真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2019年11月12日
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その「羅城門」の東方を守護するために配置された「東寺」を後にして向かったのは、794年(延暦13年)に都が「長岡京」から「平安京」に遷都された際、最初に建設された都の中心施設「平安宮朝堂院」の正殿である「大極殿(だいごくでん)」の跡であった。

そこで上の画像は、1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して建てられた石碑を撮影したものである。その石碑には「大極殿遺阯」と刻まれている。(京都市中央区千本丸太町)

ちなみに1895年は「平安京」に都が移り、第50代 桓武天皇が「大極殿」で初めて正月の拝賀を受けた延暦15(796)年から1100年目に当たり、これを記念して企画されたのが、桓武天皇を顕彰する祭典「平安遷都千百年紀念祭」であった。





ただし近年の発掘調査によって、その「大極殿跡」は冒頭画像に映る石碑の付近ではなく、千本通(朱雀大路)と丸太町通の交差点を北西側から撮影した、この上の画像の付近であったことが明らかにされている。

(※すぐ上の画像は、その交差点隅の歩道にあった「大極殿」の説明板を拡大したものである。)



そして次に訪ねたのは、現在の京都の中央たる「京都御所」であった。(※2016年より通年無料の一般公開となる。)

そこで上の画像は、入場門を通過してすぐの皇族専用の玄関「新御車寄(しんみくるまよせ)」を撮影したもので、まずその優美な建築様式や雅やかな意匠に魅了された。

この建物は大正4年(1915年)の大正天皇の即位礼に際して建てられたもので、大正時代以降の天皇皇后両陛下は、こちらを玄関として使用されるということである。







「紫宸殿」の広い前庭を挟んで南にある「承明門」の三戸のうち中央は、天皇陛下専用の門ということである。その中央の門より「紫宸殿」を撮影した画像が上だ。



いよいよ回廊に囲まれた南庭に入り、正殿「紫宸殿」の全体像を撮影したものが上の画像である。

普段は紫宸殿内部の中央に、天皇皇后両陛下の御座である「高御座」と「御帳台」が置かれており、明治・大正・昭和の三代にわたる天皇の即位礼は、この建物内で行われた。

ちなみに「平成」や、この度の「令和」の御代変りに際しては、両陛下の御座を京都御所から東京の皇居宮殿に解体移動して用いられた。

また画像のように南庭には、紫宸殿から見て左側(東側)に「左近の桜」、 そして右側(西側)に「右近の橘」が植えられている。


そして以下の画像の数々は、上掲の「紫宸殿」を出た後に御所内の各所を撮影し、印象に残った写真を掲載したものである。晴天にも恵まれ清々しい気分で京都御所を参観することができ感無量であった。
























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最終更新日  2019年11月12日 18時35分42秒


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