ありがとう仙人の幸せ玉手箱

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2014年02月24日
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カテゴリ: 哲学

みなさん、こんにちは!


今日は難解と言われている中村天風先生の『真理行修誦句集』の

「自己本来内省の悟」について、私の勝手な解釈の続きです。



前回の内容は、難しくてよく分からなかったという方が多くいたようですね。


しかし、根気よく何度も読み返していると、ふいに分かってきます。


それが中村天風先生の『真理行修誦句集』なのです。

では、前回からの続きです。



多く言うまでもなく、宇宙霊なるものは絶対の実在である。



空気から無限に氷を創ることが出来ます。

氷は、空気の仮の姿なのです。




例えば、氷が自分のことを個体だと思って、別の氷を攻撃したとします。


しかし、溶けてみたら、相手は自分であったことを知り、泣いて歯ぎしりするのです。号泣


実際に在るのは、たった1つの空気という気体だったのです。

それと同じで、実際に在るのは、宇宙霊という気体なのです。


「実在」とは、実際に在るものという意味です。

人間という肉体(個体)は、いつかは消える存在です。


つまり、絶対の実在ではないのです。

つまり、宇宙霊という気体こそ絶対の存在なのです。



従って、その分派を直接収受せし人間の生命の本来は、また必然絶対であるべきである。



氷の中には空気が宿っています。

つまり、気体を宿していない固体はありえないのです。

気体と固体は一体なのです。




人間という個体は消えても、宇宙霊という気体は永遠です。


つまり、人間の生命も絶対なのです。



されば、その絶対なる人間の生命に、理由なくして何すれぞ、悲しみ苦しみ、
或は恐れというが如き忌まわしきものが、妄りに襲いかかって来る筈がない。

何故なれば、そうしたものは真理の上より厳格に論断すれば、
何れも人間の心の中に生じる相対的仮相現象であるからである。



どんなに、悲しみ苦しみ、怖れにさいなまれていても、真の自分である生命(霊)は、
全く傷ついていないのです。


生命というエネルギーは、常に平安であり、絶対の静寂であり、絶対の沈黙です。





どんなに悩みや苦しみ、悲しみ、怖れがあっても、安定打坐でブザーの音が途切れた瞬間、
無心になり、その瞬間だけは、悩みや苦しみ、悲しみ、怖れは消え、あるのは静寂だけです。

つまり、どんなに悲しみ苦しみ、怖れに襲われていても、真の自分である生命は、
常に平安、常に静寂、常に沈黙なのです。スマイル


悩みや苦しみ、悲しみ、怖れは、生命の道具である心の中にしか存在しないのです。

つまり、相対的仮相現象なのです。


「相対的」とは、絶対ではないことです。

絶対ではないとは、「条件・基準」があって存在するものです。


悩みや苦しみ、悲しみ、怖れは、生命が心という道具をまとっている期間にだけ存在するのです。

「生命が心という道具をまとっている期間」という条件があって存在するものです。


「仮相」とは、一次的な状態という意味です。


つまり、相対的仮相現象とは、生命が心という道具をまとっている期間にだけ存在する
一次的な状態という意味です。


反対に絶対的現象とは、絶対に変化しない状態をいいます。

つまり、常に平安、常に静寂、常に沈黙という状態です。


だから、天風先生は、


たとえ運命に非なるものがあっても心まで悩ますな!」

と言っているのです。


真の自分である生命は、どんな状態が襲いかかって来ようとも、びくともしていないのだから、
心を混乱する必要はないのです。


「我は感覚(肉体)でもなければ、思考でもない。我は静寂(生命)なり」 なのです。

上江洲義秀先生も、「我、肉体にあらず、感情にあらず、五感にあらず、理性にあらず、我は生命なり」
と言ってます。



そもそも、相対的なるものは、絶対的なものに断然敵することの出来ないのが厳粛なる宇宙真理である。




「相対的」とは、条件や基準があって存在する、という意味です。

だから、もし条件や基準が変わってしまえば、事実も変わってしまうのです。


ところが、絶対的とは、どんな条件でも決して変化しないのです。


例えば、天動説と地動説。(これは津留晃一さんが講演でよく話すことです。)


