ぬるま湯雑記帳

巻之五

女子寮騒動顛末 をんなのそのさわぎのあれこれ

ふくすけ 巻之五 天竺遙遠娑婆道行 てんじくはるかしゃばへのみちゆき

 一棟三階六室。入寮日に「ラッキーな部屋」と言われたのには幾つか理由がある。まず、六室であること。各階十二室ずつあるのだが、六室と七室の間には洗面所がある。これの何が有難いのかと言えば、ここにはコンセントの差込口があるのだ。部屋の電気系統といえば部屋と机の蛍光灯だけで、コンセントの差込口がない。一箇所もない。そこでコンタクトの洗浄から電池の充電(主にウォークマン)、ドライヤー、アイロンがけ、果てはムダ毛の脱毛までここで行われることになる。部屋に掃除機をかける時は、すぐに抜ける延長コードを引かねばならない。
 更にしみったれたことに、当時は三十分十円のコイン式だったので、要領よく動かないと十円追加の憂き目をみる。また、タコ足配線にしたところで差込口はわずかであるから、早い者勝ちの争奪戦。何につけても近場が便利なのだ。後にこの悪名高きコイン式差込口は無料となり、寮生をおおいに喜ばせた。

 次にこれが一番肝心なのだが、一棟三階であること。棟は部屋のある一棟から三棟までの三つの他に、舎監室・食堂・浴室・自習室などの管理棟がある。ここに最も近いのが一棟三階なのだ。そして唯一娑婆と繋がっている「電話」なるものがここには存在する。
 入寮当時、三百人ほど寮生がいたのだが、「掛ける電話」つまり公衆電話は十台ちょっとで、まあ、二十人あたり一台という計算になる。…百歩譲ってそれは良しとしよう。問題は(いや、どう考えても公衆電話の少なさも問題だ)「掛かってくる電話」の少なさであった。五台。昔なつかしい黒電話の姿をしているがダイヤルがない。あくまで受信専用。これに関しては六十人あたり一台である。「電話が通じる」のは運の良し悪し以外の何物でもない。掛ける方も命懸けだし、それ以上に受ける方も命懸けだ。

 外部から電話が掛かってくると、受付がそれを受信専用黒電話のボックスに回す。そして呼び出しの放送が寮に流れる。たいがいの寮生は、自分の名前が呼ばれた時点で、どこにいようとも猛ダッシュをする。二回呼ばれても電話に出られなかった場合、外部からの電話は無残にも切られてしまう。お風呂の時はまだ諦めもつくが、トイレの時なんぞはさぞ悔しいだろうなあ。

 寮生の楽しみは電話に因る割合が非常に大きいのである。ダッシュを駆ける時の顔なんざ、そりゃもう目なんか笑っている。…一棟三階なら多少もたついても、まず電話を切られることはない。何かにつけても近場が便利なのだ。
 これが二棟四階十二室ときた日には、とにかく走らねばならない。まず、一室方向にむかって廊下を走り、一室脇の階段を一気に一階まで駆け降り(十二室の脇にも階段はあるのだが、殆ど利用されることは無い。節電の為か、夜間電灯がつかない)、更には連絡通路を駆け抜け、くたくたになりながらボックスに滑り込むのである。
 従って、掛けた方が真っ先に耳にするのは寮生の「はぁはぁはぁはぁ」及び咳き込みであろう。時には片方のスリッパだけが廊下を走り、時には階段でつんのめり、それでも「下界からのメッセージ」を求めて寮生は電話へと急ぐのである。

 下界からのメッセージは夜九時で終わる。(続く)


1997年1月1日発行 佐々木ジャーナル第15号より(一部変更) 千曲川薫


時代を感じさせる巻ですなあ。「ウォークマン」やら「電話に命懸け」やら(笑)。今ならケイタイだもの、こんな問題は皆無なんでしょうね。在寮中に部屋に電話をつけるという話が持ち上がって、反対した覚えがあります。部屋で聞きたくない話を聞かされる側、聞いてほしくない話を聞かれる側、どっちにしてもイヤだから。その後どうなったんだろ。



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