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1986年10月21日発売、河合奈保子さんのアルバム「スカーレット:Scarlet」に収録されている「ハーフムーン・セレナーデ」ですが、奈保子さん自筆の譜面を紹介します。また、アルバム「スカーレット」作曲についての切り抜き記事を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」自筆による譜面。ーーーーーーーーーーーー↓ 作りかけて忘れちゃった曲って、いっぱいあります。案外その中にすごくすてきなのがあったり・・・そう考えると、なんだかもったいない気分。↓ 23才になって、女らしさも十分の奈保子さん。おまけに全曲自分のアルバムまで作っちゃった。でも「なんだか遠くなっちゃったな」と思ったら大間違い。チャーミングな笑顔とナハナ笑いは、ばっちり健在です。【犬の鳴き声まではいったデモ・テープを・・・】ワッ、大丈夫かなって思いましたね。アルバム全曲書いてみないかって言われて。ちょうど去年の秋。でも曲は2年前の秋から作ってたし、コンサートで歌ったりしてました。作曲はキーボードを使ってテープに入れておくんです。歌の部分はラララ・・・にしといて弾き語り。小学校のころから弾き語りは好きだったんです。友達とギターでフォークを歌ったり、中学のとき応募したオーディションテープも『オリビアを聴きながら』をピアノで弾き語りしたものだったんです。でも実際自分で作った曲をスタッフに初めて聴いてもらう時は恥ずかしかった。今日は何月何日という声から始まって、途中で休んでブツブツ言ったり、ため息ついたり、うちの犬の鳴き声まで入っているテープでね。パジャマのまま夜中に起きだして録音したのもあるんです。だから「いいんじゃない」って言われた時はうれしかった!【打ち合わせがついつい長電話になったり・・・】作曲家の売野雅勇さんにアルバム・プロデュースをお願いしたんです。で、でてきたコンセプトが”スカーレット”、あの『風と共に去りぬ』のヒロイン。私、ちゃんと知らなかったんで、さっそく本を買って。でも長いので本はやめてレンタル・ビデオで見ました。激しい人ですよね、スカーレットって。自分が思ったことは絶対やり通す。でも、激しさの中にも女性の優しさ・柔らかさがあるんですよね。アルバムの10曲は、1986年を生きる10人のスカーレット。詞を書いてくれた吉元由美さんとは「このフレーズはどう?」とかほとんど電話で打ち合わせ。ついつい脱線して長話になるんですよ。男の人の話?うん、それもあったし、たわいのない話ですけど。でも一緒に曲作りしたら一気に打ちとけちゃった。年代も近いし、女度ぷ氏で男の人には理解できない部分、わかりあえちゃうんですよ。【シンプルに自然に自分のやりたいことを】レコーディングは山中湖と観音崎で1週間ずつ合宿。よかったですね。夏だったので短パンにTシャツ、お化粧もしないですごしてた。観音崎で『思い出のコニーズ・アイランド』の歌入れしたときなんか、「雰囲気出ないな、海でも見て潮の香りを感じようじゃないの」とかってお散歩行ってから録音したり、「体が資本!」なんて、テニスをしたり、都内のスタジオじゃ絶対できないもの。なるべくシンプルにって作ったんです。でもトラックダウンしたあと音がゴチャゴチャしちゃって、思い切って私言ったんです。「イメージ違ったんで、やり直していただけますか?」って。みんなわかってくれて、もう一度やってくださいました。わりと私ハッキリ言うほうです。デビューしたてのころは思ったことをどう表現していいのかわからなかったけど、最近は自分のやりたいこともやっと見えてきたし。【なにをやっていても「奈保子は奈保子」です】シンガー・ソングライターとか言われちゃうんですかね、自分で曲書くと。でも、なんかそれ、違うなって。河合奈保子は河合奈保子でいいんじゃないかな。同期の松田聖子ちゃんが子供産んだとか聞くと驚いたりするけど、それぞれ幸せって違うし奈保子は奈保子をやっていきます。結婚とか恋愛とか考えないというんじゃなくて、ただ、今は歌が中心になってる。『スカーレット』は女性の人に聴いてほしい。詞に出てくる10人の女の人はみんな夢をもってる人だし、きっとどこか似た部分を感じてもらえると思うんです。でも男の人にも、”こういう女の子いいな”って感じてほしいし、結局、両方に聴いてほしいんですよ。フフッ、ちょっと欲張りかな。↑(画面右上)奈保子の努力の結晶。自筆による画面。(画面左下)「これが奈保子!?」と評判のジャケット。撮影:松浦正典氏
2024.11.30
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1986年10月21日、河合奈保子さんの13枚目のアルバム「スカーレット」が日本コロムビアから発売されました。全10曲が入っており、奈保子さんが全曲を作曲し、作詞は吉元由美さん、プロデューサーは売野雅勇さんです。このアルバムの最後に、「ハーフムーン・セレナーデ」が入っていますが、この曲が人気となり、1986年11月26日には、シングルカットされた同曲のレコードが発売となりました。この頃のパンフレット、そしてアルバム「スカーレット」を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ "Scarlet" NAOKO KAWAI MY SONG ONENEW ALBUM 10/21 ON SALE河合奈保子、全曲書き下ろしによる第1回作品。作曲家、河合奈保子による、これはアーティスト声明だ。↓ 河合奈保子さん。「知っているわ、もう」「奈保子から、同世代の女性達に贈る心に響く、美しいアンソロジーだ。 ー 林哲司」↓ 「けれど、誰にもあるわ。」「美しい時代を生きる10人のドラマ。すべてが私であり、あなただと思う。 ー 残間理江子」ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ スカーレット :Scarlet /河合奈保子/日本コロムビア全作曲:河合奈保子、 全作詞:吉元由美、 プロデュース:売野雅勇、 フォトグラファー河合奈保子 初12頁カラー・フォト・ストーリー付ソング・ライター河合奈保子の第一回作品。これは奈保子の記念すべきアーティストマニフェストだ!あなたに聴いてほしい。↓ 裏面。緋(あか)の少女~スカーレット・・・・”スカーレット”は、人の名前であると同時に”緋色(あかいろ)”の意味を秘めています。十人十色・・・・・。10人の女性は、一曲一曲の中で様々なドラマを描き上げています。奈保子自身で、女性・生き様をメロディにのせてみたい・・・・。その夢が、アルバム”スカーレット”なのです。23歳、河合奈保子。少女と女性との趣が見え隠れする奈保子の中には、少女である自分自身、女性に気づく自分・・・・・。どちらもまぎれもなく人間、河合奈保子の姿です。揺れ動く自分さえも今だから大切にしたい。与えられた音楽活動に参加するのではなく、ピアノから出る生音からスタートした音作り、創作部分に加わることにより、足跡を残すような音楽づくりに携わっていきたい。そして、この”スカーレット”が、着実な一歩となるよう願いながら・・・・。↓ (サイド1)① スウィート・ロンリネス② 雨のプールサイド③ ロードサイド・ダイナー④ ヘミングウェイのダンスホール⑤ 思い出のコニーズ・アイランド↓ (サイド2)① 夢見るコーラス・ガール② 緋の少女③ ムーンライト急行④ クラブ・ティーンネイジ⑤ ハーフムーン・セレナーデ↓ ハーフムーン・セレナーデ↓ アルバム「スカーレット」の歌詞・奈保子さんフォトストーリー。(撮影:五味彬、河合奈保子。 文:吉元由美)↓ 河合奈保子さん。↓ 「ハーフムーン・セレナーデ」のページ。河合奈保子さんの撮った写真。
2024.11.29
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1986年11月16日、TBS東芝日曜劇場ドラマ『指のほくろ』で、河合奈保子さんが初ドラマ出演をされました。原作は佐野洋さんの「香水と手袋」で、脚本は岡本育子さん、音楽は若草恵さん、プロデューサーは石井ふく子さんです。出演は河合奈保子さん、竹脇無我さん、香山美子さん、荻島真一さん、芽島成美さん、永光基乃さん、柄沢次郎さん、松居直美さん、松澤一之さん、谷口誠さんなどです。河合奈保子さんは法律事務所勤務の調査員役で、事務所所長役は竹脇無我さん、結婚式場で出会う女性役は香山美子さんです。所長の指にはほくろがあり、易者から「付き合う女性を不幸にするほくろ」と言われています。7年前には所長の婚約者が殺されています。奈保子さんは事情を調べ始めます。ーーーーーーーーーーー↓ TBS東芝日曜劇場ドラマ『指のほくろ』 左から、河合奈保子さん、竹脇無我さん、芽島成美さん。↓ 指のほくろ。 舞台は東京・新宿。↓ 河合奈保子さん。↓ 宝田咲子役の河合奈保子さん。↓ 法律事務所に出社した奈保子さん。↓ 芽島成美さん、河合奈保子さん、竹脇無我さん。↓ 竹脇無我さん、↓ 河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんと香山美子さん。↓ 香山美子さん。↓ 河合奈保子さんと永光基乃さん。ーーーーーーーーーーー原作: 佐野洋/香水と手袋/文春文庫/文藝春秋。
2024.11.28
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河合奈保子さんは作曲、レコーディング、コンサート、TV、ラジオ番組出演と多忙な日々を送られていましたが、1986年秋には初めてドラマに出ることが決まり、台詞を覚えたり演技をしたりと大変でした。ドラマはTBSの東芝日曜劇場で、タイトルは「指のほくろ」です。1986年11月16日に放送されました。この頃の雑誌切り抜きと、「奈保子しんぶん Vol.39 /昭和61年(1986年)12月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」の記事ががあるので、一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子 デビュー7年目のドラマ初体験】台詞は多め NGは少なめね。とっても意外なんだけど、奈保子がドラマに出演するのは初めてなのである。計画としては今年の初め頃からあったんだけど、「本人の適性とスケジュールの関係」(スタッフの話)で、ここまでのびのびになっちゃったのである。「演技の勉強? 何をすればいいのかもわからないんです」と奈保子は弱気なんだけど、それももっともなコト。共演が竹脇無我、香山美子の大ベテラン。しかも1500回以上も続いている東芝日曜劇場(TBS系、1986年11月16日放送)なんだもんね。役柄は、年上の弁護士にほのかな思いを寄せる明るくておっちょこちょいの女性。「ほとんどの地のままの」”女優”奈保子にじっくり注目してみよーか。↓ 河合奈保子さん。↓ 女優の香山美子さんと河合奈保子さん。↓ 移動の車でも台本を読むほど熱中しています。 (撮影:青柳宏伸氏)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.39 /昭和61年(1986年)12月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」【お芝居は音楽への心の充電】1986年11月16日にオンエアーされた、TBS・東芝劇場『指のほくろ』。みなさん、もちろん御覧になったはず。素直な中にキラリと光る演技を見せた奈保子に、大拍手を贈りたい気持ちです。「初めてお芝居をするということで、まわりのスタッフはもとより、竹脇無我さんや他の出演者の方に、たいへん暖かな指導を受けました。収録中を振り返ってみると、楽しかったことばかり思い出します」台本読みのとき、無我さんのセリフまで言ってしまい、「僕のセリフをとらないでよ!」と言われたこと。気迫ある演技に、OKが出た瞬間、スタジオ中が拍手喝采になったことなどなど。でもーもちろん生やさしいものではなかったことも事実。「どうしてもうまくいかないシーンは何度もありました。そんなとき、演じるのではなく”奈保子”だったらどうするか?」ということで、ずいぶん監督さんから問われたりもしました」自然に動けるまで、同じセリフと動作を繰り返し、その度に自問自答。「こんなとき、私だったら。こんなとき、私だったら・・・」少しでも休み時間があると、スタジオの片隅で、奈保子は納得いくまで一人芝居を続けていたとか。「OKが出ると、もう飛び上がるほど嬉しかった。例え主役でも、お芝居は完全な共同作業。OKの声のあとに、みんなで肩をたたき合って喜び合うことが、最大の楽しみでもあったのです。「普段、何気なくしている仕種って、イザ思い出そうとしても、なかなか思い出せないんですね。でも、改めて自分自身のことを思い描いたとき、”ああそうだ、私はこうなんだ”って、気が付くことがいっぱいありました。極限に追い込まれた苦しさも教えられました・・・と。それは音楽をやっていく上での苦しさと同じ。でもどこか違う。このどこか違うことがきっと奈保子の人間性、音楽性に大きなプラス要素をもたらすことでしょう。「音楽になんらかの影響があると信じて、ドラマを体験したのですから」奈保子の軸は音楽。それはゆるぎないもの。今後、またお芝居を体験するとしても・・・。ひとつの仕事を、駆け足でこなすのではなく、すべてが音楽の充電であるのです。ドラマ収録を終えた今、奈保子はまた新しいメロディを奏でているに違いありません。↓ 河合奈保子さん。ドラマ「指のほくろ」の記事。↓ 河合奈保子さんがTBSドラマ「指のほくろ」の台本を持つ。↓ 劇中の衣装は、すべて奈保子がアイデアをだしてそろえてもらった。↓ セット変え最中も、マネージャーのはづきちゃん相手にセリフの練習を。↓ マイクを通してプロデューサーからチェックが入る。一言も聞きもらせない緊張感が。↓ 俳優の竹脇無我さんとともに立ち稽古。ドラマ初体験といえども、甘えは決して許されなかった。↓ お酒に酔うシーン。酔った経験のない奈保子が、実はいちばん苦労したシーンだった。↓ 控室。次のシーンのセリフを復唱しながらの準備で、気の休まるヒマがない。
