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2013年01月15日
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カテゴリ: 読書



 清水一行(著)
 角川文庫 1989/12/10


 日本での二輪自動車業界トップ、イコール世界一の二輪メーカーだった頃の話。

 トップ企業である恩田モータースの背中を追い続けたニッポン発動機に、首位交替の機会がめぐってくる。

 トップ企業である恩田モータースの本格的な四輪進出で、二輪の開発、製造、販売が手薄になった。

 ニッポングループの絶対君主、榊原良平との距離を巧みにとりながら、ニッポン発動機の建て直しをはかった後社長に就任した山下誠は、首位奪取にすべてを賭ける。

 しかし、トップ企業の自覚の高い、恩田モータースは首位の座を守るべく、壮絶な乱売合戦が発生。

 力比べの結果が榊原良平の忠臣、山下誠にもたらしたものは…。

 絶対的な権力を握るオーナー社長的な人物のもとで働く、頂点を目指した使用人的社長が遭遇する悲劇。


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 物語のモデルは、HY戦争とよばれる、1979年ごろから1983年ごろにかけて本田技研工業とヤマハ発動機を中心に国内で発生した二輪業界のシェア争い、乱売合戦に至るまでの経緯。

 ヤマハ発動機の企業展開の内情、本田技研の事業展開をもとにした事実小説。


 断章では恩田モータース(本田技研)の話が、ニッポン発動機、山下誠の物語と連動しながら比較的詳細に語られる。

 話の中に登場する車名は実車と同じ。


 文庫版の原著、ハードカバーの『業界首位』は1987年2月発売。


[その他外装][ALBA][アルバ][ROAD PAL [ロードパル] ][HONDA]ALBA アルバ 国産シートカバー カラー【黒】張替タイプ


 1976年、ホンダはロードパルを発売。

 1977年、ヤマハはステップスルー式(足を揃えて乗ることができる)のパッソルを発売。

 1980年、ホンダ・タクト(スクーター)発売。




 主婦を含めた女性ユーザーの爆発的拡大が停滞気味だった日本国内の二輪市場を揺さぶり、二輪企業を大きく動かした。

 1979年1月ヤマハは生産台数首位となる。

 ヤマハの社長小池久雄による、「チャンスが来た!オートバイ業界の盟主の座を狙う」宣戦布告とも取れる社内外への宣言が、HY戦争の始まりとされる。

 1983年、乱売のツケで高いレベルとなった在庫水準は下がらず、ヤマハ発動機は企業存続の危機目前となった。

 1月、年頭の記者会見でヤマハ社長、小池はHY戦争の敗北を宣言し、勝者なきHY戦争は終焉を迎える。






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最終更新日  2013年01月15日 09時52分32秒
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