天動説 とは、太陽が地球の周りを回っているという説です。


地動説 とは、地球が太陽の周りを回っているという説です。


まったく正反対の説ですが、現在では地動説が正しいとされています。

しかし、本当は、どちらも正しいのです。



この2つの説は、単なる基準の違いなのです。

天動説は、地球を基準にして立てられた説です。


地球を静止して説明すると、確かに太陽が地球の周りを回っていることになります。

が、実際は地球も動いています。



地動説は、太陽を基準にして立てられた説です。


太陽を静止して説明すると、確かに地球が太陽の周りを回っていることになります。

が、実際は太陽も動いています。


基準が変われば、事実も変わるのです。これが「相対的」ということなのです。


あの天才学者・アインシュタインが、宇宙を研究する際に、絶対的な基準を探したのですが、
見つかりませんでした。


何かを証明するには、絶対的な基準がなければ不可能であることをアインシュタインは知っていたのです。


宇宙での絶対的基準とは、静止しているものです。

が、宇宙で静止しているものはなく、全てが動いていることが分かったのです。


そして、アインシュタインは思ったのです。

「なんだ! 全ての学説は絶対的ではなく相対的なのだ。
自分で基準を設定し、それに基づいて証明しただけなのだ。
もし、基準が変われば、その学説は事実ではなくなるのだ。」


ゆえに、アインシュタインは、自分の学説を「 相対性理論 」と名付けたのです。


身近な例でいえば、「運動は健康に良い」というのがあります。

が、これも絶対的な事実ではありません。


運動も「適度」を超えると肉体を痛めることになり、逆効果です。

また、体調不良のときに、運動をすると病状が悪化します。


つまり、「適度」、「健康時」という条件があって、はじめて「運動は健康に良い」のです。

これが相対的な事実なのです。


条件が変われば、異なった結論となるのです。


しかし、絶対的なものは、どんな条件にも左右されません。


ゆえに、「相対的なるものは、絶対的なものに断然敵することが出来ない」のです。



今や吾は、いみじくも、この真理を悟り、同時に、この悟りを厳かに信念する。



安定打坐で、「絶対不変の静寂」を体験すれば、真の自分である生命は、常に全くの
無傷であることが信念できるはずです。



従って、私の心は、如何なる場合にも、恒にその「霊」を思い、
その「霊」を考え、ひたすらに「霊」を本位として、人生に活き、
絶対的なる宇宙霊と同化する尊さを心がける。



夏の暑い日(冬の寒い日)、
「ああ~、暑い(寒い)、暑い(寒い)!」と感じたとき、一瞬目を閉じて、
「静寂の境地」を味わうのです。


すると、間もなく、「体は暑い(寒い)が、真の自分はびくともしていない」ことに気がつき、
平気にいられるようになります。


仕事で疲れて体がだるいとき、一瞬目を閉じて、「静寂の境地」を味わうのです。


すると、間もなく、「体は疲れているが、真の自分はびくともしていない」ことに気がつき、
平気にいられるようになります。


「我は感覚(肉体)でもなければ、思考でもない。我は静寂(生命)なり。」なのです。

この「静寂」を「霊」といい、「霊」とはエネルギーであり、生命です。

イエス・キリストは、「 私は生命である 」といいました。


イエスは、自分の本性が霊(生命というエネルギー)であることを体得していたので、
十字架に貼り付けにされても、「助けてくれ~!」とは言いませんでした。


「わが肉体を、霊に委ねます」と言ったのです。


肉体は破壊できても、真の自分は不変不滅であることを体得していたのです。


心が常に「霊」を思い、考え、不変不滅の霊こそ私である、と人生を生きられたら、
どんな環境であろうとも「泰然自若」としていられるようになるのです。



かるが故に、私の心の中には、最早一切の邪悪や弱さや卑しさを思考するというが如き
消極的なるものは、何としても燃え上がることを許さない。




「私は霊(生命)である」という自覚があるときは、消極的な思考は湧いてきません。

肉体(感覚)と同化してしまうと、「暑い、寒い、痛い、眠い、だるい」といった感覚に支配されてしまいます。


また、心(思考)と同化してしまうと、邪悪や弱さ、卑しさに支配されてしまいます。


消極的な思考をストップさせるには、こうすればいいのです。



「今から、自分の思考を観察しよう。どういう思いが湧いてくるか見張るぞ!」


すると、しばらくの間、思考が止みます。



そして、思考が湧いてきますが、そのとき思考と同化せず、思考を「観察する者」になっています。

この「観察する者」こそ、絶対静寂の「霊」なのです。


感覚も同じです。


「今から感覚を感じてみよう」



すると、感覚を感じている者と感覚を観察する者の2人が存在しているのがわかります。

観察する者の立場にいるとき、思考や感覚と同化していませんから、消極的なるものに支配されないのです。



そして、ただ積極的の思考のみを、暗夜を照らす炬火の如く、繚>乱として吾が心の中に輝かそう。



私は、「感覚」でもなく、「思考」でもない。

私は、不朽不滅の「霊(生命)」である、という自覚を強くすることを心がけるのです。

そうすれば、親切、寛容、愛という積極的思考で、心の中が輝くのです。ウィンク



~『中村天風先生と和尚に学ぶ 人間の生き方』より↓~
http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/8938


今日の話はこれで終わりです!


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最終更新日  2014年02月24日 09時35分30秒
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