2024.11.27
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1986年9月24日の「夜のヒットスタジオDELUX」のマンスリーで、ヴァイオリニストの漆原啓子さんが出演されました。河合奈保子さんが「ハーフムーン・セレナーデ」をピアノを弾きながら歌う時、漆原啓子さんがヴァイオリンを弾いて、美しい音色を奏でられ、素晴らしい共演で聴きごたえがありました。番組では古舘伊知郎さんが「あの天才的ヴァイオリニスト、漆原啓子さんが一緒にやってくれるということで、どうぞこちらに」と言って漆原さんを迎えました。漆原さんは今回の出演のきっかけについて、「たまたまこのバンドの方で、私の先生のお友達がいらして、私のヴァイオリンの先生からこういうのはどうかと話があった」と言いました。芳村真理さんが「奈保子ちゃんは大好きですか?」と聞き、漆原さんが「大好きです」と答えると、奈保子さんは本当に嬉しそうな笑顔でした。芳村さんは「ヴァイオリンは5歳の頃からされていて、国際コンクールには入賞するわ、若手の代表で、もうバリバリ、天才ヴァイオリニストと言われている方でらっしゃるんですけれども」と漆原さんを紹介されました。そして「このような、クラシック以外の演奏は?」との質問に、漆原さんは「ジャズっぽいものまでですね。こういうのは初めてです」と答えられていました。ーーーーーーーーーーーー漆原啓子さんはその後も大活躍をされており、オフィシャルサイトをリンクします。漆原 啓子 – ヴァイオリニスト・漆原 啓子 Official Websiteーーーーーーーーーーーー1986年9月24日の「夜のヒットスタジオDELUX」のマンスリー。河合奈保子さんとヴァイオリニストの漆原啓子さん。司会は古舘伊知郎さんと芳村真理さん。↓ ヴァイオリニストの漆原啓子さん。↓ 河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 漆原啓子さんのオフィシャルサイト。
2024.11.26
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河合奈保子さんは1986年9月24日の「夜のヒットスタジオDELUX」・マンスリー企画で、高校時代のマンドリン部の先生と友人たちと再会し、部活の様子が話題になりました。私の手元にある雑誌の切り抜きに、奈保子さんの部活に関する記事があるので、一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーー「23才の本音インタビュー 撮影:武藤義、取材・文:小野緑」ピアノ、トロンボーン、マンドリン・・・。いつも身近なところに音楽があったから。彼女と話していると、音楽が好きで好きでたまらないということが、身体中から伝わってくる。小さいときから、彼女の周りには、音楽があふれていた。クラシック・ピアノを習い始めたのは、小学校1年のとき。「最初は家に古~いオルガンしかなかったんだけど、それを私がちょこちょこ弾いてるのを見て、両親が”そんなに好きなら”って、ピアノを買ってくれたんです。うちの父なんて、平凡なサラリーマンですから、ピアノなんて高価なものをドーン!と買うのは大変なことだと思うんですよね。だから、両親には、すごく感謝してます」ー小さいときは、どんな歌が好きでした?「歌謡曲なんかも好きで、南沙織さんとか、太田裕美さんとか・・・。太田裕美さんの『雨だれ』がだいすきでねェ。ピアノのフレーズが載っている楽譜を買ってきて、一生懸命弾いたなあ。あと、父の歌の伴奏もやらされて・・・。城ヶ島がナントカっていう古い歌がありますよね(笑い)。だから、友達に”奈保子、どうしてこんな歌知ってんの?”って言われるような昔の歌も、けっこう知っているんですよ(笑い)」ーそれからずーっと、ピアノばかり?「いえ、楽器はほかにもいろいろやりました。音楽関係のクラブに、ずっと入っていましたから。中学のときは、フルートがやりたくて、器楽部に入ったんです。そしたら”フルート”は人数足りているから、トロンボーンやって”なんて言われちゃって(笑い)。同じクラスのあけみちゃんっていう子とふたりで入部の申し込みにいったんですけど、”あっ、ちょうどいいから、ふたりトロンボーンね”なんて勝手に決めちゃって、奥のほうから、なんだかさびたようなトロンボーンを出してくるんですよ(笑い)。”マウス・ピースは自分で買って”なんてね。もう”ハーイ・・・”って感じでやるしかないわけですよ。トロンボーンですよ。女のコが。もう、恥ずかしくてね。私はフルートがやりたかったのにねェ。あれは、今でも後悔しています(笑い)。でも、やるからには頑張ろうって誓い合って、ふたりで一生懸命やってたんですけど、盛り上がらないクラブでねェ。部員は増えないし、活動として華やかな場といったら、体育祭の表彰式だけですからね(笑い)あんまりひどいんで、1年でやめちゃいました。高校では、マンドリン部に入ったんです。たまたまマンドリンの素敵な曲を耳にしてから、すっかりやりたくなってね。それに、私の行った高校って、マンドリン部がすごく有名だったんです。今度こそと思って入部しに行ったら、今度は、”もう人数いっぱいなんで、ギターに回ってください”なんて(笑い)。ひどいでしょう。ホントについてないの。で、私も”私はマンドリンがやりたくてここへ来たわけですから、ギターならやめます!”って頑張ったんですよ。そしたら、”それほど言うなら”って、先輩も認めてくれましたけどね。伝統のあるクラブだったから、練習は厳しいし、定期演奏会や演奏旅行なんかがあって、けっこう大変でした。でも、おかげで音符にはなじめました。曲が決まると、先輩からいただいた譜面を、自分で写さなきゃいけなかったから。それが今、すごく役だってますね」トロンボーンこそ吹かないが、今でもマンドリンはときどき手にする。そして、ピアノは彼女の分身になった。ちゃんと防音の囲いをしてあるので、夜中でも好きなだけ弾けるのだそうだ。メロディーがいっぱい浮かびすぎて「頭がウニになっちゃう」こともあるなんて、すごい発言がサラリと出たりして・・・。ーどういうときに、メロディーって浮かぶものなの?「映画を見たり、初めての仕事で緊張した日って、気持ちがなんとなく高ぶるでしょう。そういうときに浮かぶことが多いですね。で、思いついたらピアノに向かって弾いて、テープに録っておくんです。いつ録音したテープかわからなくならないように、最初に”何月何日、何々の仕事が終わったあとです”なんて入れて。あとで聞くと”なんて疲れた声してるんだ”って、自分で笑っちゃいますよ。ごていねいに、ピアノのそばにある時計の時報が”ピポッピポッ”って入ってるのもあるし、家で飼ってる犬の声が入ってるのもあるし、もう、日記みたい(笑い)。きっと私って、強制されたら曲なんかつくれないんじゃないかななあ。プレッシャーに弱いから(笑い)」
2024.11.25
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1986年9月24日の「夜のヒットスタジオDELUX」ですが、河合奈保子さんがマンスリーで「ハーフムーン・セレナーデ」を披露しました。司会の古舘伊知郎さんと芳村真理さんが河合奈保子さんを囲み、マンスリーの話をし、そして奈保子さんが高校時代にマンドリン部で頑張った話になると、当時のマンドリン部の先生とクラブの友人たちが現れたので、奈保子さんはびっくりしていました。やり取りの一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーー古館さんが「いよいよマンスリー。河合奈保子さんの登場です」と言って奈保子さんを迎えました。「よろしくお願いします」と挨拶をする奈保子さん。芳村さんが「大変でした?この一か月」と聞くと、奈保子さんは「なんだかすごく早かったです。あっという間に今日という感じで」と答えました。「頑張り屋のあなたなんだけれど、やはりこのマンスリーは大変でしょうか?」との質問に、「いつもヒットスタジオで歌う時はドキドキするんですけど、(マンスリーは)もう一つ緊張度が増したというか・・・」と話しました。古館さんが「河合奈保子さんが音楽に傾倒していくきっかけとなった楽器というと何ですか? 学校時代」と聞くと、「小学校のときにずっとピアノを、中学の時には少しですけど管楽器でトロンボーンをやったことがあります。高校の時にマンドリンをやりました」と奈保子さんが答えました。それを聞いて古館さんが「高校の時にマンドリン!そうですね!マンドリンですね!一生懸命やったんですね!血を出すほどにマンドリンを!」と話し、奈保子さんも「血マメとかできました」と言います。芳村さんが「(クラブは)楽しかったのよねー」と向けると、奈保子さんは「ええ。厳しいクラブでしたけれど、やってて良かったと思います」と答えます。すると芳村さんが「皆さんに来ていただきました!」と言い、古館さんも「マンドリン部の先生と同級生、お友達のみなさんです。入ってください」と言って、先生、友人を迎えました。奈保子さんは皆さんの来場に驚き、そしてマンドリン部の先生にお辞儀をして握手をしました。古館さんが「先生、(奈保子さんは)どんな生徒だったですか?マンドリン部で」と聞き、先生は「そうですね、(高校)1年生の時は非常によくできましたね。(奈保子さんが芸能界に入るので退部することになり)この人、マンドリン部から抜かれるのは非常に痛かったんですけど、まあ、仕方がなかったですね。(マンドリンは)とても良くできました」と奈保子さんについて話しました。皆さんに会えてびっくりする奈保子さんが、後ろの席の中森明菜さんに振り向き、明菜さんも笑顔を奈保子さんに返していました。古館さんが「その当時の写真、入手しております」と言って、高校のマンドリン部の写真パネルを見せました。「河合奈保子さんが真ん中です。あれ?河合奈保子ちゃんだけ制服着てませんね?」と言い、奈保子さんが「あれ、私がデビューが決まって・・・」と話し、先生が「この頃は(芸能界入りの為)退学することが決まっていましたので」と続けました。その後は、友人たちによる楽しい奈保子さんの思い出話が出ました。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 1986年9月24日の「夜のヒットスタジオDELUX」。古舘伊知郎さん、河合奈保子さん、芳村真理さん。↓芳村さんが「大変でした?この一か月」と聞く。↓「なんだかすごく早かったです。あっという間に今日という感じで」と奈保子さん。↓「いつもヒットスタジオで歌う時はドキドキするんですけど、(マンスリーは)もう一つ緊張度が増したというか・・・」↓ 古館さんが奈保子さんの学生時代の楽器を聞いた。↓ 古館さんが「高校の時にマンドリン!そうですね!マンドリンですね!一生懸命やったんですね!血を出すほどにマンドリンを!」と話す。↓ マンドリン部の先生とクラブの友人たちが来ていることを知って、ビックリした奈保子さん。↓ マンドリン部の先生にお辞儀して握手する奈保子さん。↓ マンドリン部の先生が、当時の奈保子さんについて話された。↓ 後ろの中森明菜さんを見る奈保子さん。↓ 笑顔の中森明菜さん。↓ 古館さんが当時のマンドリン部の記念写真パネルを出した。↓ 中央は河合奈保子さん。↓ 当時を語る奈保子さん。
