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この1年近く、いろいろなことが起こり過ぎたので、
常に現実が流動していて、なかなか書き留められずにいた。
Ru’は、1学期は本当に頑張って、よく通った。
休みもほとんどなかった。
だが2学期になると、突如として休みがガクッと増えた。
夫はそれが、私が夏休みの宿題を完遂させなかったからだ、
という。
それも一理、と思って厳粛に受け止めてはいるのだが、
どうもそれだけではないような気がする。
要因と言えば、いろいろ考えられる。
先生との関係、友達との関係、クラスメイトとの関係、
鬼ごっこでの集中攻撃、デブ、ノロマ、グズなどの
言葉の暴力、或いは殴る蹴るの身体的暴力(喧嘩)、
数え上げればきりがないだろう。
だが問題の根本はそんなところにあるのではない
ような気がするのだ。
Ru’は、よく、
「俺は自由に生きたいんだ」
「上からものを教えられるのは嫌だ。自己流で行きたい」
などと言う。
夫や母は「人からものを教わるという姿勢がなかったら
何も上達しない」と言う。
確かにそうだと私も思う。
だが、世の中、自己流、独学で成功した人もいるのではないか。
誰かの真似をして上達するのは、ある意味誰でもできる。
だが、全くの無から、己の力のみで這い上がるのは、至難の業である。
Ru’がこの先も自分の流儀を貫いていく限り、周囲との軋轢や、
いわゆる処世術的な綱渡りは、困難を極めるだろう。
だがそれで成功した人もいなくはない。
そもそも何を持って『成功』というのか。
その人の人生が、その人なりに充実して幸せであったと、
その人本人が心底思えたならば、それでいいではないか。
私はRu’が自ら選びとっていく、その選択を応援したいと思う。
もちろん、非社会的・反社会的な選択は許すわけにはいかないが、
人は自分が進む道を自分で決める権利がある。
大人に敷かれたレールに無理に乗せられなくたって、
危なっかしいながらも、一つずつ自分の望む方向へ、
枕木を置いていくことができるのだと思う。
親はそれに寄り添い、子どもたちがより良い道へと
進んでいけるように、見守り、時には援助する役目だと思う。
Ru’は、今の画一的で競争主義的な学校の在り方に合う子
ではない、と思う。
それはその子の持って生まれた個性だから、仕方ない。
確かに学校生活の中では行き難いだろう。
世の中の価値観に鑑みれば、その中に納まらない子に違いない。
でも、それでもRu'にはRu’なりの生き方があるのだから、
私は学校の規範の中に無理やり押し込もうとは思わないし、
無理に学歴を積み上げていっても彼の人生に必ずしもプラス
だとは思わない。
彼は彼の生きたいように。
彼がその人生の中で選び得る、最高の道を選んでいけるように。
それを祈り、願いながら、寄り添い、時に支援していく。
それが親の在り方だと私は思う。
夫や、義両親とは、たぶん全く違う考え方だとは思うが…。
だから私は、Ru’が学校に行くか行かないかは、それほど
重要な問題だとは思っていない。
親が言うのもなんだけど、Ru’は賢い子なので、学力の遅れも、
難なく取り戻せると思う。
それよりももっと心配なのは、Ru’の「怒り」の感情である。
彼は今、多くのことに怒っているらしい。
先生に対しても、友達に対しても、われわれ家族に対しても。
いらいらすると、怒りゲージが溜まっていって、限界に達すると
爆発するのだという。
爆発とは、とんでもない暴力の衝動のことらしい。
本人曰く「この家ぶっ壊すかも」なくらいらしい。
この「暴力の衝動」というヤツが、私には恐怖だ。
夫の怒り方にも恐怖を感じるが、Ru’の怒り方にも
同様の恐怖を感じてしまうのだ。
このままいったら、もしや思春期には、家庭内暴力
とかに発展してしまうのではないか、なんて怖れている。
今のうちに、その暴力衝動とやらが何なのか、
どこから来ているのか、そしてどうやったら昇華させることが
できるのか、きちんと認識して、身に着けていかなければならない
と思う。
そのために、私は専門家の支援を必要としている。
私には、息子をカウンセリングするなどということはできないし、
児童精神医学の知識も、カウンセリングの技術もない。
私の主治医には、
「息子さんはあまりにも賢いから、ある種の発達障害かも」
と言われた。
え~さすがにそれはないだろう…と思ったが、確かに
独自の考え方やこだわりを見ていると、可能性もなくはないかも。
そこで、高知県の療育センターに相談してみようと思っている。
私の今のRu’に対する所見はこんなところである。
学校に行くいかないより先に、解決すべき問題があると
思っている、ということだ。
この「怒り」に、Ru’自身が立ち向かい、いなしたり、制御できたり
するようになれば、学校に行ってもうまくやっていけるのではないか。
Ru’が、少しでも安全に安心して学校生活を楽しめるようになる
ために、私たちができることは何か、まずそこから出発しなければ、
結局はRu’のためにならないのではないか、と思うのである。
この件について、今の私は孤軍奮闘である。
だがこの先、理解してもらえる人を探して、一人でも味方につける
ことが大切だと思う。
Ru’を守る非常線を張るために。
その中で、Ru’がゆっくりと成長していけるように見守るために。
「学校、一番乗り!」の真相 2011年11月18日