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2007.06.18
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 前回の研究整理の記事からずいぶん時間が経ってしまいましたが、今回は、11世紀頃からのヨーロッパにおける悪徳観の転換について書きたいと思います。今回は、レスター・K・リトルの有名な論文、「傲慢が貪欲に先行する:ラテン・キリスト教世界における社会的変化と悪徳」 (Lester K. Little, "Pride Goes before Avarice : Social Change and the Vices in Latin Christendom")に、主に依拠しています。
(参考記事: ヨーロッパ中世の悪徳観(その1) ヨーロッパ中世の悪徳観(その2)  )

 11世紀から14世紀の間に、ヨーロッパ社会には、大きな構造的な変化が起こります。都市が成立し、商業が復興、貨幣が使用されるようになります(リトルは1000年~1350年を、「商業革命」の時代として捉えています)。
 前回までの研究整理で見たように、11世紀以前、悪徳の首位は「傲慢」prideでした。ところが、11世紀頃から、「貪欲」avariceが強調されるようになります。私の専門のかねあいもあり、シトー会修道士のリールのアラヌス(Alain de Lille, 1125/30-1203)を例にあげます。彼は、その『説教術大全』の中の「貪欲について」という章で、次のように述べています。「貪欲には限りがない……ただ貪欲のみが、測りにかけられることがない。……貪欲と金銭への愛は、他のどの悪徳にもまして悪い」。ところが、アラヌスは、七大罪を図式的に並べるときには、傲慢、嫉妬、憤怒、気鬱、貪欲、飲酒、放蕩としています。これはグレゴリウス大教皇以来の伝統的なsiiaagl型(傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、貪欲、大食、姦淫:superbia, ira, invidia, acedia, avaritia, gula, luxuria)に近いといえるでしょう。
 有名なトマス・アクィナスは、その『神学大全』の中で、貪欲と傲慢はどちらが悪いかという問いをたて、そのいずれかが優勢ということはないと述べています。その根拠は、聖書にある、矛盾したテクストです。一つは、集会の書10章15[13]節「全ての罪の初めは、傲慢である」という言葉。もう一つは、テモテへの手紙一6章10節「金銭欲はすべての悪の根本である」という言葉です。

 リトルは、こうした文書史料の分析から、図像史料の分析に移ります。
 傲慢を描いた図像は、9-11世紀には5つだったのが、12世紀から20に。貪欲を描いた図像は、 9世紀に一つ、10世紀に二つだったのが、11世紀には10、12世紀には28と増加していきます。もっとも、リトルが示す数についていえば、傲慢にせよ貪欲にせよ、11世紀以前の図像表現と12世紀以降の図像表現の割合は大体1:4となり、リトル自身も言うように、どちらが優勢ということはありません(数の上では、貪欲の方が多いですが)。いずれにしても、11世紀頃から、貪欲がますます強調されるようになり、傲慢が以前ほどではなくなる、ということはいえそうです。

 傲慢は、主に、馬から落ちる騎士の姿で表現されました。貪欲を示す図像表現は多様で、金を数える人、ユダヤ人、金の入った袋を握りしめる人といった図像があります。さらに、貨幣が不潔なものであることを示すために、貨幣を排泄する猿、猿が持つボウルに貨幣を排泄するhybrid man(適切な訳語が分かりません…)の図像が描かれました。さて、貨幣が排泄されるということは、腸はその不潔な貨幣をうむところであります。ということで、ユニコーンがかがんだ猿に角をむけて突っ込んでいくという図像さえもあります。ぞっとしますね。

 あらためて、11世紀以前、いわば「前商業社会」における最悪の悪徳は傲慢でした。11世紀頃からの「商業社会」にあっては、最悪の悪徳は貪欲となります。リトルは、これらの対比を、それぞれの時代に主要だった修道会の理想の対比と関連づけています。
 11世紀以前に主要な修道会であったベネディクト会系修道院では、修道士の多くは騎士階級出身でした。彼らは、馬、武器を捨てて修道士となります。いわば、富ではなく、権力を捨てたのでした。そうした彼らの理想は、謙遜でした。ということで、彼らにとって傲慢への非難は、権力への自己批判という性格も持ち、また、非難すべき問題であったということです。
 ところが、11世紀頃から、宗教改革者(ルターの時代の意味ではなく)は、ベネディクト会の壮麗さを非難するようになります。 11世紀頃から活動をはじめた隠修士もそうです。また、13世紀に誕生し、主要な存在となる托鉢修道会の理想は、清貧でした。代表的な人物であるアッシジのフランチェスコは、もともと富裕な商人でしたが、あるとき回心して、財産をなげうって修道士になります。巡歴説教を展開し、喜捨に頼って生活した彼らにとって、富、それにつながる貪欲は最悪の悪徳だったということです。

 以上の論を図式的に示すと、次のようになります。
<時代>:<社会>:<主要な修道会>:<その理想>:<最悪の悪徳>
11世紀以前:「前商業社会」:ベネディクト会:謙遜:傲慢
 ( 「商業革命」→都市の勃興、商業の復活、貨幣の使用
11世紀以降:「商業社会」:隠修士、托鉢修道会など:清貧:貪欲

 このように、悪徳の首位が貪欲に移行する中で、それを示す新しい悪徳の図式が生まれます。スサのエンリコ(ホスティエンシス;c. 1200-1271)が、はじめてその図式を示しました。彼による図式は、次の通りです。


(superbia, avaritia, luxuria, ira, gula, invidia, accidia)


 この図式は、 saligia型 と呼ぶことができます。これまでの図式のように、傲慢が最初に置かれていますが、貪欲の位置が上位に移っていることが確認できますね。


 次の研究整理の記事のテーマは何にしようかなぁ…。卒業論文から勉強している「例話」なら、いままでに書いた論文を下敷きに書きやすいのですが。

 とまれ、今回の記事の参考文献です。

(研究文献)
・Morton W. Bloomfield, The Seven Deadly Sins : An Introduction to the History of a Religious Concept, with Special Reference to Medievale English Literature, Michigan State University Press, Repr. 1967.
・Lester K. Little, "Pride Goes before Avarice : Social Change and the Vices in Latin Christendom", American Historical Review, 76-1, 1971, pp. 16-49.


・Alan of Lille (translated. by Gillan R. Evans), The Art of Preaching, Cistercian Publications, inc. Kalamazoo, Michigan, 1981.
・トマス・アクィナス(稲垣良典訳)『神学大全第12冊:Prima Secundae QQ. 71~89』創文社、1998年。





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Last updated  2008.07.12 18:37:13
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