2024.11.24
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「夜のヒットスタジオ DELUX」で、歌手が1か月連続で番組に出場し、毎回違った趣向で歌手の魅力を引き出す「マンスリー(ゲスト)」というコーナーがありました。1986年9月は河合奈保子さんが毎週「マンスリー」に出演し、最後の週は「ハーフムーン・セレナーデ」を歌いました。「奈保子しんぶん Vol.38 /1986年10月/芸映友の会 河合奈保子FC編集部」には、この「マンスリー」の事や、アルバム「スカーレット」の発売に合わせてノルウェーで撮影したビデオの話も書いてあるので、紹介します。ーーーーーーーーーーーーーー奈保子の魅力がビデオの中で輝きます・・・。ビデオ収録のため、夏は長期に渡りノルウェーに行ってきました。すでに編集も終わり、あとは発売を待つばかりです。アルバム「スカーレットとともにお楽しみくださいね。ノルウェーは奈保子の大好きな北海道の香り(1986年)9月いっぱいで「夜のヒットスタジオ」のマンスリーを務めあげ、ホッとひと息の奈保子。毎週、本当にがんばってくれました。「私にとっての8月、9月は、とてもめまぐるしかった。ノルウェーから帰ってきたら、すぐにマンスリーのリハーサル。毎週着る衣装の打ち合わせにも立ち会ったし、振りつけのレッスンも入り、毎日毎日が猛スピードで過ぎていった感じがします」でもどんなに忙しくても、最年少でマンスリーに選ばれたことに誇りを感じ、堂々と歌い上げてくれました。「マンスリーの選曲は、フジテレビのプロデューサーとともに決めたんですが、最後の週に『ハーフムーン・セレナーデ』を、と希望したのは私だったんです。はやりどうしてもこの曲でしめくくりたかったから・・・」大きな番組のマンスリーを経験して、奈保子はまたひとまわり成長してくれたことでしょう。さて、待望のアルバム「スカーレット」がもうすぐ(10月21日)に発売になります。そしてノルウェーで収録してきたビデオも・・・。ところでノルウェーって、どんな国なのかな?「不思議な国でした。太陽が当たってる所はポカポカしてて、陽が陰るとものすごく寒くなるんです。だからファッションもまちまちで、ノースリーブ着ている人もいれば、毛皮を着ている人もいました。私はその中で、ずっと秋っぽいものを着ていました(笑)」広大な土地、あふれる自然。日本でいうなら、まるで北海道のようなイメージがしたそう。「ときどき、ふっと北海道にいるような錯覚を起こしてました。自然がいっぱいで、やすらぎましたね」奈保子の北海道好きは有名。だから、もちろんノルウェーも大好きになったとか。気になるビデオの内容は?「全体的なストーリーはなく、自然の中に私がいるという感じです。キャッキャッとおきゃんなシーンもあれば、しっとりムードもある・・・。曲のイメージに合わせて撮りました」ときにファンが毎回期待するピアノのシーンは?「フフフ・・・。これまでピアノは3パターンあったけど、今回は、実はノーマルです(笑)。私がバーでピアノを弾きながら、昔の恋人のことを思い描いている・・・というストーリーなのです。ムード満点ですよ!」10社のデザイナーズブランドのファッションを、奈保子がどう着こなしているかも楽しみなところ。またまた見ごたえのあるビデオですよ!ーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん「奈保子しんぶん Vol.38 /1986年10月/芸映友の会 河合奈保子FC編集部」より。↓ 【奈保子さんのメッセージ】お元気ですか?みなさん。暑かった夏も過ぎて、もう秋なんですね。この秋は、いろんなファッションにチャレンジしたいなあ・・・なんて思っています。ガンバ!さて、いよいよ(1986年)10月21日、New Album「スカーレット」が発売になります。全曲、私自身で作曲したAlbumは、今回初めて。ぜひ、聴いてくださった人、私まで感想をおくってください!!待ってます。それでは、涼しい季節になりましたので、身体には十分気をつけて下さいね。NAHOKO
2024.11.23
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1986年9月20日(土)、東京都千代田区北の丸公園の日本武道館にて、芸映プロダクション主催、ユニセフ協賛のチャリティーイベント『EARTH ARC : アース・アーク』が開催され、河合奈保子さんが出演されました。奈保子さんは「刹那の夏(せつなのなつ)」、「デビュー ~FLY ME TO LOVE~」、「涙のハリウッド」、「THROUGH THE WINDOW:スルー・ザ・ウィンドウ」、「ジェラストレイン」を連続して熱唱しました。5曲を歌った後、奈保子さんは観客に次のメッセージを伝えます。「(聴いていただき)ありがとうございます。あらためまして、河合奈保子です。『EARTH ARC : アース・アーク』、もう後半に入ってきましたけれども、本当に今日、大勢の皆さんが来てくださって、そしてまた、同じ事務所のスタッフ、タレントさん、全てが集まる集いっていうのは、本当になかなかできなくて、そしてこういう素敵な催しができたこと、とても嬉しく思います。世界中でも、私なんかがまだまだ知らないこと、大きな苦しみを抱えてくる人々もたくさんいますが、でもそんな人たちに少しでも今日の集いが支えになればいいなと思います。本当に今日は皆さん、どうもありがとうございます。」お辞儀をした奈保子さん。次は「ハーフムーン・セレナーデ」を紹介します。「最後に、実は私自身、一昨年の秋から曲作りを始めてるんですけど、去年の秋に作った曲で、とても好きな曲があります。まだ息が弾んでて、上手く歌えるか分かりませんが、精いっぱい歌いたいと思います。『ハーフムーン・セレナーデ』。聴いてください。」ーーーーーーーーーーーー奈保子さんが「ハーフムーン・セレナーデ」を歌う姿を紹介します。すでに5曲を連続で歌ったので、顔や首には輝く汗がいっぱいです。ライトに照らされた美しい河合奈保子さん。光る汗を流しながら熱唱する姿は、心が激しく揺さぶられます。また、このような美しい曲を作った奈保子さんの才能を実感しました。「ハーフムーン・セレナーデ」なら、個人的には汗が光り輝くこの映像が一番好きです。ーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。 「『EARTH ARC : アース・アーク』、もう後半に入ってきましたけれども、本当に今日、大勢の皆さんが来てくださって、そしてまた、同じ事務所のスタッフ、タレントさん、全てが集まる集いっていうのは、本当になかなかできなくて、そしてこういう素敵な催しができたこと、とても嬉しく思います。」↓ 「世界中でも、私なんかがまだまだ知らないこと、大きな苦しみを抱えてくる人々もたくさんいますが、でもそんな人たちに少しでも今日の集いが支えになればいいなと思います。本当に今日は皆さん、どうもありがとうございます。」↓ お辞儀をする奈保子さん。↓「最後に、実は私自身、一昨年の秋から曲作りを始めてるんですけど、去年の秋に作った曲で、とても好きな曲があります。」↓ 「まだ息が弾んでて、上手く歌えるか分かりませんが、精いっぱい歌いたいと思います。『ハーフムーン・セレナーデ』。聴いてください。」↓ 「ハーフムーン・セレナーデ」を歌う河合奈保子さん。↓ 光り輝く汗!
2024.11.22
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1986年9月20日(土)、東京都千代田区北の丸公園にある日本武道館で、ユニセフ40周年・国際平和年称賛イベント「アースアーク:EARTH ARK」に河合奈保子さんが出演し、まずは「刹那の夏」、「デビュー ~FLY ME TO LOVE~」、「涙のハリウッド」、「THROUGH THE WINDOW :スルー・ザ・ウィンドウ」、「ジェラストレイン」を連続して歌いました。(その後に、「ハーフムーン・セレナーデ」を歌い上げます)この時の資料、映像を少し紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ ユニセフ40周年・国際平和年協賛イベント9/20 武道館に何かが起こる?(1986年)9月20日 (土) 16:00開場、17:00開演日本武道館S-4,500円、Aー3,500円、Bー2,500円(尚、入場料のうち100円はユニセフを通じて開発途上国の子供たちへ贈られます。)奈保子が9月20日(土)に武道館で行われる国際平和年協賛イベントに出演します。歌あり楽しいおしゃべりありの、1986年最大の音楽イベントです。ぜひ、こぞって御参加下さいね。ちなみに、奈保子恒例の秋のリサイタルは今年は行われません。その分、この武道館イベントでめいっぱい奈保子を応援してください。《他の主な出演者》角川博、石川秀美、風見りつ子、神野美香、芳本美代子、志村香、西村知美、今井美樹、菊池桃子、1986オメガトライブ、井浦秀和、池田政典、篠ひろ子、岸本加世子、清水由紀子、相本久美子、安奈淳、青江薫、鷲見利恵、左とん平。ーーーーーーーーーーーー↓ 「かなりや VOL.31 /昭和61年(1986年)11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ 初のチャリティーイベント”世界に響け! 奈保子のメロディー”去る(1986年)9月20日、武道館にて芸映プロダクション主催、ユニセフ協賛のチャリティーイベント『EARTH ARK : アース・アーク』が開かれました。当日は朝からの雨で、足もとが悪いにもかかわらず、立ち見がでるほどの大盛況。芸映のアーティストが全員出演で、奈保子は最後のトリを務め、立派にイベントを盛り上げてくれたのです。本番前の記者会見では「私でも、少しはお役に立てれば・・・と思い参加させていただくことになりました。」と、その熱い思いを語り、まさにこの日は”世界の奈保子”のような大らかな歌いっぷり。ラストでは総立ちの大フィーバーで、芸映プロダクションの大トリを、見事に果たしてくれたのでした。この日集まった入場料の一部は、ユニセフを通じ、世界の恵まれない子どもたちのもとへ無事送られました。参加してくださったみなさま、ありがとうございました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1986年9月20日(土)、日本武道館で行われたユニセフ40周年・国際平和年称賛イベント「アースアーク:EARTH ARK」に河合奈保子さんが出演し、まずは「刹那の夏」、「デビュー ~FLY ME TO LOVE~」、「涙のハリウッド」、「THROUGH THE WINDOW :スルー・ザ・ウィンドウ」、「ジェラストレイン」を連続して歌いました。↓ 日本武道館会場ーーーーーーーー↓ 「刹那の夏」(せつなのなつ)↓ 河合奈保子さん。ーーーーーーーー↓「デビュー ~FLY ME TO LOVE~」ーーーーーーーー↓「涙のハリウッド」。ーーーーーーーー↓「THROUGH THE WINDOW :スルー・ザ・ウィンドウ」ーーーーーーーー↓「ジェラストレイン」
2024.11.21
