころじゃなく、どうでもよかったのだけれど、したまちの人のやさしさなのかもしれない、と。「Kの駅はこっちでいいんですか?」と自分から話しかけた。「K駅はあの鉄塔を真っ直ぐいったとこだけど」とその人は教えてくれた。「ありがとうございます」河原から、車道へ出て、下の道へ降りた。「俺も丁度こっちに帰るから」と言ってその人はついてきた。自転車を降りて押し始めたその人と、しばらく並んで歩くことになった。「この辺に住んでらっしゃるんですか?」ときいてみた。「うん、仕事はAだけどね」「近くていいですねえ」「あんたはどこに住んでるんだい」「私は、Nなんですよ」「そりゃ、とおいじゃん」そしてその人は駅まで付いてきてくれた。駅のホームに立ったら、またつらさにつつまれてしまった。
2006.05.12
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「たとえば駅のホームから飛び降りるというのは、普段から死にたいと願っている人だけじゃないような気がする、こんな風に生きていて、あるとき何かのきっかけでふと、飛び降りてしまう、そういうこともあるのじゃないかな。バランスが生より死の方に、ほんの少し傾いたら、ふと死んでしまう、ということって、あるのかな。」いつも通りの可愛い声で、おっとりとヒノさんは言った。「いろんな場合があるんだろうけど」と私は言った。「家に帰って、眠りにつくでしょ、そしてそのまま死んじゃっても、別にいいなあと思うのよね」ヒノさんと私は注文したウイスキーソーダを飲んだ。ヒノさんはシングル、私はダブルのウイスキーソーダ。「そういわれたら そうだね、楽の様な気もする。」「生きていて、意味ってあるのかな」宗教のない者にとって、死の前も後もない。生というのは、終わると無だ。そう考えると、恐ろしい。生に意味はない。意味を持たせるためには、生が無でないためには、生の前と後に何かがあると考えればいいだろう。考えるというか、信じるというか。理屈っぽい。言葉だけのような気がした。でも私に言えることはそれくらいだった。「でもそう私は思うのよね、でも、死後の世界を信じるなんて、とてもできそうにないけどね」「ふうん」ヒノさんは大きな目で斜め上方を見つめながら考えている。「だから、生というものが吹けば飛ぶようなあやうさがあるけど、積極的に死ぬ勇気がないから、生きるしかないだろうし、それに私は幸いにしてやりたいなと思うことがあるし」「私にはやりたいことがないからだめなんだよね」「だめということはないと思うけどな、べつに。やりたいことがとりたててないなら、結婚して、子供を育てて、家庭を築く、という人生がある。」「私、男の人を好きと思ったことがないの、なんでだろ、そういう気持ちになったことがないの」ヒノさんは目を伏せてにっこりと笑い、グラスを揺らしている。ヒノさんはいつも暗い雰囲気だったという家の空気を、素直に深く吸いすぎたのかもしれない。「そっか。じゃあ、お見合いだね。お見合いでもして結婚して子供を育てるっていうのもいいかも。」と私は言ってみる。「ふふふ、私もそれ考えた」母親になったヒノさんを想像してみた。子供が二人くらいいて、夫と子供の世話に追われて忙しい日々を送っている。朝、ごみを出しにでて、まぶしい日の光にふと、昔、無気力に過ごしていたことがあったっけ、と思い出している風景が浮かんだ。ヒノさんの眼差しはそれでも相変わらず遠くを見ているだろうという気がした。それでも、幸せの中に埋没することはなくても、少なくともするべきことがある日々。愛するべきものがある日々。それは私の勝手な妄想だけれど。
2006.04.05
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ヒノさんが宙の一点を見つめて考え事をはじめると、その一点を中心に空気が渦を巻き始める。ゆっくりと。ヒノさんは本州で生まれ育ったが、母親が沖縄の人だという。そういわれてまじまじと見ると、太くて濃い眉や、おおぶりな目鼻だちに、なんとなくみているとみすごしてしまう、たくさんの日本人の他人たちの顔の中にうずもれたヒノさんの沖縄の血を、発見してしまう。秘密を見たような、立ち入りすぎたような、すこしそんな気持ちになる。ヒノさんは大学を出てから2年間、アルバイトをしながら石垣島に住んでいた。石垣島はここから遠い。「何もする気がしないの~」とヒノさんが言う。「無気力っていうのかな。