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真理探究と歴史探訪
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2015年06月26日
「岩戸開き」に繋がる旅路・・・(3)
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思い返すと2013年の春には、主に第45代 聖武天皇 に思いを馳せての長旅(※)を経験したが、その際には聖武天皇によって「大仏造立の詔」が発せられた紫香楽宮の宮跡には訪れていなかった・・・。
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加えて近年になって、これまで「紫香楽宮跡」と指定されていた場所より北約2kmに位置する「宮町遺跡」から、大規模な建物跡が検出され、木簡が大量に出土したことなどから、その宮町遺跡が本来の宮跡と考えられるようになったこともあり、約30年ぶりに現地に行ってみようと意欲が湧いた次第である。
まず上の画像は、その「宮町遺跡」のある地点から北方を撮影したもので、画像に映る田地の数十m先には中心となる建物の「朝堂」(桁行約37m・梁行約12m)があったとされている。
さらにその東西には、約112mの長大な二棟の脇殿が配置されていたとのことで、その建築規模からみて往時の紫香楽には奈良の平城京に匹敵する皇都が建設されていたことが伺えそうだ。
以下、「紫香楽宮」に関する概要を、ウィキペディアより抜粋しておこう。
・740年(天平12年)の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は恭仁京(現在の京都府木津川市加茂地区)に移り、742年(天平14年)には近江国甲賀郡紫香楽村に離宮を造営してしばしば行幸した。これが紫香楽宮である。
・翌743年(天平15年)10月、天皇は紫香楽の地に盧舎那仏を造営することを発願した。これは恭仁京を唐の洛陽に見立て、その洛陽と関係の深い龍門石窟の盧舎那仏を紫香楽の地で表現しようとしたものとみられる。12月には恭仁宮の造営を中止して、紫香楽宮の造営が更に進められた。
・745年(天平17年)1月には新京と呼ばれ、宮門に大楯と槍が立てられ、甲賀宮が都とされた。しかし人臣の賛同を得られず、また天災など不幸なことが相次ぎ、同年5月に平城京へ戻ることになった。このため甲賀寺の盧舎那仏の計画は、「奈良の大仏」東大寺盧舎那仏像として完成されることになった。
次に上の画像は、冒頭の紫香楽宮の中心施設たる「朝堂」から、ほぼ真南約2kmのところにある甲賀寺跡(従来の紫香楽宮跡と指定された地域)の「金堂」のあった場所を撮影したものである。
つまり予定通りに盧舎那仏が紫香楽の地で造営されたとするならば、この「金堂」に本尊として安置されることになっていたわけである。
そもそも聖武天皇はなぜ、この紫香楽の地に大仏を造立しようと構想したのだろうか・・・これは大きな謎として歴史研究家を悩ませているが、その謎に明快に答えてくれる良著(※)があった。
※書籍紹介・・・『星空の卑弥呼』(下) 榊 晶一郎 著 ・ 太平洋出版社 刊
この本では、日本各地で天体を地上に投影するかたちで都造りや社寺の造営をしてきた形跡を、現地調査を重ねて追求していった経緯が記されており、往時の聖武天皇は橘諸兄を筆頭とする側近の支持を得てであろう、平城京より恭仁京や難波京、そして紫香楽京に転々と遷都していくが、おそらく都造りの際には国家機密とされたであろう「天体の地上投影」という観点から、五角星ともいわれる天体「ぎょしゃ座」の、最も天頂に近い「メンカリナン」の地上投影地として「紫香楽」が選定されたと推理する。
聖武天皇が建てようとした「盧舎那仏」は、サンスクリット語では「輝くもの」を意味し、華厳経では「宇宙の中心」で真理そのものとされ、その仏の座すところは天空の真上、つまり「天頂」が相応しいので、当時は天頂に最も近づく星とされていた御者座の「メンカリナン」に「紫香楽」を対比させて、そこに盧舎那仏を安置しようとしたのではないかと、そのように推考できるそうだ。
私自身も実際に歴史の現場に立ってみて・・・この紫香楽の地に大仏を造りたかった・・・という想いが、何故かひしひしと心に伝わってきて、しばし感慨深い思いに浸ったことを憶えている。
さて旅路の最後に向かったのは、琵琶湖の湖水を源流とする瀬田川の急流域に鎮座し、祓戸四柱を祀る「佐久奈度神社」(滋賀県大津市)であった。
当神社は、天智天皇8年(669年)勅願により、中臣金が祓戸の神を祀ったのが創始とされ、以来「七瀬の祓い所」の一つとして重んぜられ、名神大社として延喜の制に定められるなど、当地方の名社とされていた。
神道の祭祀に用いられる祝詞の『大祓詞』のもととされる『中臣大祓詞』は当社が創始地とされており、古代より当社に伝わる祓詞が、文武天皇の時代に勅使がつかわされ『中臣大祓詞』として増補制定されたとのことだ。
最後の画像は、旧社殿の跡地より展望した瀬田川の急流を撮影したもので、その轟々と流れる音を体全身で浴びながら、今回の旅路の全体を展望しつつ、天然の身禊大祓(みそぎのおおはらい)を受けている心境になるのであった。
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最終更新日 2015年06月26日 15時16分07秒
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