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「かなりや VOL 30 /昭和61年(1986年)8月/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」を見ると、1986年7月24日の河合奈保子バースデーコンサート・STARDUST PARADISEのレポートや、1986年10月21日にリリースされるNEWアルバム「スカーレット」の記事があります。アルバム「スカーレット」については「先鋭クリエイターたちによるLP・写真集・ビデオが完成!!」と書いてあり、今回ノルウェーで撮ったビデオや写真は、プロデュースをされた売野雅勇さんのブレーンの方々が集まって作った作品だそうです。記事の内容を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーー↓「かなりや VOL 30 /昭和61年(1986年)8月/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ 1986年7月24日の河合奈保子バースデーコンサート・STARDUST PARADISEの奈保子さん。↓ 【奈保子さんのメッセージ】お元気ですか? 奈保子です。夏休みも、もう終わり。宿題はバッチリですか。まだの人は急いで下さーい!!ガンバッテ!!9月に入ると、今度、夜のヒットスタジオデラックスのマンスリーで毎週出演します。10月21日出る「スカーレット」、私の新しいアルバムからも歌いたいな・・・なんて考えています。ぜひテレビを観ての感想なども聞かせてください。あがり症の奈保子だけど、頑張りますからネ。それでは・・・また・・・ NAHOKO↑ この頃から、芸名の「NAOKO」ではなく、本当の読み方の「NAHOKO」となっている。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 先鋭クリエイターたちによるLP・写真・ビデオが完成!!10月21日発売のアルバム「スカーレット」が発売前から大評判!ということで今月は、その魅力の大研究。売野さんとの出会いが奈保子の世界を拡げた。8月、奈保子はビデオ撮影のためノルウェーに行ってきました。同時に写真集の撮影と10月21日発売予定のニューアルバムのプロモーションビデオの撮影も兼ねて、かなりハードなスケジュールの中であったにもかかわらず、かなり自信の持てるものに出来上がったと自信満々。このニューアルバム「スカーレット」は、奈保子が今年はいろいろなことにチャレンジしていきたい!と年頭に語った願いのうちひとつが叶えられたもの。全10曲、各曲にヒロインがいてその10人の女性を奈保子が歌で表現するオムニバス形式の内容。発売が待ち遠しいですね。今回、ノルウェーでの撮影はあの有名なフィヨルドをバックにムードたっぷりな奈保子・・・期待させられます。そしてプロモーションビデオもアルバムに沿ったイメージで作られていて、これは一見の価値ありですよ。たとえば、10社のデザイナーズブランドを衣装として使ったわけです。奈保子がこれを、どんなふうに着こなしているのか?と、興味深い内容になっています。また、ノルウェーの風景の中に、奈保子がどのように溶け込んでいるのか?というのも気になる部分ですね。尚、ビデオは12月1日に発売予定です。今年後半の奈保子は、映画「風と共に去りぬ」のスカーレットのイメージがただよい何やら情熱的!もともと奈保子にスカーレットのイメージを感じたのは、作詞家であり今回のプロデューサーでもある売野雅勇さんなのです。そして!そしてですね、今回ノルウェーに行って撮ってきたビデオや写真は、売野さんのブレーンである仲間たちが(売野さんは広告業界の出身者なので、知り合いは多いのです)、集まって作った作品です。そうした各分野で活躍している一流のクリエーターたちが、奈保子をどう表現してくれるのかな・・・というのも今回の楽しみのひとつになっているというわけです。でも、そのクリエーターたちのひとり、カメラマンの五味彬さんの撮った「スカーレット」のアルバムジャケット写真を見たら、きっとみんなは驚いてしまうハズ。そして多分、誰もがすぐに奈保子だということをわからないかもしれないかもしれません。この思い切った奈保子の冒険心には、拍手を送りたくなるほどステキな写真なのです。五味さんは、今や広告業界でNO.1のカメラマン。奈保子は、五味さんみたいなすばらしいカメラマンに知り合えたことによって、とても勉強になりました、とのこと。特に奈保子が”スゴイ!”と思ったのは、奈保子本人でも気がつかなかった表情を撮ってくれていたこと。では一体どんなジャケット写真なのか?と気になるところですが、昔の50年代風モデル写真・・・とでもよびましょーか。奈保子の顔がアップで写っていて、全体的に白くぼかしてある・・・抽象的かな?ちょっと不思議っぽいムードです。ぜひ、ジャケット写真も期待してくださいネ。ところで、毎年恒例のEAST(奈保子さんがよみうりランドEASTでバースデーコンサートを行っている)が9月1日にライブビデオとして発売されます。こちらの方もお楽しみにネ!
2024.11.20
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1986年7月24日、河合奈保子さんの23歳バースデーコンサートがよみうりランド・イーストで行われました。コンサートの最後には、奈保子さんが「ハーフムーン・セレナーデ」を熱唱しました。奈保子さんが全曲作曲し、10月に発売されるアルバム「scarlet スカーレット」の中に収録されている曲です。奈保子さんの心の中にある力強さが、バラードとして紡ぎ合わされて出来たような、素晴らしい曲です。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 「ハーフムーン・セレナーデ」を歌う河合奈保子さん。「NAOKO'86 Stardust Paradise in EAST / 河合奈保子/日本コロムビア」より。
2024.11.19
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河合奈保子さんは23歳の誕生日である1986年7月24日に、よみうりランドEASTでバースデー・コンサートを行いました。このコンサートの目玉ですが、最後のアンコールの部分で、奈保子さんが人気3曲の「デビュー(Fly Me To Love)」、「涙のハリウッド」、「ハーフムーン・セレナーデ」を歌ったところです。コンサートの様子について、雑誌の切り抜きを記載します。また、DVD「NAOKO'86 STARDUST PARADISE in EAST/河合奈保子/日本コロムビア」から、アンコールの「デビュー(Fly Me To Love)」、「涙のハリウッド」の様子を紹介します。ーーーーーーーーーーーーー↓ 快感ステージ・夏!at よみうりランドEAST河合奈保子 熱狂!バースデー・コンサートわたしのニューイヤーズ・デイ! きょうから23才ヤッタア晴れた! 奈保子はテルテル坊主を3つも作って7月24日が晴れになるように祈ってた。なぜなら、4回めのEASTでのバースデーコンサート日だから、この日、奈保子は8千人のファンに囲まれ、光のピラミッドの中で、23才になった喜びを実感。「毎年ひとつずつ夢がかなうんです。今年は全曲私が作曲したアルバム スカーレット が秋にでます」息をはずませながら心もはずんだ。↓ アンコールで歌う河合奈保子さん。↓ 奈保子の笑顔は永遠不滅なのであります!↓ 23's NAOKO バースデーケーキ。↓ オールディーズとロックに酔ってダンス天国。↓ この日新曲『刹那の夏』も発売。ーーーーーーーーーーーーー↓ DVD「NAOKO'86 STARDUST PARADISE in EAST/河合奈保子/日本コロムビア」。↓ アンコールは、奈保子さんの素晴らしい人気3曲である「デビュー(Fly Me To Love)」、「涙のハリウッド」、「ハーフムーン・セレナーデ」が歌われた。↓ NAOKO '86 in EAST.ーーーーーーーーーーー↓ 「デビュー(Fly Me To Love)」、「涙のハリウッド」を歌う奈保子さんの様子。
2024.11.18
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河合奈保子さんは「Lui Japon スコラ /昭和61年(1986年)12月11日発行/スコラ・講談社」で表紙を飾りました。雑誌の中には、河合奈保子さんのオランダ、ノルウェーで撮影された写真と、作詞家の吉元由美さんの文章と「短い命より長い接吻をください。」という言葉がありますので、紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーー↓「Lui Japon スコラ /昭和61年(1986年)12月11日発行/スコラ・講談社」「短い命より長い接吻をください。」河合奈保子撮:五味彬、文:吉元由美【吉元由美さん文章】河合奈保子アーティスト23歳奈保子さんの歌には柔らかくて硬い意志を感じる。肉体の意志ーとでも言うのだろか。肉体の一部分であるような無意識の豊かさから発せられる意志を感じるのだ。歌を離れると明るい23歳の女性であるのに、歌っている姿を見ると、その存在感の大きさに改めて驚いてしまう。小柄なのにステージではとても堂々としていて、大きく見える。才能とはこういうことなのだといつも思う。いつだったか、少し遅れててコーディング・スタジオに行った時のことだ。ディレクターの古池氏に「吉元さんが来てから、奈保子の歌がぐっと良くなった」と言われたことがあった。もちろん偶然のことかもしれないが、その時、奈保子さんも私も一緒に歌を創りながら闘っているのだな、と思った。河合奈保子が魂のままに創った曲に、私が魂を込めて作詞する。それを歌手河合奈保子が肉体の意志をもって歌う。この歌作りのそれぞれの段階で、お互い持ち得るものをぶつけ合っている。真剣勝負なのだ。アルバム『スカーレット』に収められている10曲は、河合奈保子と私の魂の子供たちだと思っている。河合奈保子の緋、自分の中に10人のスカーレットが存在しているーと彼女は言う。少女と女と、少女から女へと変わりつつ自分をそこに見つけたのだろう。この第1回作品集で、アーティスと河合奈保子が誕生した。無から有を生み出す苦しさが、奈保子さんの中で快感になったに違いない。同時に10人のスカーレットに出逢ったことによって自分と出逢い、世界を見つめる眼が以前にも増して深く優しくなったに違いない。奈保子さんの音楽への情熱や愛情には一点の曇りもない。河合奈保子の創る曲は誰に媚びることもなく、それは肉体の叫びに近い。それだけに生々しくて、美しいのだ。ーーーーーーーーーーーーーLOOK!(1986年)11月26日、シングル『ハーフムーン・セレナーデ』発売。12月10日、ノルウェーを舞台に、アーティスト河合奈保子のイメージ・ビデオ『スカーレット』(9,800円、日本コロムビア)発売。12月5日~14日、銀座山野楽器にて、河合奈保子写真展開催。奈保子の写真だけでなく、彼女、自ら撮影の風景写真も展示。彼女が撮らえたノルウェーは!? 腕前を拝見しよう。河合奈保子写真集『Scarlet スカーレット』発売中。ーーーーーーーーーーーーーー↓「Lui Japon スコラ /昭和61年(1986年)12月11日発行/スコラ・講談社」河合奈保子さんが表紙。↓ オランダ・アムステルダムの奈保子さん。
2024.11.17
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雑誌「Lui Japon スコラ /スコラ・講談社」ですが、1986年にインドネシア・バリ島、オランダ・アムステルダム、ノルウェーの取材写真記事を定期的に掲載し、河合奈保子写真集「スカーレット」の発行もされました。当時のスコラの切り抜きがあり、奈保子さんの欧州での写真があるので、順次紹介していきます。ーーーーーーーーーーーーーーー奈保子を、誰も知らない。 河合奈保子撮=五味彬 文=吉元由美ファッションディレクター:大貫ゆきこスタイリスト:くまがいさちこヘアー・メイク:こさひろこアートディレクター:出久根正彦アシスタントプロデューサー:生山美代子監修:香川洋三郎プロデュース:売野雅勇ーーーーーーーーーーーーーー【吉元由美さんの文章】女は女に生まれるのではなく、女になるのだ、という。その生命の中に、幾つもの蕾を抱いている。短い人生を通して咲いて散りゆくのではなく、その時々にいろんな花を咲かせる。ー それが女なのだと思う。今ここに、新しい花が開こうとしている。一人の女性の中にある少女と女。或いは少女から女へと移りゆく光と影に彩られて、23歳の花が咲こうと、その胸に熱を帯びている。無意識と、生きることへの静かに熱い情熱を吸って燃え立つ女がいる。誰も見たことのない花。誰もみたことのない、奈保子ーーーーーーーーーーーーーーーーLOOK!森と湖と白夜の国ノルウェーと、今ヨーロッパで最もアーティスティックな街アムステルダムで、河合奈保子自ら撮影した写真集『Scarlet スカーレット』。そして、全曲作曲によるニュー・アルバム『Scarlet スカーレット』。そこには、心の中の緋色を消せない10人の女性たちが登場します。それは同時に10人の河合奈保子でもあります。魂のままにシャッターを押し、被写体となり、情熱のままにピアノに向かい歌い上げた奈保子の緋。あなたに見てほしい。そして、あなたに聴いてほしい。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ ノルウェーとアムステルダムの河合奈保子さん。
