真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2016年03月01日
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その年に2回の日取りに、当社では「夕陽の祭」が開催され・・・ご祖先様が坐(マ)します彼の世(あのよ)と この世が一直線に繋がる日・・・として大切にされてきたとのことだ。

その祭日に神社と一直線に結ばれる「相島」は、福岡県糟屋郡新宮町の島(有人島)である。新宮漁港から北西約7.5キロメートル、町営渡船でわずか17分の玄界灘の海上に浮かぶ。

島の形状は三日月型で東西に細長く、南に面して入り江になっており、夏季の台風接近や冬季の北西寄りの季節風等により玄界灘が荒れている場合も、対岸の九州本土に比べて船の出入りが可能であることが多く、昔から急な荒天の場合の船の避難場所となっていたそうだ。


今回が初めてとなる「相島」に渡って訪れた東方の長井浜という場所に、国指定史跡の「相島積石塚群」があった。この積石塚は4世紀後半~6世紀のものとされ、約500m×50mの範囲に250基以上の積石塚群があり、円墳や方墳が中心だが、前方後方墳もある。

冒頭の画像は、一帯の積石塚群の中央部にあって最大の「前方後方墳(相島大塚・120号墳)」を映したものだ。そして次の画像は、その解説版を撮影したものである。

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ある研究者によると、この「相島積石塚群」は海人族(安曇族)との関係がうかがえる貴重な遺跡で、宮地嶽神社の参道がピタリとこの古墳群に向けられており、神社境内地と古墳群は同時期に位置調整が行われたことがわかるそうである。

・・・とのことから、冒頭に記した「夕陽の祭」の・・・ご祖先様が坐(マ)します彼の世(あのよ)・・・とは、まさしく神社の参道が指し示す先の「相島積石塚群」を意味していたことを、現地を訪れてみて実感したところである。

平成13年に国指定史跡となった「相島積石塚群」の地域内は、現在は見学路が設けられ散策ができるようになっている。下の画像は、積石塚群で最大の前方後方墳の上から、画像では確認できないが対岸の中央部にある参道の、その先の高台に鎮座する「宮地嶽神社」の方面を撮影したものである。




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最終更新日  2016年03月01日 11時33分28秒


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