
当地の山麓や周辺地域には旧石器時代~縄文時代の遺跡が多く見つかっており、往古の腰岳は「黒曜石」の九州最大の産地だったとのことで、かねてより一度は訪れてみたいと考えていた。
そこで冒頭の画像は、その「腰岳」の山頂から北方の伊万里湾方面を撮影したものである。画像のように少しガスってはいたものの、実に清々しい展望であった。
上の画像は、腰岳の山頂を示す看板と三角点の標識を映したものである。6合目辺りまでは車で行けるので、軽いトレッキング感覚で登ることができた。
そして、たまたま当山中腹の山道で拾った小石が、下の画像に映る「黒曜石(約2.5×5×2.5cm)」である。その割れた鋭利な破断面は黒い光沢を強く放ち、角度によっては紫や青の色合いも散見され、思わず見惚れてしまうほど綺麗な石だった。
また山腹の道端には(ごく限られた地域ではあったが)下の画像のように、木々の根元に黒い石が散在しており、これらの黒い小石がほとんど「黒曜石」であることがわかり、感嘆の声を上げたことを憶えている。
かつて、腰岳と同じく「黒曜石」の産地として有名な島根県は「隠岐島(島後)」の黒曜石を見てみたいと思い、その露頭があるとされる現地を訪ねてみたが、残念ながら石器の素材として活用できそうにない5~10mm程度の小粒状のものしか見い出せなかった。
そんな経験もあって腰岳の中腹にある下の画像の、ここが黒曜石の採集地だと言えそうな現場を目の当たりにして・・・感 慨 一 入・・・だったというわけだ。
腰岳産の良質な黒曜石でできた石鏃や石刃などの遺物は、当地の周辺遺跡のみならず九州全域から出土し、また沖縄本島の仲泊遺跡や朝鮮半島の東三洞遺跡でも発見されており、遠くまで運搬され利用されていたとのことである。
そこで必然的な巡り合わせというか…現在、地元は山口市内の「山口市小郡文化資料館(2階展示室)」において、『地下からよみがえる小郡』(入館無料/3月17日まで)と題する企画展が開催されているので見学に立ち寄ると、市内の小郡にある「長谷遺跡」から出土した数ある石器類の中に、黒々とした黒曜石の石器が一点展示してあった。
もしかして…と解説を読むと、石鏃(縄文時代・腰岳産黒曜石製)とあり、感動で思わず声が出てしまった。当遺跡では石器類を作る際に出た破片なども見つかっているとのことである。
当展示会では、旧石器~縄文時代から近代までの「小郡」にまつわる様々な歴史遺物が展示されているので、地元で興味のある方は是非訪れてみてはいかがであろう。
次に、この上下に掲載した2枚の画像は、山頂近くの東方にある大規模な磐座群を、上方と下方から撮影したものである。
映ってはいないが磐座群のすぐ手前には鳥居があり、写真でも分かるように2つの磐座をセメントのブロックで橋渡しするという簡素な宗教施設の雰囲気を漂わせているが、私には一見して古代人が意図的に配置した天体観測を主目的とする施設だと思われた。
地元では「腰岳ストーンサークル(環状列石)」と呼ばれているようだが、おそらく旧石器時代からこの磐座群は、当地域に居住する古代人にとって重要な拠点であったに違いあるまい。
さて下の画像に映る、手前の左右の山並みに囲まれて遠方に見える山は、「黒髪山(標高516m)」という佐賀県武雄市と西松浦郡有田町の境にある山である。
上掲の磐座群のすぐ近くからこの「黒髪山」を視認できた時、かつてこの山に登拝した際の展望を思い出し、この磐座を祭祀場にしていた古代人にとって、「黒髪山」は心の拠り所だったのではあるまいか・・・。
加えて「黒髪山」は、山麓の「イザナミ命」を主祭神として祀る黒髪神社の神体山とされており、この腰岳の山頂部から見て南方にあって、かような素晴らしい位置に見える「黒髪山」は、古代において「南十字星(イザナミの御正体)」に深くまつわる御山だったのでは・・・などと、歴史ロマンに想いを馳せるのであった。
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