2024.11.16
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「かなりや Vol.28 昭和61年(1986年)5月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」に、河合奈保子さんが描いた、ハレー彗星のイラストがあります。「ハレー彗星のつもり!! とにかくバリ島でみたハレーはきれいだった!!」とコメントが付いています。また、オリジナルアルバム「スカーレット」を制作中という記事も一緒に紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんのハレー彗星イラスト。↓ 「お元気ですか・・・ 奈保子です。私は、元気に毎日をおくっています。新曲のレコーディングも終わって、ホット一息という感じ・・・とっても素敵な曲ですから楽しみにしていてくださいネッ!それでは・・・また!!奈保子☆ΞΞΞΞΞ↑ハレー彗星のつもり!!とにかくバリ島でみたハレーはきれいだった!!」ーーーーーーーーーーーーーーー「オリジナルアルバム制作中奈保子のアーティスト性が、キラリ光る(1986年)5月6日から10日間にわたって行われたレコーディング合宿。発売日をまったく決めず、ゆったりしたペースで進められました。だから奈保子も思う存分レコーディングに集中できたとか。いったいどんなアルバムになるんでしょうね。とっても楽しみです。”スカーレット”の赤をイメージに曲作りを全曲奈保子が作曲し、作詞はコンサート曲の訳詞でお世話になっている吉元由美さん、そして総合プロヂュースをしてくださるのが、作詞家の売野雅勇さんです。曲作りに入る前に、打ち出されたコンセプトは”スカーレット”。名作「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラのイメージであり、またスカーレット色の女性であり、少女である・・・という、すべての曲の中には、”赤”をイメージとしたいろいろな女性がえがかれることになったのです。これまで奈保子が歌ってきた女性は、比較的”引くタイプ”が多かったように思います。例えば恋人をとられてしまった女性とか、愛を言い出せないせつなさやもどかしさを描いた女性などなど・・・。でもこのアルバムには、激情をかくせない女性がいたり、また逆につつましやかな女性がいたりと、世の中のいろいろなタイプの女性が表現されることになるのです。こうしてコンセプトが出来上がってから、奈保子は曲作りに専念しました。自分の中のイマジネーションを大きく広げ、常に”スカーレット”を意識しながら・・・。そして曲に詞がつけられ、5月6日からレコーディング合宿はスタートしました。この期間は、奈保子がレコーディングだけに集中できるようにと、取材などの他の仕事はいっさいナシ! おかげで奈保子は、気を取られることもなく、全神経を録音に集中できたようです。ただ、このアルバムは、もちろん10日間の合宿期間のみで完成したわけではありません。こぼれた分に関しては、6月に再び合宿を行って、レコーディングをすることになります。このゆったりしたスケジュールも、発売日を決めていないからこそ。やはり初めてのオリジナルアルバムはゆっくりと集中させてあげたいとう、スタッフのやさしい配慮のおかげです。とにかく奈保子は、このアルバム作りに熱く燃えています。なにしろオリジナルアルバムの評価が、そのまま奈保子のアーティスト性の評価につながるんですから・・・。でも奈保子自身は、評価などあまり考えていないのかもしれません。「いいアルバムを作りたい!」というこの一言だけが、奈保子を支えているんじゃないでしょうか。さて、では奈保子にインタビューをして、アルバムについて話してもらいましょう。(FC=ファンクラブ)FC:アルバムは、バラード色とロック色、どちらが主流になりそうですか?奈保子:私が作る曲調って、けっこうバラード調のものが多かったりするんですけど、決してバラードが主流のアルバムっていうのではないですね。いろいろなタイプの曲が入った、バラエティに富んだものをめざしていますから。FC:自分がレコーディングの主導権を握って、いちばん主張したことってなんですか?奈保子:主張というか、私がいちばん大切にしたのは、機械音じゃなくて、生の音なんです。今、コンピューター楽器がほとんど主流になっていますよね。すごく便利だし、おもしろい音出すし。でも私の気持ちとして、やっぱり人間が奏でる音っていうのが、いちばんハートに伝わるって思うんです。だから基本的に、生の音がそのままレコードになるような感じで、レコーディングしました。ピアノの美しい音色とか、生ギターの音とか・・・。あと、今までやったことのない声のハーモニーや、意外なアレンジで「あれっ?」て思うようなものもやりたいな。FC:曲の内容としては、いろいろな女性がテーマになっているとか。奈保子:はい。10曲あるんですけどすべて全体的なテーマでつながっていて、一曲一曲の中に、今を生きる女性の姿がある、というような・・・。そしてすべての曲の中に、”奈保子の気持ち”みたいなものが、少しずつ入っているんです。FC:いろいろな女性が出てくるけれど、それぞれの中に必ず”奈保子”がいる・・・。奈保子:そうですね。歌の中で”今を生きる女性”を、自分自身として表現していきたいです。ーーー(1986年)7月で23歳を迎える奈保子。今、レコーディングというとてつもなく大きな仕事を抱え、またひとまわり成長していっているようです。7月24日には、次のシングルがリリースされる予定だし、恒例読売ランド・イーストでのバースディコンサートも待っています。忙し奈保子を、めいっぱい応援してくださいねっ!
2024.11.15
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1986年ですが、河合奈保子さんは歌手としての仕事や作曲作業の他に、インドネシア・バリ島、ノルウェー、オランダでの撮影など、大忙しでした。この頃は雑誌「スコラ」(スコラ・講談社)が、河合奈保子さんの特集を組んでおり、22歳の奈保子さんの活躍が分かる、貴重な資料になっています。「スコラ」の切り抜きを少しずつ紹介していきます。まずは、「Lui Japon スコラ 創刊00号記念/昭和61年(1986年)6月12日発行」で、表紙が河合奈保子さんです。中にあるグラビア記事は次のように記載されています。「河合奈保子 撮:善本喜一郎、構成:小野田岐雄、スタイリスト:くまがいさちこ、衣装協力:ワイブビス/イクコ/マイエ/HAKKA/アフリックアジ」ふーうッ。やっと100号記念だぜ。そこで、トップ・グラビアは、なにがなんでも奈保子。感謝します。奈保子はちゃんとバリ島まで来ちまった。4泊5日間のノンビリ旅行だ。ここで奈保子は9月に出る予定のLPの楽想を練ることになっている。楽しみだね。この日の夜、遥か上空ではハレー・コメットが妖しく輝き、天の川を横切っていった。奈保子メモ本名、河合奈保子。昭和38年(1963年)7月24日生まれの22歳。出身地は大阪。血液型、О型。恒例”河合奈保子バースデー・コンサート”は7月24日、よみうりランド・イースト会場にて行われます。みんな、プレゼントをもって集まろう。奈保子ちゃんから100号記念特別プレゼント。広視界望遠鏡”アストロスキャン2001”のモニター募集。奈保子ちゃんが、バリ島の夜空を星空トラベルし、ハレー彗星をキャッチしたという、素晴らしい望遠鏡だぞ。これで、キミも、天体ウォッチングしようぜ。ーーーーーーーーーーーーー↓「Lui Japon スコラ 創刊00号記念号/昭和61年(1986年)6月12日発行」で、表紙が河合奈保子さん。↓ インドネシア・バリ島での河合奈保子さん。「河合奈保子 撮:善本喜一郎、構成:小野田岐雄、スタイリスト:くまがいさちこ、衣装協力:ワイブビス/イクコ/マイエ/HAKKA/アフリックアジ」
2024.11.14
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「奈保子しんぶん Vol.36 昭和61年(1986年)4月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」には、ハレー彗星を見て感激した河合奈保子さんが、天体観察日記をつけてみたいと思ったことが書かれており、一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーー「ただいま曲作りに全力投球! 「いいアルバムができそうです」(1986年)5月はレコーディング合宿でがんばります!オーストラリアでハレー彗星を体験した奈保子。前にも増して天文に興味を抱いて帰国しました。「大きな天体望遠鏡がほしいな。そして、毎晩空を見上げて、”奈保子の天体観察日記”なんていうのをつけてみたい!」なんて、今や奈保子はお星様が恋人みたいな感じです。またひとつステキな趣味ができて、感性にも増々磨きがかかることでしょうね。さて、オーストラリアのハレー彗星を胸に秘め、ただいま奈保子は曲作りに全力投球をしています。なぜならば、先月でお知らせした”奈保子作曲のアルバム”のレコーディングが、5月に開始されるから・・・。それもいつものレコーディングと違って、東京から離れたスタジオで合宿しながら録音していくのです。作曲家として、ミュージシャンに音の注文をしたり、またアレンジにも自分の意見や希望を入れたりと、奈保子の役割はプロデュース的なものまで含まれているので、少しも気が抜けません。だから集中して行えるように、レコーディング合宿となった次第。発売はまだ未定だけど、このアルバムには”奈保子の心の叫び”が入っているに違いありません。でも、だからといって、大人っぽいとか、奈保子らしくない・・・というのではなく、今までの奈保子はしっかり保ったアルバムなことは確か。奈保子の内に秘めた情熱が、微妙に見えかくれする、ステキな一枚として完成するはずです。ーーーーーーーーーーーーーーー↓「奈保子しんぶん Vol.36 昭和61年(1986年)4月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」より、河合奈保子さん。
2024.11.13
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河合奈保子さんはインドネシア・バリ島から帰国され、1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」に出演し、バリ島で自分が撮影したハレー彗星の写真と、UFOらしき物が写っている写真を紹介しました。そして、1986年4月1日発売の新曲「涙のハリウッド /作曲:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄」を熱唱しました。この「涙のハリウッド」は本当に良質のポップスで、聴いていると曲の世界に引き込まれます。私のお気に入りの歌です。ーーーーーーーーーーーーーーー↓1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」。河合奈保子さんが「涙のハリウッド /作曲:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄」を歌った。
2024.11.12
