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Aug 2, 2008
海に咲く花(四) 20
(4)
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いつものような、耕ちゃんではなかった。あどけなくて、図々しくて、微笑ましい、そんな
耕ちゃんではなかった。
耕ちゃんは、ぼくが言い張っていることを理解しているのだろうか。
たとえ、理解していたとしても、耕ちゃんには、新しいお父さんと言う人ができ、まして大好
きな母さんと一緒に暮らせるのだから、ぼくと一緒でなくたって寂しくも何ともないはずだ
と、ぼくは思っていた。
「お兄ちゃんは、一緒に行かないのッ?ぼくと一緒に行かないの?ヤだッ。そんなの、ヤだ!
お兄ちゃんも一緒に行こーよーッ。何で行かないんだよォ!一緒に暮らすんだよォー」
意外な耕ちゃんの言葉だった。
んだ」
おじいちゃんが、即座に言った。
まだ、怒っている声だった。
ぼくは、このまま誰にも、理解されずに帰っていかなくてはならないのだろうか、無理やり
に。そんな方向に行ってしまうのだろうか。
母さんは、日の当たっている雪だるまのように消えてなくなりそうだった。
暖かさの中にいる雪だるまは、長くは幸せではいられない。
「母さん、ごめんね。ぼくは、母さんを苦しめようなんて思っていないんだよ。母さんは、山
中さんと幸せになってほしいんだよ。ぼくね、友だちと別れたくないんだ。もう、転校する
の、嫌なだけだよ。だから、耕ちゃん。耕ちゃんも分かってよね。母さん、ごめんね。(ぼく
はね、心の中で生きている父さんと一緒に、父さんの育った花立で暮らしていきたいんだ
ぼくは、最後の言葉を呑み込んだ。
心の中で、生きている父さん。
これは、母さんに絶対言ってはいけない言葉だ。
明るい方向を目指す母さんが、悲しげな顔をして戻って来てしまうかもしれないから。
ぼくが、引き戻してしまうことになるかもしれないから。
大好きな母さん。
ぼくを、懸命に育ててくれた母さん。
やさしかった母さん。
あんなに、いつも笑っていた母さん。
さようなら、母さん。
ぼくの、母さん。
ありがとう、母さん。
ぼくは、母さんへのいっぱいの想いを込めて、心の中で叫んでいた。
ぼくを、どうすればいいかと言う結論は、出なかった。ぼくが、六年に進級するまで、話し
合いを進めていこうということになった。
次の日は、母さんと山中さんの帰る日だった。
ぼくのことで、みんなの気持ちは沈んでいた。でも、ぼくには、どうしようもないことだっ
た。耕ちゃんのように、みんなを和やかにしてはあげられない。
「塁くん。ぼくはね。君が来てくれる気持ちに、なってくれるのを、いつまでも待ってるよ」
山中さんは、ニッコリと笑って、ぼくにぐっと手を出して握手をしてきた。ぼくは、力を込
めなかったけれど、山中さんは、思いを込めて力強く握ってきた。
ぼくにとって、とても苦しい山中さんの言葉だったし、避けたい手だった。
ぼくは、母さんのことは、見ないようにした。
母さんが、おじいちゃんと話したり、耕ちゃんと笑っていたりする声だけは、しっかりと、全
身で聞いていた。
帰る日。
おじいちゃんのエフワンに乗り込んで、母さんたちを送っていった。
ぼくは、助手席に座った。
耕ちゃんは、後ろで、母さんと山中さんに挟まれて、おしゃべりをしていた。
耕ちゃんは、母さんたちと一緒に帰るとも言わなかった。
かわいいことを言っては、みんなを笑わせていた。
ぼくは、前を向いたまま、その楽しそうな雰囲気の外にいた。
おじいちゃんも、山中さんも楽しそうだった。
母さんは、どんな感じだろうと、ぼくは、サイドミラーを見た。でも、ぼくの後ろの席にいる
母さんのことは、よく見えなかったし、分からなかった。
エフワンを、降りると、ぼくは母さんたちへのお土産を持って、先に駅に向かって歩き出し
ていた。
おじいちゃんが、何か言ったけれど、ぼくは、振り向かなかった。
早く時間が来て、電車が発車していってほしいと思った。
ぼくは、どんよりと疲れていた。
ホームが賑やかになって、電車が入ってきた。
おじいちゃんは、丁寧に山中さんにお礼を言っている。何かを話して、二人で笑った。おじい
ちゃんと山中さんの間には、もうしっかりと通い合うものが生まれていた。
山中さんは、母さんをガードするようにして、電車に乗り込んだ。
母さんが、ぼくに、叫んだ。
「塁。塁ッ。母さん、待ってる!塁が来てくれるの、待ってるから」
電車のドアが閉まりかけたその時、耕ちゃんがおじいちゃんの手を振り解いて、電車に飛び
乗っていった。
ドアは、閉まり、耕ちゃんが母さんに抱きついていくのが見えた。
ぼくは、静かにこの光景を見ていた。
――母さん、さようなら。ぼくの母さんーー
つづく
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Last updated Aug 3, 2008 12:42:51 AM
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