仕事して、帰って寝る、それからまた仕事する、それだけでいっぱいいっぱいになっちゃうの。熱中できるようなものが何もないの。何かやらなきゃとは思っているんだけど。」ヒノさんは表情の幅が広い。どこかを見つめながら口をとがらせるようにして言葉をゆっくりと選んで話し、会話の途切れ目には相手の顔をみてにっこりとほほえむ。そしてふたたび視線がそれ、真面目な表情にもどって続きの言葉をさがす。「私は一つのことをじっくりやるのが向いていると思うの。だからここの仕事は向いてないような気がする。人の出入りが多いじゃない?事務もして、窓口にくる人の応対もして、と言う風にあちこちしていると、そのうちに自分が何をしているのかわからなくなってしまうの。ここの事務の処理のしくみがまだ私の中でつながっていないの。すべてが断片的で、その場限りの処理だということに、すごくいらいらしてしまうの。」事務仕事をそんなに哲学的に考えたらやっていられない、と私は思う。だがヒノさんは、私とは違う。哲学的なのだ。だからヒノさんはときどき、宙の一点を大きな目でじっと見ているのだ。空気はその一点を中心にして渦を巻きはじめる。熱帯低気圧のように。それが大きな台風に育ったら、どんなことになるのだろうか。などと思う。だがヒノさんは女の子らしいやさしい声をしているから、幸か不幸か台風にはならないのだろう。多分。
2006.02.04
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帰り道は駅まで続く一本道で、歩道はすれ違う時に一方が脇によけなければならないくらい狭い。寒いから急ぎ足で歩いていた。私の後ろには二人の男の子が歩いている。抜かしていけばいいのに、と私はせかされるような気持ちで歩いていた。甲高い声の男の子たちの会話が聞こえてきた。「俺、小学校低学年のころ、小さくて弱くて、いじめられてたんだ、でも空手ならうようになってからさ、強くなって、いじめられなくなった」「俺も、低学年のころ、今もまあデブだけどもっとデブで、いじめられてたんだ、でもケンカ強いってことがわかって、いじめられなくなった」(ふうん)なにかが自分の中でうずく。二人は、早歩きだからなのか息切れて興奮したような声で、息を継ぐ間もなく話し合っていた。子供時代に言葉がみつからなかったことが今、堰を切ったかのように。信号が近づいて、男の子達は私を抜かして行った。制服を着て制帽をかぶった、まだ背が伸びる前の子供らしさの残った中学生だった。車の眩しいライトの中を、二人はじゃれ合うようにして、信号を渡っていった。
2006.01.19
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イズ**ラさんの仕事はまず、その一日の自分のTODOリストを作ってプリントアウトすることから始まる。イズ**ラさんがキーボードを打ち始める時には、私の視界の端にヒラリと動くものが見える。イズ**ラさんの手だ。キーボードを打つ前に、丁度ピアニストが曲の演奏を始める前のように、両手を宙に浮かせて指をうごかす仕草をしている。一瞬の、吸い込まれるような沈黙の後、キーボードを打ち始める。大きな音がする。そして、時々句読点を打つようなひときわ大きな硬い音と、間が入る。そしてしばらくしてまた、叩き込むように力強く打つ音が聞こえてくる。聞いているとこちらの指が痛く感じるほど大きな硬い音だ。イズ**ラさんの仕草は、細部まで力が入っているように見える。すれ違うときに道をゆずるときのイズ**ラさんのあしさばきは、剣道の所作みたいに美しい。日常のしぐさのいちいちが美しいことがイズ**ラさん独特の可笑しみを生む。また、言葉遣いも発音もとても丁寧だ。電話の応対は、まるでお手本のように美しい。本当は電話が大嫌いなのだそうだ。職場では率先して電話にでるイズ**ラさんであるのに。「家にいるときは、5歳の子供に出させます、それほど電話が嫌いなんです」とあるときイズ**ラさんは言った。「組織の中にいるということは大変なものです」TODOリストには、「○年○月○日の業務」とあり、その下に、ビジネス書からの引用と、外国の著名人の格言が書いてある。いかに効率よく仕事を勧めるか、という事柄についての格言だ。その下にその日の業務を箇条書きにする。3行の日もあれば10行の日もある。業務が3行の日、その3行の中に「◇保育園迎え」という項目があった。そういえばその週の初めの日、イズ**ラさんが右手を真っ直ぐに挙げて「わたくし、今週は定時に帰らせて頂きます」と言っていた。