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河合奈保子さんは1986年4月11日からインドネシア・バリ島で、雑誌「スコラ」の撮影や、ハレー彗星の観望、写真撮影を行いました。帰国後、1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」に出演し、古舘伊知郎さんと芳村真理さんの司会で、奈保子さんの衣装、奈保子さんがバリ島で撮影したハレー彗星のカラー写真と、UFOらしきものを撮影したという写真が紹介されました。奈保子さんはハレー彗星について「見えました。でも予想していたというか、色々な話ではもっと大きく見えるのではないかと言われていたんですけど、本当に星の大きさとあまり変わらなくて、それにちょうど白く周りがぼけている感じで」と話しました。また、UFOらしき物体も奈保子さんが写真に撮ったという事で、その写真も紹介されました。UFOを見たことがある人が他にもいるという話題になり、吉川晃司さんが米国マイアミで見たと言っていました。その後、奈保子さんは1986年4月1日にリリースした「涙のハリウッド /作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄」を番組で歌いました。涙のハリウッドは大変ノリの良い曲で、私はお気に入りです。奈保子さんは自分で作曲のアルバム作成以外にも、新曲のプロモーション、TV、ラジオ番組出演、コンサートなどをこなし、本当に忙しい日々を送られていました。ーーーーーーーーーーーー↓ 1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」に出演した河合奈保子さん。↓ 司会の古舘伊知郎さんと芳村真理さん。↓ 古館さんが「東南アジア風」と言って、奈保子さんの衣装を話題にした。↓ 「後ろをちょっと見てみましょう」と言われ、背中を見せる奈保子さん。↓ 古館さんに「いい背中持ってますね!」と言われ、恥ずかしがる奈保子さん。↓ 芳村さんに「東南アジアに行ってたんでしょう?」と言われ、「バリ島にこの前行ってきました」と答える奈保子さん。↓ 古館さんに「ハレーすい星を見たいと言っていましたが、どうだったですか」と聞かれ、「見えました!!」と答えた奈保子さん。↓「(ハレー彗星は)見えました。でも予想していたというか、色々な話ではもっと大きく見えるのではないかと言われていたんですけど、本当に星の大きさとあまり変わらなくて、それにちょうど白く周りがぼけている感じで」と奈保子さんが説明します。↓ 古館さんが「奈保子ちゃんが撮ったハレー彗星、苦心惨憺して撮ったのがこれです!」と言って、写真を見せました。↓ 奈保子さんが自分で撮ったカラーのハレー彗星。↓ 森進一さんが奈保子さんのハレー彗星写真を見る。↓ 古館さんが「奈保子ちゃん、ハレー彗星意外に何か見なかった?」と聞いた。↓「UFOらしきものを見たんです」と言う奈保子さん。↓ 古館さんが「そのUFOも撮ったんですよね」と言い、「そうなんです」と答える奈保子さん。↓ 古館さんが「これです! すごい! ただ真っ暗!」と言い、芳村さんが「でも(UFOを)写したつもりなのよね」とフォローした。↓ 芳村さんが「UFO見た人いるでしょう、最近」と言うと、吉川晃司さんが手を挙げた。↓ 吉川晃司さんが「マイアミで、ライトが5つ、ピューっと飛んで行った」と話した。↓ 奈保子さんは新曲「涙のハリウッド」を歌い始めた。
2024.11.11
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1986年の河合奈保子さんですが、歌手・アイドルとしての活動以外に、全曲奈保子さんが作曲するアルバム『スカーレット』を作成すべく、多忙な日々を送られていました。オーストラリアのスケジュールが急遽変更になったため、1986年4月11日にインドネシア・バリ島に行き、雑誌『スコラ』の取材を受けたり、奈保子さん自身がハレー彗星を撮影したりしたそうです。「かなりや VOL.28 昭和61年(1986年) 5月 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」で、その時の旅の様子が記されているので下記紹介します。ーーーーーーーーーーーオーストラリアでハレーを観測するつもりが、直前にビザの関係でバリ島に急遽変更。そんなわけでなんともあわただしい出発になったけど、ハレー彗星が見えればどこでも同じ。奈保子は期待に胸をはずませ、(1986年)4月11に旅立ったのです。バリ島でくつろぐスナップとともに、奈保子のハレー彗星レポートに耳を傾けてくださいね。【感激のハレー彗星体験】オーストラリアには入国できないって知らされたのは、なんと出発予定日!なんでも私のビザがワーキングビザなのに、他の人が観光ビザでおかしいっていうクレームがついたかららしいんですね。私はすでに荷物をスーツケースに詰め終わり、いつでも出発できる状態でいただけに、飛び上がるほどあわててしまいました。それにテレビやラジオや雑誌や、ファンクラブの会報や・・・とにかくいろいろなところで、「私、ハレーを見てきます!」って公言していただけに、行けなくなったら、どう言いわけしよう・・・なんてオロオロドギマギ・・・。旅行社の人が、”ハレーのよく見える国”へ行けるように奔走してくださって、結局バリ島行きが決定したのが、次の日の夕方。ホーッとして、翌朝、成田を出発したのです。今考えると、まったく笑い話みたいだけど、本当に真っ青でした(笑)。家でずっと連絡を待ってて、全然落ち着かなかったし(笑)。無事飛行機に乗ったときは、スタッフや取材の方々と一緒にグーッタリ(笑)。でもグーッタリするのは、まだ続くんです。ジャカルタ経由で6時間半でバリ島へ着く予定だったので「現地に着いてから食事しようね」ということで、5時間半たったときも、機内食を断って「お腹すいたねー、でももう少しだもんねー」なんてニコニコしてたら・・・。スチュワーデスさんが「まだ4,5時間ありますよ」って(笑)。気流の関係で、飛行時間が延長したらしいんですが・・・。「それじゃあ機内食ください!」って、全員であわてて食べました。ああグッタリ・・・。さて、バリ島に到着したのは夜。空港に降りたときから、全員で空をキョロキョロ。どれがハレーかなぁーなんて見上げたけど、満天の星空でわけがわからない。というか、つまりみんな、ハレーに関しての知識があんまりないんですよね。とりあえず海岸に行って空を見上げ、「あのいちばん光っているのがハレーに違いない」って決めつけて、カメラマンさんがバシバシ写真取り出したんです。そのカメラマンさんが、「そんなに大きくなくて、他の星と変わらないのがハレーだ」とおっしゃるので、うん、それじゃあ、やっぱりあれだね・・・って。なんか半信半疑だったけど、2日間はずっと、そんな調子で観測してたんです。・・・と言うのも・・・。現地の方って、ハレー彗星のことを全然教えてくれないんです。”不吉の星”だって言って、話をそらしちゃったり、まったくの嘘を教えられたり・・・。だから「たぶん」と言う感じで、2日間過ごして・・・。そして3日目にバッタリとお会いしたのが、前回バリ島にきたときに、コーディネートをしてくださった、日本人の和子さんという女性。実はこの和子さんにお会いしなければ、私たちは本物のハレーを見ることができなかったんです。それまで私たちがハレーと信じて観測してたのは、なんと火星(笑)。ハレーは、和子さんに教えられて、いちばんよく観察できる丘の上に行き、夜の11時過ぎから2時間ぐらいにわたって、ハッキリと見ることができたんです。さて、それでは奈保子のハレー観察報告をするとしましょうか(笑)。まず肉眼で見ると、まわりにフワーッと綿がかぶっているんです。望遠鏡を通すと、尾が短く見えて・・・。状況的には天の川があって、それに南十字星がかかってて、ハレーはそのそばのさそり座をゆっくり通過しているわけです。ただ、よく見るハレーの写真ってサーッと流れて写っているから、流れ星のイメージが強いと思うんですけど、地球から見ると、ゆっくりゆっくりと流れているんです。でも望遠鏡で位置を合わせといて、少したってまたのぞくと、他の星はそんなに動いてなくても、ハレーの動きはやはり早いんですね。ああ・・・もう本当に感動しました。それから滞在中は、昼は撮影をして、夜はみんなで天体観測隊員になって、夜中じゅう、ずーっと星を見てました。飽きないんですよね。不思議と。最初は見上げてて、首が痛くなっちゃったから、次の日からはバスタオルを敷いて、みんなで寝そべって見てました。その丘の上ってね、けっこう湿ってるから、バスタオル敷いてても背中がジメーッとしてくるんです。でも、星見てるとそんなこと全然気にならないの。とにかく数えられないし、ちりばめてて、星が束になっているんですね。私の歌で「星屑シネマ」ってあるけど、あぁ星屑ってこういう状況のことを言うんだろなって、改めて納得させられました。それに、星と私のいる距離って、何万光年もあるはずなのに、手を伸ばせば星が取れそうな感じなんですね。遠くて近くに感じる空間・・・不思議でした・・・。そして宇宙って、偉大であって、やさしくて、でも怖いものも感じて・・・。そうそう、ハレー彗星が不吉な星であると信じているのは、バリ島の人だけじゃないですよね。星の動きでものごとを判断する人たちや、宗教心の強い人たちは、そう信じているようです。私は・・・と言えば、古くからの言い伝えの中でも、いいことは信じるんですけど、不吉とか悪いことっていうのは、信じたくないんですね。調子がいいかもしれないけど。だから76年ぶりに地球にやってきたハレーに「Wekcome!」って言いたかったんです。出発の日が遅れたり、ハレーと火星を間違えたりと、アクシデントだらけの旅でしたが、毎晩宇宙と接して、いっぱいのエネルギーをもらったような気がします。とてもすてきなハレー彗星体験でした。できるなら、76年後にもう一度、ハレーを見たいけど、こればっかりは無理かな・・・。ーーーーーーーーーーー↓「かなりや VOL.28 昭和61年(1986年) 5月 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ 感激のハレー彗星体験。↓ 奈保子が撮影したハレー彗星。やはり他の星と比べると、ひときわ輝いています。↓ バリ島の奈保子さん。↓ 昼間は取材の合間に、カメラを持ってパチリパチリ。↓ ランチは新鮮なフルーツをお腹いっぱい食べました。↓ 雑誌「スコラ」の撮影中。天体観測で昼間は少々眠たいけれど、元気はつらつ。↓ プールサイドでひと休み。「バリ島って、どんな風景もみんな絵のように美しいんです」↓ 「スコラ」の編集さんと、撮影の打ち合わせ中。↓ 美しい海を見ていると、心が洗われます。
2024.11.10
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1986年夏、河合奈保子さんはノルウェーに行き、オスロ―の街や、ガイランゲル(Geiranger)フィヨルドなどを巡り、同年10月に発売する奈保子さん全作曲のアルバム「スカーレット:SCARLET」用のビデオ撮影が行われました。それと同時に、その旅で写真家の五味彬さん、河合奈保子さんが撮影した写真による「河合奈保子写真集スカーレット SCARLET / 撮影:五味彬、河合奈保子、文:吉元由美/別冊スコラ36/スコラ/講談社/昭和61年(1986年)12月25日第1刷発行」が出版されました。この写真集を見ると、ノルウェーだけでなく、オランダでの奈保子さんの写真が沢山入っていることに驚かされます。写真集には撮影場所は記載されていないのですが、私は1991年から1994年までオランダで生活しており、ノルウェーにも行ったことがあるので、これはオランダだろうと思える写真が多かったです。ビデオ撮影も、ノルウェーだけでなく、オランダの奈保子さんも入れて欲しかったと思いました。ーーーーーーーーーーーー↓「河合奈保子写真集スカーレット SCARLET / 撮影:五味彬、河合奈保子、文:吉元由美/別冊スコラ36/スコラ/講談社/昭和61年(1986年)12月25日第1刷発行」↓ 河合奈保子さん「スカーレット」ーーーーーーーーーーー↓ オランダでの撮影と思う写真を一部紹介します。ーーーーーーーーーーーー↓ ノルウェーで撮影された写真を一部紹介します。↓ ノルウェーのオスロ駅。後ろの車両は、オランダからオスロに到着したオランダ国際列車だと思う。↓ 河合奈保子さんのメッセージ。
2024.11.09
