日本語で話そう

August 11, 2013
XML
カテゴリ: 中山道六十九次



前回は碓氷峠を越え、軽井沢を通り、信濃路の塩名田宿で終わった。
その5宿場先には中山道最大の難所と言われる標高1,600の和田峠が待ち構えている。
東海道の鈴鹿越え以上で、電車もバスも近くを通らない。その上歩く道は車道とはかけ離れた山の中。交通手段が無い地域を22km以上歩き通す。もし越えられず山中で日暮れになれば遭難?

そうなん?
なんてしゃれを言ってる場合じゃない。

そこで前回の終点塩名田宿から八幡宿、望月宿、芦田宿、長久保宿間を次回に残して、連続して歩ける連休に和田峠旅越え設定した。

金曜日の夜、まずは最寄の駅である上田に新幹線で行って、宿泊。
最寄りの駅?



地図

9:05のバスに乗って、長久保宿でバスを降りる。宿場見学は次回に回し、(しかし次回ここで終わって日暮れになったら、どうやって上田駅まで帰るんだろう)すぐにスタート。10時を回っている。

田んぼの中を歩き、藁ぶき屋根の市域循環バス(地域しか回らない)のバス停や、水筒に水を入れられる湧水や、昭和の面影を残した小さな中学校等を通り、ただひたすら和田の峠に向かって田園地帯を進んだ。
熱中症にならないように水の補給に湧水はありがたい。

和田宿は文久3年火事で全部消滅したけれど、皇女和宮の11月の輿入れのために急遽再建されたという言われ付きの宿場で、当時の脇本陣屋旅籠、昨年まで営業していた旅籠が良く残っていてなかなか趣が有る。
そこで、旅籠の資料館など見学して小休憩。
「おいおい、先を急ぐ旅人が見学などしていていいのか?」とは思うが。

お昼は旧街道内のお店が休みで、仕方なく車の通る中山道まで往復20分出て、道の駅で食べた。
無駄な時間、江戸の時代から現実に呼び戻されるつまらない時間。

  • IMG_0720.JPG


宿場を出ると一度車道と交差して、いよいよ和田峠に向かってどんどん登る。

どんどん山に登って、日が暮れたらどうするの?と言う疑問が出るだろう。

実はそのあたりに泊まれる宿が無いのである。去年まで営業していたという和田宿場内の旅籠は潰れてしまい、その日の出発点長久保宿近くの民宿しかやっていない。それでは現代の中山道の旅人は困る。何しろ夕方になってルートのどこで旅を終えても戻るバスも行くバスもないのだから。



旧中山道和田越え、ほとんどゲームなのだ。

私たちは事前に、携帯電波が入らなくなる最終地点の和田宿を越えて4km地点の唐沢バス停でのピックアップをお願いしておいた。

和田を出る頃から日暮れまで歩けるか、足の調子が大丈夫か心配になりながら歩いた。
何度も言うようだが今日出来るだけ歩いておいて、明日のために保険を掛けたい。

そして3時頃、電波が入る少し手前で宿に電話する。

宿の奥さんが答えた。
「もう一つ先最終バス停まですぐですから、そこで待っていてください」

なるほど宿の方も女連れの旅では明日のために、出来るだけ峠に近い方が良いと見たか。


その日、民宿に泊まったのは4組5人の旅人。
それそれの地点でピックアップしてもらい夜集合した。暗くなって8時頃到着の旅人もいた。
彼は和田宿でピックアップしてもらったようだ。でも最後の1時間か2時間は暗い中歩いたことになる。やはり明日を考えたか。

食事をしながら、我らは互いに明日の情報交換をしたのであった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  August 11, 2013 11:41:30 AM
コメント(10) | コメントを書く
[中山道六十九次] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: