ネオテニーワールド

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王道の先のゴールについての考察



 いま。ここから先が、王道。だ。

 王道の行き着くところ。そこがぼくのゴール。だ。ぼくには、よく見える。そこでは、ぼくは、詩人。だ。BJだいちと名乗っている。王道では、ぼくは、BJだいちであり、かつ本名のぼくでもある。詩人としてのBJだいちと本名のぼくが表裏一体となっている。そういう道。王道。ビジネスとポエトリーが溶け合って、統合されている道。王道。

 さて、ゴールのことを話そう。BJだいちと名乗っている。ぼくは、他者から見抜かれた。ぼくの本質を。映した名前。他者の視線によって、他者の視線だけで、ぼくは存在。している。そういうぼくの、本質。関係性そのものとしてのぼく。素直で、真っ直ぐな善意を持っている。その善意の喜びのちからが、光っている。ぼくだ。愛で充満した。相互世界。を維持している。その世界のハブにいて、軸を支えている。ぼくなんだ。

 肩書きに詩人と書いている。素直で真っ直ぐな善意にたどり着くために。その方法論として、詩人になった。

 ポエトリーのことじゃない。にんげんのことだ。で、王道そのものを歩いて少しも逸れることがない。暗黒を恐れることなく、直視する。受け容れる。受取る。混沌とした暗黒。あらゆる厭なもの。が、詰まってできているんだ。暗黒。

 失われてしまった過去からの縛り。これから先の未来への懼れ。現在からの逃避。その他、雑多なものすべて。愛や憎しみ、嫉妬、喜び、苦痛、怠け。殺意、依存、甘え。など数え切れない。破廉恥なこともある。そして綺麗事は、少しもない。ほんとうだ。

 だからこそ、ぼくの使命がある。素直で真っ直ぐな善意にたどり着くために。詩人を名乗り、暗黒を直視し、受け容れる。受取る。そういう使命があるんだ。

 ときに詩人は、会社員となり汗を流す。こころを売りもするんだ。暗黒を受け入れ、受取るということはそういうことだ。ぼくを王道の先のゴールへ連れて行ってくれる。ぼくを鍛錬し、ときに励まし、ぼくを果てしなく成長させてくれる暗黒。に、ぼくは感謝する。

 さて、ゴールが近づいてきた。ぼくは、コーアクティブに生きている。ぼくの存在は、相互世界によって成立している。相変わらず、ぼくは詩人である。相変わらず、ぼくは詩では喰えない。

 人々は、自分以外のポエトリーを消費することはないんだ。究極孤独。ポエトリーは、自分が持っている。他人のポエトリーを買うことよりもむしろ自分のポエトリーを何とかしなくては。そう思う。だから、自分のポエトリーに気づいた人は、無性に表現したくなる。他人のものを消費するのじゃ治まらないんだ。

 ぼくは、だから詩では喰えないし、喰っていく気もないんだ。

 ぼくは、コーアクティブに生きている。そして人々は、自分軸の囚われによって、自己の可能性を押さえ込んだまま死に至る。ぼくは、見過ごすわけにいかない。コーチングの必要性を説くのは、ぼくの生き方に沿っている。そして、コーチングの意図的な関わり方は、先程のような人に、有効だと考える。必要に応じて、コーチングを受け、そして成果が出た段階でやめることができる。

 お金を貰っていいんじゃないか。そう思う。ビジネスライクにやったほうが、いい。人生全般を取り扱うのだから。よけいそうしなければおかしくなる。

 ということで、ゴールでは、ぼくは、パーソナルコーチングで喰っている。そして、詩人BJだいちは、童顔のまま、いつも喜びに満ちて、人々に豊穣な愛の相互世界を現出させるハブにいる。右手で世界の軸を支え、左手で求める人に触れる。

 ぼくがコーチングで喰えなくなるほど対価が安くなれば、そのときがぼくの死ぬときだ。ぼくが死ぬと世界にはハブがなくなり、豊穣な愛の相互世界がほんとうに実現する。ぼくはそのためにこの生命を与えられた。そう思うことにするんだ。

                 2005年10月9日 BJだいち&○○○○



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