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河合奈保子さんは全曲を作曲したアルバム『スカーレット』を、1986年10月21日に発売しました。それに合わせ、1986年夏にはノルウェーに行き、ビデオ撮影をしました。私は「河合奈保子 DVDコレクション PURE MOMENTS / 2002年3月30日」を持っていますが、このDISC 1 には、奈保子さんの海外ビデオ映像(アメリカ西側、ニュージーランド、アメリカ横断旅行、ノルウェー)が収録されています。奈保子さんのアルバム『スカーレット』用にノルウェーで撮影された映像があるので、アルバムに収録されている曲「ハーフムーン・セレナーデ」の映像を一部紹介します。ーーーーー【スカーレット】1986年12月10日に発売された奈保子オリジナル・イメージ・ビデオ第4弾で、こちらは10月21日に発売された同タイトルアルバムの映像版。同ビデオには、アルバム未収録の奈保子作曲のインストゥルメンタル「やさしさの岸辺」と「夜明けのエチュード」がLPのA面、B面にあたる各5曲をサンドする形で収録されており、彼女のメロディー・メーカーとしての魅力を添えている。アルバム「スカーレット」は、初の全曲河合奈保子作曲の第1弾ということで、(一部でデーモン小暮みたいと揶揄された)アルバム・ジャケットと共に当時話題を呼んだ。この映像版『スカーレット』は、全体にドキュメンタリーのような印象を受ける。これは、ノルウェー・ロケということもあるが、やはり初めて全編フィルムで撮影されたクリップ集だということが大きいだろ。シングル「刹那の夏」のプロモーション時期(1986年8月)を縫っての真夏の撮影だったが、その柔らかな画質の穏やかな色彩が、奈保子メロディーに非常によく馴染んでいる。~そして、何といっても圧巻はラストの「ハーフムーン・セレナーデ」。荘厳な景色と壮大なスケールの楽曲が見事にシンクロしている。DVD化ゆえの各段の解像度アップで、ファンの方にとっても今回のリイシューで、更に評価の高まる1作であるに違いない。本作はオリコン・ビデオチャートで最高位5位、また翌年1月に発売されたLDも前3作以上に高セールスとなった。このことからも、この作品でより高品質を求めるファンが急増したことがうかがえる。ーーーーーーーーーーーー↓ 「河合奈保子 DVDコレクション PURE MOMENTS / 2002年3月30日」『スカーレット』↓ 「ハーフムーン・セレナーデ」↓ スカーレット。↓ ハーフムーン・セレナーデ。 ノルウェーの河合奈保子さん、
2024.11.08
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河合奈保子さんが全曲作曲したアルバム『スカーレット:1986年10月21日発売』をレコーディングするため、1986年6月下旬に奈保子さんは神奈川県三浦半島の観音崎のスタジオで合宿しました。今回のプロデューサーは売野雅勇さんで、作詞は作詞家の吉元由美さんです。「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」の中に、観音崎のレコーディング合宿と、売野雅勇さん、吉元由美さんのコメントが記されていたので紹介します。ーーーーーーーーーーーー6月下旬のレコーディング合宿を最後に、無事すべての曲の録音が終了しました。ハッピーソングあり、バラードありのバラエティに富んだ曲の数々。また、さすがに音楽の基盤がしっかりしているだけあって、優れたメロディラインに思わず唸ってしまいます。今月は、レコーディング合宿の報告とともに、スタッフからのメッセージを紹介したいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーー【合宿エピソード】本当にがんばってくれました。前々から根性のある人だとは思っていたけど、今回のレコーディングで、増々奈保子の音楽に対する熱い姿勢を知ることができました・・・。と、これはレコーディング制作に立ち会ったスタッフたちのコメントです。たった一音の微妙なズレを見逃さず、詞とメロディーを吟味していくその様は、まさにアーティストそのものだったということです。ところで今回、レコーディング合宿の中ですべて制作されたわけですが、何日間も東京を離れることで、合宿の前後は相当キツイスケジュールだったことも確かなのです。例えば6月は、7月24日に行われる”EASTコンサート”の曲目を決定させる時期でした。現在、コンサートにおける選曲や構成の会議では、奈保子の希望やアイディアを中心としてくりひろげられているため、合宿前はじっくりと案を練っていた奈保子。そのために一睡もしない日もあったとか・・・。「今日は夜遅いから明日にしよう・・・なんて考えていると、どんどん日が伸びていって、レコーディング中に考えなければならなくなってしまう。それでは合宿の意味がなくなってしまいますよね。だからできる限り東京にいるときに、他のことをやるようにしました」これほどまでの徹底した意気込みが、素晴らしい音を生み出してくれたのでした。さて、では合宿中のエピソードをご紹介しましょう。起床は前の晩のレコーディングによって変わりましたが、スタジオ入りは正午なので、奈保子は午前中に譜面を見ながらレッスン。そしてそのまま本番へ突入し、一応午後の6時にUP。1時間ほどの夕食の後、休憩をしたら今後は8時から再開。終了するのは平均して12時だったということです。ところで6月に行われた合宿は観音崎で、スタジオから海が一望できるステキなリゾート地。だから普通なら機材ばかりで無味乾燥なスタジオも、実に優雅なムードが漂っていました。このような環境なので、奈保子も録音中はTシャツに短パンというリゾートファッション。だけど表情には常にピリッとした緊張感も漂っていました。こうして完成された奈保子全作曲のアルバムは、10月21日に発売される予定です。タイトルは仮で「スカーレット」とつけられましたが、これはもしかしたら変わる可能性もあり。とにかく本当にいい曲ばかりで、時間を忘れるほどのめり込んでしまいます。発売になったら、ぜひ御愛聴くださいね。ーーーーーーーーーーーーーーーー【売野雅勇さんからのメッセージ:(今回のレコードをプロデュース)】今回のアルバムテーマを「スカーレット」にしたのは、いろいろと意味あってのことなんです。奈保子さんの特徴を考えた時に、女性が本来持っている”優しさ” ”素直さ” ”やわらかさ” が浮かんだんです。そこでそういった女性を表現していく・・・ということがまず第一にあって・・・。また、彼女は自分の中から湧き上がるものを表現するにおいては天下一品で、日本のトップアイドルの位置にある人ですよね。アイドルを越えた部分っていうのもすごくありますし・・・。それで彼女の人柄や存在感などを総合的に見たときに、いちばんフィットしているイメージは”スカーレット”だったわけです。この”スカーレット”には2つの意味があって、ひとつはスカーレット色、つまり緋色(ひいろ)。もうひとつは『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラによるもの。スカーレット・オハラって、女性のひとつの形だと思うんです。自由で愛情が深くて、とてもチャーミングで。ただ、ファンのみなさんは、奈保子さんに緋色というより、パステルタッチのイメージをお持ちかもしれません。確かに彼女は人間的にやさしくて、ひとつ遠慮しちゃうみたいなとこもある・・・。淡い感じの女性ですよね。でもそういう人にも、胸の中には真っ赤に燃えた緋色が絶対あると思うんです。夢を見たり、あるいは恋をしたり、前向きな明日に向かって生きようとする命の輝きみたいなものが・・・。これは本来彼女が持っているものなんです。それを初めて今回、ソングライターとしてアーティスティックに出したわけです。アイドルから出発して、このアルバムでひとつの答えが出るとおもいます。それはもちろん、よりよい形でね・・・。ーーーーーーーーーーーーーー【作詞家 吉元由美さんからのメッセージ:(今回のレコードの作詞を担当)】今回奈保子ちゃんの作った曲に詞をつけさせていただいたんですが、すべて曲が先で詞を後でつけるという作業でした。最初テープで曲を聴いたとき、やっぱり好きなだけあって、バラードは相当完成度の高いものだと思いました。また奈保子ちゃんは職業作家じゃないから、非常に素直な感覚で自分の歌いたい曲を作ったように思います。それはテープの中に熱く込められていて、そういう意味ですごい生身なデモテープという感じがしました。また、レコーディング中も彼女の音楽に対する真剣な姿勢が垣間見えて、私もそういうものに近づきたいなってすごく思うようになりましたし。歌は10曲あって、詞の中に10人のまったく性格の違う女の子を表現したんです。情熱とか衝動などが、色々な形になって詞にでているというか・・・。曲ごとにいろいろなストーリーがあって、10人の奈保子ちゃんがいるっている感じでした。彼女のひたむきさや思い入れがスタッフの私たちに伝わったように、アルバムを聴くみなさんにも、それはしっかりと感じてもらえると思います。ーーーーーーーーーーーーーー↓ プロデューサーの売野雅勇さん、作詞家の吉元由美さん、そして中央は河合奈保子さん。↓ 海が一望できるスタジオは、澄んだ空気に包まれていました。↓ 注意すべきポイントをチェックして・・・。↓ 小池ディレクターとの打ち合わせも、熱いムードが漂います。↓ ピアノを自己レッスン。「生ピの音ってすごく落ち着きます」。↓ スタジオから見えるプール。ここで泳ぐことは一度もなかったとか。↓ 観音崎スタジオの一室。休憩タイムに奈保子はここでレッスンをしてました。↓ 「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」
2024.11.07
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1986年10月21日、河合奈保子さんは全曲を自分で作曲した『スカーレット』を発表し、同年11月26日には、アルバムに収録されていた『ハーフムーン・セレナーデ』がシングル曲として発売されました。上記のアルバム作成のため、河合奈保子さんは1986年5月から山中湖畔のスタジオで合宿されました。学習研究社MOMOCO「IDOL情報局」の切り抜きがあり、その頃の記事があるので紹介します。ーーーーーーーーーーーー「河合奈保子 LP合宿も無事打ち上げ。あとはレコーディング、そして発売を待つのみだぞ!」1986年5月7日から14日まで、全曲奈保子ちゃん作曲というLP作りの為、山中湖にあるスタジオに合宿。全10曲のうち1曲は無伴奏の曲ということで9曲の音作りに専念したわけ。合宿メンバーはスタッフ、ミュージシャンあわせて総勢25名ほどという大家族。1日のスケジュールは朝食と昼食を兼ねた食事が12時なので朝はゆっくり寝坊ができる。そして午後1時頃からプレイヤーと打ち合わせをしながら音作り開始。奈保子ちゃんは各ミュージシャンの演奏する音をチェックしながら、その都度自分のイメージを説明し、曲を作っていくという作業にはいる。今回は本人のボーカルのダビングはなかったものの、時々歌ったりして曲調を合わせていった。夕食は7時頃。にぎやかな食事タイムが終わるとすぐにまたレコ―ディング開始。こうして夜中の12時ちかくまで音作りに没頭するという合宿ぶりだった。番組も取材も一斉シャットアウトした合宿生活なので、奈保子ちゃんにとっては充実した毎日だったという。全部自分が作曲したLP作りの作業とはいえ、人気者の歌手にはなかなか作れない機会なので、奈保子ちゃんにとっては貴重な体験になったはずだ。合宿を終えて帰京した彼女の顔はやり遂げた満足感でいっぱい。あとは本人のボーカルを吹き込むだけだが、6月後半からレコーディングに入っているので、現在仕上げにむかってラストスパートというところ。発売は10月ごろになるというから楽しみに待っていようね。きっと力作が出来ると思うよ。5月17日からはコンサート”ジャスミンの夢飾り”が、大阪よりスタートした。18日米子市公会堂、19日鳥取市民会館、20日出雲市民会館、24日川崎市産業文化会館、6月2日岩国市民会館、3日徳山市民文化会館と続く。ご存じのように奈保子ちゃんは地方のコンサートがあると、必ずその土地の名所、旧跡を見て歩く。もちろん本人の社会勉強の為でもあるが、ステージでもその日行ってきた名所の話なども織りまぜ好評をよんでいる。今回も岩国では錦帯橋へ行ってきたり、徳山では動物園へ行くなど熱心に見て、歩いている。そして今回のコンサートの特徴のひとつにステージ上から奈保子ちゃんがカメラを構えて客席を激写というシーンがある。結果はナイショだそうだけど、ぜひ一度撮った写真を見てみたいものだね。コンサートの合間に、日立のコマーシャル撮影があった。商品は暖房器具で、これから真夏へむかおうという頃なのにCM界のシーズン先取りの早いこと。5月28日にはチャゲ&飛鳥のコンサートを見に行ってきた。一度ステージを見たいという念願がかない、ごきげんなコンサートに酔ってくる。6月15日渋谷公会堂でのコンサートをラストに、いよいよ7月24日のよみうりランド・イーストのコンサートリハーサルに入る。今年で4年目のイーストのバースデーコンサートに奈保子ちゃんの力はみなぎる。同じ7月24日に新曲『刹那(せつな)の夏』も発売されるし、コンサート、レコードともファンの応援を楽しみにしているよ。ーーーーーーーーーーーーーー学習研究社MOMOCO「IDOL情報局」の切り抜き。河合奈保子さん。↓ 番組スタッフにも人気者の奈保子ちゃん。局の控室でせっせと色紙にサイン。