子供を迎えに行くことも業務なんだろうか。それはプライベートではないのだろうか。でもそれは私の分類にすぎない。イズ**ラさんは私とは違う分類法をもっているのだ。仕事をいかに効率よくすすめるか、それがイズ**ラさんの仕事におけるテーマの一つのようだ。それなのに、イズ**ラさんの仕事はかえって効率とはかけ離れていくようなのだ。「イズ**ラさんに仕事のわからないところを質問すると」と、私の斜め前の席のヒ*ノさんが不安そうに言った。「その答えの中に不明な一部分があると、それについてイズ**ラさんは調べたり、他の人に聞いたりするでしょう、そしてその中にまた分からない部分が生まれて、それをまた調べるでしょう、そしてどんどんおおごとのようになっていくの、ちょっと聞きたかっただけなのに。それにひととおり答えが返ってきたときには、自分が何をききたかったのかを忘れてしまっているの。」忙しそうな課長やハマ**さんにいつも話を途中でさえぎられるのも、そういうことのためもあるのかもしれない。イズ**ラさんは毎日話をさえぎられ、毎日細部を追求しつづける。イズ**ラさんはスタイルを変えない。ときどき、イズ**ラさんが「まあ、これは細かすぎますかね」というと私は悲しくなる。イズ**ラさんが自分の中の何かをふみにじっているような気がして。イズ**ラさんはよく咳をしている。咳にもいろいろ種類があるんです、と言う。体が弱くて、喘息持ちなのだ。暑がりでだいたいがシャツをうでまくりしている。今日、お昼休みに屋上へ行くと、遠くにイズ**ラさんが立っているのが見えた。私はイズ**ラさんから見えない場所に座ってイズ**ラさんを見ていた。イズ**ラさんは、ずっと立って遠くを見ていた。
2006.01.17
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私の職場の部屋の風景を文章でスケッチでもしてみようと思う。今は派遣社員としてある女子大の生涯学習課で、パンフレットやチラシを作る仕事をしている。仕事始めの日、私が部屋に入っていった時の事を思い出すと、隣の席のイズ**ラさんの顔がまず思い浮かぶ。まるで中学生のような丸刈にスーツを着ていて、だけど一番印象にのこっているのは大きくてどこかうつろな感じのする目だ。前任の方が仕事の説明を私にしてくれようとしたときに、イズ**ラさんは隣の部屋にさっと走っていって取ってきたノートを、「これ、メモがわりに使ってください」と私に手渡した。それはたとえば、10メートル先にいる人が落とした消しゴムを、さっと走っていって拾うような感じだった。イズ**ラさんなら、そんなこともするかもしれない。生涯学習の講座の英語講師が授業の前に部屋に来ると、その気さくなイギリス人の老講師が、日本語も話せるのにわざとイズ**ラさんに英語で話しかける。イズ**ラさんはたどたどしい英語で話返す。講師が自分は剣道を習っていた、というと、イズ**ラさんは、自分もそうだ、と言う。日本語で、あーだから先生、背筋がピンとなさってるんですね、と言った。そのイズ**ラさんの背筋も、いつでも真っ直ぐだ。いつか通勤途中に、背筋を真っ直ぐに伸ばし、手を大きく振って歩くイズ**ラさんを見かけた。(あ~時間がもうないので「つづく」…)
2006.01.14
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肌寒い秋の日に姪と散歩をした。姪に缶のミルクセーキを買った。冷たいので、全部与えてはきっとお腹を壊すだろう。姪とかわりばんこに飲んだ。姪が飲む。「ちょうだい」と私が言う。姪は缶を私に手渡す。私はなるだけすばやくたくさん飲む。「まだある?」と姪が言う。「はい」と私は缶を手渡す。姪は立ち止まり、両手で缶をささえて飲む。「ちょうだい」と私が言う。姪は素直に私に缶を手渡す。私が飲む。「まだある?」と姪がきく。姪の背は私の腰ぐらいまでしかない。「うーん、もう少なくなってきた」と私が言う。「でもまだある?」と姪が言う。「うん」と言って缶を渡す。姪は立ち止まって飲む。もう少ないので、私は缶を傾けてやる。「もうない?」と私がきく。「もうない?」と姪もきく。「もうないね」と私が言う。「もうない」と姪も言う。谺のように帰ってくる言葉に私は満足だった。
2005.12.17
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