2006.03.14
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だって僕はそれ以上口にすることも出来ることも何も無くて、「ごめんね」も「ありがとう」も言えなかった。

「さようなら」も。

「またね」も。

そうして春がまだもう少し先の繁華街の中にある小さな公園のベンチの前で、彼女の白いコートの上から2番目のボタンを見てた。それより上の白くて細い首には僕のプレゼントしたネックレスがまだあって、それを真っ直ぐ見るとどうしようもないくらいに胸の辺りから熱くて焼けるようなものがこみ上げて来るから目に入らないように。たぶん少し震えてるくちびるや夕方の風で冷たくなった鼻先や長いまつ毛の潤んでるであろう目や黒く染めたばかりの髪やそういうものをちゃんと見れない。


「ねえ、すごく。すごくしあわせだったよ」


どうして僕が言おうとすることとか思ってることとか。彼女と同じなんだろう。やっと見つけた台詞を奪われて頭の中をぐるぐると手探りでいろんな言葉を探すけれど。そうだね。例えば何か言葉を見つけてそれを口にしたとしても彼女は「知ってるよ」と笑うだけで。僕もそれを知ってる。知りすぎてる。


それは皮肉なことだけれど。お互いのことが分かり過ぎるって時に残酷過ぎる。少しの、たった少しの歪みですら知りたくも無いのに分かってしまう。少しの歪みをお互いに気付いてしまったらその歪みは大きくなるばかりでもう止めることも気付かなくすることも出来なくて。


こんな時にまで僕らは同じ事を考えていて、それが確かな繋がりであると同時にとても大きくて冷たい鎖みたいに思えた。その鎖が僕らをお互いに不自由にするならその鎖を解いてしまうことも答えのひとつだと、それも二人同時に思ってしまったんだから僕らはお互いに持っている鍵で相手の足かせを解こうとした。そんなこと。


同じ音楽を聴いて同じ映画を見て同じ本を読んで同じ感想を二人で言って。同じ料理を食べて同じ景色を見て同じ道を歩いて同じことを同時に言って。それが心地良かった。二人同時に口を開いて言い掛けた言葉を二人同時に飲み込んでそれでもお互いの言いたいことが分かった。

きっと。ちょっとお互いが見えないくらいのほうがバランスは保てるんだって。そして彼女も同じ事を思ってると思うから。

僕は頷くだけで良かった。



そうして春がまだもう少し先の繁華街の中にある小さな公園のベンチの前で、僕と彼女は最後の言葉を交わす。これまでと同じ。同じ言葉を同時に言って。




「そろそろ、ね」


「ああ、うん」


「じゃあ」


「じゃ」















「あの、お金だけは返してね」「ありがとう、元気でな」














最後の言葉だけすれ違って、僕は苦笑いをした。いろんな意味で。





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Last updated  2006.03.22 18:28:24


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