2024.11.06
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1986年の河合奈保子さんは、歌手活動以外に、インドネシア・バリ島でハレー彗星を撮影したり、夏にビデオ収録でノルウェーを訪れたり、夜のヒットスタジオのマンスリー(毎月、奈保子さんの特集が設定された企画)をしたりと多忙の中、継続して作曲作業を続け、1986年10月21日に全曲を自分で作曲したアルバム『スカーレット』を発表しました。また、『スカーレット』の中に収録されている『ハーフムーン・セレナーデ』の反響が大きく、1986年11月26日には『ハーフムーン・セレナーデ』がシングル盤として発売されました。1986年春頃に発行された雑誌の切り抜きが手元にあり、「河合奈保子 作曲家修行」という記事があったので紹介します。奈保子さんがアルバム『スカーレット』の曲を作成する頃の様子が書かれています。ーーーーーーーーーー【河合奈保子 作曲家修行】いま、こつこつと自作の曲を書きためている奈保子。今年中に、全曲オリジナルのLPをつくろうと思っているのだ。そんな作曲修行の生活を紹介してみよう。ーーーーーーーーーーじつは2年ほど前から、曲は書きためているんです。河合奈保子・作曲の第1号は、『秘めやかなラブ・ストーリー』という曲で、コンサートで歌ったりして、けっこう評判がよかったりして・・・。でね。気をよくして『夢かさねて』っていう曲を、去年モルジブに行ったときに作ったの。涙が出るほど、綺麗な夕暮れで、波の音を聴きながら、ホテルの前のブランコにのってたの。ポータサウンドをいじくってたら、メロディがうかんできて、あ、これだっ!ってね。どちらも、愛着があって自分の娘みたいな感じだから、『奈保子22』(アルバムレコード:1985年7月24日発売)っていうベストLPに入れました。ーーーーーーーーーー私の作曲法って、イイカゲンなの。仕事が終わって、眠れない夜とかに、自宅で近所迷惑にならない音でエレピを弾くの。それで、「ラララ・・・・・」とか「ヌフフ・・・・・」ってハミングして、カセットに録音するの。それを、バンドのギタリストの永島さんに渡して、いい曲かどうかを判定してもらうわけ。たいていボツになるんだけど、30曲は作りましたねー。コーラスの部分とか、出だしだけできてる曲みたいなハンパなものもあるの。それで、採用となったら楽譜におこしてもらうの。悲しいことに、譜面書けないし、コードもつけられないから。TVの楽屋とかで、理論とか永島さんに教えてもらってはいるんだけど、時間がトビトビになるので、前の復習に手間取ってしまうんです。なさけない作曲法なんだけどねー。もっと勉強しなくっちゃ!ーーーーーーーーーーーそれで、詩は書けないから作詞家の吉元由美さんにお願いしてるの。「この曲は海っぽく、こっちは爽やかな風の雰囲気で・・・」とか注文して、またもや、イイカゲン。そんな感じで、なんとか10曲ぐらい作って、今年中にオリジナル・アルバムを制作したいんです。できれば、カラオケの音録り(おととり)にも立ち会いたい。自分の曲なんで・・・。今までの曲を永島さんにアレンジしてもらうと、全然ちがう流れになってしまうのね。そういう楽しみもあるんです。ーーーーーーーーーーー目標なんていうのは大胆すぎますし、そんな才能もないんだけど、ライオネル・リッチー大好きです。あんなバラードが書けたらいいなって。影響されたのか、私の作る曲ってほとんどがスローバラードなの。みなさん、なが~い目で、暖かく見守ってやってください。1986年4月1日に24枚目のシングルの『涙のハリウッド』を出します。もちろん、自分の作品ではないんだけど、こんな素敵な曲を、早く自分で書けるようになりたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子 作曲家修行】↓ バンドのギタリスト・永島さんと相談したがら、コードの進行などを決めていく。和気あいあいだ。↓ 雑誌の切り抜き。「♬バラードで私の心伝えたい♬」↓ 河合奈保子さん作曲の『シンデレラ・バケーション』の自筆楽譜なのです。
2024.11.05
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1986年11月26日、河合奈保子さんのシングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」が発売されました。この歌は河合奈保子さんが作曲しました。1986年10月21日発売のアルバム「スカーレット」に入っている曲で、1986年の紅白歌合戦で奈保子さんがピアノを弾きながらこの曲を披露しました。同曲は1987年に香港の歌手である李克勤(ハッケン・リー)さんが「月半小夜曲」としてカバーし、中国語圏で大ヒットしました。いまだに歌い継がれている素晴らしい曲です。「かなりや VOL.31 昭和61(1986年11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」には、シングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」とアルバム「スカーレット」の記事があり、少し紹介します。新曲『ハーフムーン・セレナーデ』11月26日発売に決定!!ファンのみんなからの強い希望によって決まった今回の新曲。奈保子は、自分の作曲した歌がシングルに選ばれ、感激もひとしお。絶対、大ヒットさせたいですね!【今年の冬はこの曲に賭けます】ここのところ奈保子は、ヘアースタイルや服装などシンプルでさりげないおしゃれが光ってたりします。しっとりと女っぽく、でも時々無邪気な笑顔ものぞかせたりして・・・。大人のような少女のような、不思議な魅力を持っている人ですね。その奈保子の魅力を上手く引き出したのが、すでに放送された『夜のヒットスタジオ』マンスリーであり、先月発売されたアルバム『スカーレット』でしょう。奈保子の世界がこのアルバムで、ひとつの形となって出来上がったといえます。さらに、シンガーソングライターとしても高い評価を受け、今後の活動に大きな期待がかけられています.さて、待望の新曲が11月26日に発売されることになりました。タイトルは『ハーフムーン・セレナーデ』。この曲はアルバム『スカーレット』の中に収録されていますが、以前からファンのみんなから ”ぜひシングルに!”との声が強かったのです。「アルバムに収録する前に、レギュラーのラジオ番組でこの曲を紹介したことがあるんです。そうしたら反響がものすごかったんですよ。山のようにハガキが届いて・・・みんなの素直な気持ちがとてもうれしかったんです」何よりも奈保子の作曲でもあり、最近のステージではいつもラストに「ハーフムーン・・・」を歌うなど奈保子も気に入っている歌なので、今回のシングルリリースにうれしさいっぱいみたい。奈保子が作り、ファンの声によって実現した新曲。しっとりした切ないバラードはこれからの季節にピッタリ。ぜひとも大ヒットさせたいですね!ーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子さんのメッセージ】お元気ですか?奈保子です寒い日が続いてますケドカゼなんかひいてませんか?気をつけてくださいネッ!さて、アルバム『スカーレット』もう聴いてくれましたか?ぜひ感想をきかせて下さいネッ!それではきょうはこのへんでNAHOKOーーーーーーーーーーーーーーーー↓「かなりや VOL.31 昭和61(1986年11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」ーーーーーーーーーーーーーー↓ 1986年11月26日、河合奈保子さんのシングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」が発売された。私が学生のときに、アルバイト先の地元放送局で頂いた見本盤。
2024.11.04
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タワーレコードから定期的にメール案内が送られてきます。2024年10月17日付で、「ヨルに聴きたい アイのウタ」のCD予約案内が来ており、「河合奈保子」と記載があったので詳細を見ると、CDの10曲目に河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」が入っていました。ーーーーーーーーーーーーーー
2024.11.03
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2024年10月31日(米国30日)、2024年ワールドシリーズ第5戦がニューヨークのヤンキースタジアムがで行われ、ドジャースが7対6でヤンキースに逆転勝ちし、対戦成績を4勝1敗としてワールドチャンピオンになりました。ーーーーーーーーーー↓ ヤンキースタジアム。↓ ヤンキース先発はコール投手。↓ 1回表 大谷選手。↓ センターに打ち上げた。↓ 大谷選手のセンターフライをジャッジ選手が捕球した。↓ 1回裏、ジャッジ選手。↓ ジャッジ選手の2ランホームラン。↓ ヤンキースが2点リード。↓ 1回裏 チザム選手。↓ チザム選手がソロホームラン。↓ ヤンキースが3点リード。↓ 2回裏 ボルピ―選手が出塁。↓ バードゥーゴ選手がヒット。↓ ヤンキーズが4点目。↓ 3回裏、スタントン選手がソロホームランを打った。↓ ヤンキースが5点目。ーーーーーーーーーーー↓ 5回表 ドジャースの攻撃。K・ヘルナンデス選手↓ ヒットで出塁。↓ エドマン選手。↓ エドマン選手がセンターフライを打った。↓ ジャッジ選手が落下地点に移動した。↓ ボールをキャッチしようとするジャッジ選手。↓ 捕球に失敗!↓ ボールが落ちてしまった。↓ 悔しがるジャッジ選手。↓ 1,2塁で、スミス選手が三遊間にゴロを打った。↓ ゴロを捕ったボルピ選手が3塁に投げるも悪送球で、満塁となった。↓ その後、ラックス選手、大谷選手は三振し、ツーアウトになった。ベッツ選手が1塁へ緩いゴロを打ち、万事休すかと思われた。↓ コール投手がなぜか一塁カバーに入らずベッツ選手はセーフになり、ドジャースが1点を返した。↓ 満塁でフリーマン選手。↓ フリーマン選手がセンター前ヒットを打ち、2点追加となる。↓ ドジャースが3点。↓ T・ヘルナンデス選手がセンターへ2ベースヒットを打ち、2点が入り、5対5の同点となった。5回に5対5の同点となる。↓ 6回裏、ソト選手、ジャッジ選手が四球で出塁し、チザム選手のセカンドゴロで、ソト選手が3塁に進んだ。スタントン選手の打席。↓ スタントン選手が犠牲フライを打ち、3塁のジャッジ選手が帰り、6対5になる。↓ センターへの犠牲フライ。↓ ヤンキースが6対5でリードした。↓ 8回表。ウィーバー投手。↓ E・ヘルナンデス選手、エドマン選手のヒット、スミス選手の四球で満塁となった。ラックス選手がセンターへ犠打を打ち、6対6の同点となった。↓ 6対6の同点。↓ 大谷選手。↓ 振ったバットがキャッチャーミットに当たったと主張する大谷選手。↓ キャッチャーの打撃妨害が認められ、1塁に進んだ大谷選手。↓ 1死満塁。↓ ベッツ選手。↓ ベッツ選手の犠牲フライで1点が入り、7対6でドジャースが逆転した。↓ 7対6でドジャースが逆転した。↓ 8回を終わり、7対6でドジャースがリード。↓ 9回裏、ビューラー投手。↓ 2死、バードゥーゴ選手が三振してゲームセットになった。↓ 大喜びの大谷選手。↓ ロサンゼルスドジャースがワールドシリーズ優勝。↓ 大谷選手。↓ 山本由伸投手。
2024.11.02
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2024年10月31日(米国30日)、2024年ワールドシリーズ第5戦の始球式で、松井秀喜さんが始球式を務めました。また、2009年ワールドシリーズで松井秀喜さんが大活躍をされた映像が映し出されました。ーーーーーーーーーーー↓ 松井秀樹さん。ーーーーーーーーーーーー↓ 2009年ワールドシリーズ。
2024.11.01
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