のぽねこミステリ館

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2005.06.03
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子供たち怒る怒る怒る

~新潮社~

「大洪水の小さな家」起きると、町は洪水に襲われていた。その家も二階まで水に侵されている。11歳の僕と弟は、激しい雨の降る中、屋根に避難していた。しかし、妹がいないことに気づき、僕は水の中へ潜っていく。
 感想。僕、弟、妹。三人だけで完結していて、他人は、親ですらもどうでもいい、という価値観の僕たち。『言葉』にも『物質』にも全く意味が見いだせない僕たち。僕は、その思想を押し殺し、親も含めた周囲の人々になんとかあわせる「ふり」をしていたが、弟たちは僕ほどうまくそうすることはできなかった。それに気づかれて、睡眠薬を盛られたのではないか、見殺しにしようと思われたのではないか、と思う僕。物語はこういう調子で進む。回想シーンとして両親の描写も若干あるが、ひどい大洪水の中、両親や他の人々のことは全く頭にない僕。自分(たち)以外は全く無関係だと考える僕。ものの名前が二重かっこで囲まれて書かれていたのが印象的。
「死体と、」生まれながらにして重病をかかえていた少女が、九歳で死んだ。生前は笑顔をふりまいていたが、死顔は苦痛に歪んでいた。両親は悲しみ、エンバーミングを施してもらう。死体はきれいになった。葬儀を終え、火葬場に向かう途中で、事故が起こった。
 感想。一度も改行されていない。会話文も一度も出てこない。淡々とした地の文が最初から最後まで続く。一段落だけの、短編。少女の死体をめぐる人々が過去を回想していく、というスタイル。今まで読んできた佐藤さんの作品のどれとも作風が違うなぁ、と感じた。純文学的、というか。
「欲望」ある日、授業中のこと。ある生徒の、「動かないと殺しちゃうわよ」という言葉から、それははじまった。マシンガンなどの武器をもった四人の生徒による、大量無差別殺人。教師である「私」は、彼らの行動には理由があると考えるが、彼らは理由はないと主張する。
 感想。人を殺す理由-動機。ニュースでは、ほぼ間違いなく報道されるもの。それは、
理由なき殺人は理解できないから。生徒たちが、適当に動機をでっちあげるシーンは、

「子供たち怒る怒る怒る」九州で不幸な目にあっていた僕と妹は、母とともに神戸にやってきた。転校初日、僕にも友達ができた。その頃、神戸を震撼させていた牛男の事件。いままでに、六人の男女が、無惨に殺されていた。僕が入った班では、次回の牛男の犯行を予想する、というゲームをしていた。
 感想。話の筋の主軸となるのは、牛男の事件をめぐるものだと思うけれど、考えさせられるのは、差別とか、偏見、いじめ、責任はないのに、苦しめられ、虐げられるという現実、社会に対する怒り、であろう。全然悪いことをしていないのに、ひどい目にあわされる人たちがいて、その現実に対して怒る子供たち。しかし、彼らは、怒り、行動を起こすのに、ためらいを感じている。こういうときに怒るのは普通だよね? 私は、間違っていないよね? 理不尽なことに対して、素直に怒ることもままならない現実。もちろん、怒って、そこで彼らが起こす行動は理屈では容認できるとはいえないとしても、もし自分が彼らの立場だったら…どうするだろう、と考えると、この物語は深いものだと思う。牛男も、うまくいえないけれど、何かの隠喩だろうし。
「生まれてきてくれてありがとう!」6歳の僕は、日曜日、雪の積もった公園へ遊びに行った。姉からもらった女の子の人形をもって。その人形を投げていると、除雪車が積み上げた雪の上に乗ってしまった。人形を取りに行った僕は、運悪く、雪の中に閉じこめられてしまう。
 感想。完全に孤独で、誰の助けも得られず、死に直面する恐怖を感じる僕。あきらめかけた僕は、あるきっかけで生き延びようと決意する。こういうポジティブな思考は、なかなか私にはできない気がする。
「リカちゃん人間」家族から虐待され、クラスメートからいじめられ、担任からもいじめられてきたリカ。彼女は苦痛を受けるたびに、人形となり、苦しさから目をそらす。しかしある日、給食に何かをいれられて腹痛を起こした彼女が、いつも話を聞いてくれている生徒指導室の先生のもとへ行くと、人形になるのをやめ、戦うんだ、といわれる。先生は彼女を、この苦しみから遠ざかることができるどこかへ、連れて行くと約束してくれたのだが…。
 感想。最初は、この短編の内容紹介は書かないことにしようかな、と思いながら読んだが、生徒指導室の先生が登場するあたりから、いや、やっぱり書こう、と思った。といって、いずれにせよ立ち入った内容まで書くわけではないのだが。人形だから、殴られようが蹴られようが髪を焼かれようが何も感じない。そう、リカさんは「いいわけ」する。そんなのが嘘だというのは、彼女自身も分かっているというのに。「子供たち怒る怒る怒る」でも感じたけれど、苦しめられた彼ら、彼女らが最終的にとる、あるいはとろうとする行動は、彼らの過去とてらしあわせても、やはり正当化はできないのだろうか。世の中は不条理だなぁ、とつくづく思う。

 さて、全体を通して。表題作のみならず、全ての短編で、主人公は「子供」である。苦しい体験を強いられていたり、独特の世界観を有していたり…。ちょうど、本作を読む前に読んだのが辻村深月さんの『子どもたちは夜と遊ぶ』だった。そこでも感じたけれど、やはり「子ども」には怖いところがある。ただ、「大人」にも怖いところ、醜いところがあるわけで、一概に「子どもは…」という形で論じるのは不適切ではないかと思う。「子ども」と「大人」の価値観は、異なっていることが往々にしてあるにしても。「大人」も「子ども」の時期を経ているのに、どうして「子ども」のことが分からなくなっていくのだろう。心理学(発達心理学になるのかな)の本を読んで勉強したいところである。
 印象的だったのは、表題作である。純粋に、この短編集の中でも100ページをこえる長い作品だ、ということもあるだろうが、けっこう付箋をはった。





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Last updated  2005.06.03 21:48:21
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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