砂漠大陸6
10月13日。(6日目)
モーニングコールは5:30。
昨夜の「焚火交換交流大会(キャンプファイヤー)」の後、同行者3人と部屋で現地の美味しいワインを飲んだ。
敦煌は果物の産地でもあり、部屋に置かれたフルーツは梨とブドウだった。
梨は、ラ・フランス(洋梨)の味に似ていた。
特に、ブドウは実も大きいし、とても甘かった。
美味しいはずだ、この葡萄でワインを造るのだ。
1人になっても、キャンプファイヤーの光景が残り、寝つけなかった。
冷蔵庫からビールを取り出した。(*^_^*)
顔も声も知らないネット友人を想いながら1人グラスを傾けた。
かなり飲んだみたいだ。(*^.^*)エヘッ!
だらしのないヤツ! ホームシックか?
いや、パソコンシックだ。(*^o^*)
明けて翌13日。
寝不足なのか、飲み過ぎなのか少し頭がガンガンする。
きっと二日酔いだ! 間違いない!
昨夜、テレビに目を傾け、まだ見ぬ貴女に思慕を寄せながら、かなり呑んでいたらしい。
【思慕】
何らかの意味で隔たりの有る人に対して、 親しく会って話をしたいなどと思うこと。
貴女のことですよん♪
(*^o^*)
向かい酒のつもりで、缶ビール(350ml)を一気にあおった。
二日酔いで味が分からねぇ~! (*^^*ゞ
これで身体が楽になるはずだ。d(^-^)ね!
7:30。ホテルから75Km離れた陽関に向けて出発した。
見渡す限り延々と続く広大な砂漠。
走っても走っても砂漠が続くばかり。
ここから1400Km先にチベットがあるという。
こんな所に置いていかれたら死ぬしかない。(=^_^=)
目的地に着く間に1人の歩行者と出会った。
周りは砂漠で木も建物も何もない。
え? あのおばさん、何処に行くんだろう・・・・・?
せめてラクダでも貸してあげようか? (*^_^*)
ホテルを出てから30分経ったが身体が熱い。(?_?)
向かい酒で楽になるはずなのだが・・・・・
心なしか、身体がフワフワしているような気もする。
どうやら、出掛けに飲んだのはビールではなく、アルコール度数の強いお酒だったらしい。
目が悪いからラベルが良く見えなかったのだ。
お陰で、逆に身体がだるくなってしまった。(*^^*ゞ
陽関跡視察。
敦煌に2つある関所のひとつ。
中国では北を陰、南を陽と呼ぶため、南側の関が陽関と名づけられた。
長年の風砂にさらされ、現在では壁の基底の痕跡がわずかに残るのみだ。
唐代の詩人・王維が詠んだ「西のかた陽関を出ずれば、故人無からん」という詩がある。
西域へと旅立つ友人へ送った歌である。
この関所で通行手形が発行された。
ここにも「NIJI先生」って書いてあるよ。
中国は、よほど「先生」が好きらしい。(=^_^=)
この通行手形で「天国」に行けるのだそうだ。\(^O^)/
昨夜のダンサーたちが関所の入り口で待っていた。
相変わらず裸に近い衣装をまとっている。
寒くないのかなぁ~? (*^^*ゞ
関所を越えて丘に昇るのだが、関所前で全員がダンサーたちに何かを飲まされた。
ウッ! 口から火が出そうな強いお酒だった。
その意味は程なく分かった。
とにかく寒いのだ。(*≧∇)乂(∇≦*)
観光客の身体を温めるために強制的に飲ませるのだそうだ。
日本の未成年者はどうするのだろう・・・?
段取りされた観光コースを一回りした。
敦煌市博物館へ移動。
中国に仏教が伝来したのは、前漢末から後漢初め(紀元前後頃)の事と考えらる。
仏教受容期にあたる後漢から三国、西晋時代にかけては、中国の伝統的な思想・宗教と結びついた形で仏教が受けいれらた。
仏像は中国古来の神仙と同列に表現されている。
それに続く東晋及び十六国時代には、仏教信仰が各地へ広がり始め、華北を支配した北方民族の間でも金銅仏などが多数制作されるようになった。
この種の仏像はガンダーラ仏に連なる作風を示し、当時の仏教をめぐる情勢の一端がうかがえる。
4世紀後半には敦煌石窟の造営が開始されるなど、5世紀にかけて、本格的な仏教信仰が中国全土へ急速に拡大して行った。
15枚ほどあるが、1枚だけアップした。
菩薩立像
続いて白馬塔の見学。
唐の高僧、鳩摩羅什が敦煌を訪れた時、その白馬が死んだため、人々が馬を埋葬したという伝説がある塔。(ストゥーパ)
現在の敦煌の街は清代にできたもので、白馬塔は旧敦煌城遺跡の中にある。
ガイドが、 「つい最近修復されました」
と。
「いつ頃ですか?」
とのσ(^_^;)の問いに、
彼のガイドは・・・ 「民の時代です」
おぃおぃ! この時間感覚はどうなってんだ~?
一同、大爆笑!!!\(^^\)o(^o^)o(/^^)/( ^ー^)(~^^)
14:30。ホテルを出て敦煌空港に向かった。
16:00。敦煌空港を離陸。
19:00。北京に到着。
20:15。ホテルにチエックイン!
あぁ~ 疲れた! o(*^▽^*)o あはっ♪
いっけねぇ~!
20:30から北京市主催の「送別夕食会」があるんだった。( p_q)
いつもの公式行事のように、中国政府の要人と豪華な料理が並んだ。
お礼を言い合い、再会を約束した。(v^-^v)♪
北京市から観光交流記念のお土産が用意された。
何と書いてあるのか解らないが、メダル仕立ての立派なタテが贈られた。
日本と中国の友好の証らしい。
一生の財産となるであろう。(^_-)☆
さぁ、明日は日本への岐路に就く。
早く日本に帰りたいよ~~~!
でも、すんなり終わらないところが旅の醍醐味? (*^o^*)
何があったんだろう・・・・・? (?_?)
【砂漠大陸7】 に続く