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高校生の男の子たちと話をしていると
テスト前日とかという訳ではないのですが
やることを色々積み重ねていくと
「これは、寝られないなぁ。」
とか言っているんですね。
「寝たかったら、寝たらいいんだよ。」
と言うと
「そんなん言ったら
せんせ、とんでもないことになるよ。」
と言うので
「やろうとしていること
そのことは、素晴らしいことだから
寝る時間をたっぷり確保してね。
時間の量とともに、時間の質というか、
密度、濃さを考えたら、また変わるよ。」
そんな話をしています。
今日も英単語を覚えている子達が
「覚えられないし。。。」
とか言いながらやっているので
「そんなこと言っていたら
覚えられるものも覚えられないよ。
だって、『覚えられない』って
自分でその言葉を発していたら
自分の心の中にも人がいてね。
その言葉を聞いているんだよ。
ダメだダメだと言われたら
自分も傷ついちゃうでしょう。
あれと一緒のことなんだよ。」
って、話したんですが
分かってくれたらいいなぁって思います。
昨日の日記の続きにもなりますが
これと、似たようなお話を聞いたので
思い出すままに書いてみますね。
「自分の心のなかにも
いくつかの性格をもった人(後ろの人)がいて
前の人を5人で力合わせて頑張ろうな
って、応援しているんだけど
力合わせて頑張ろうな
というのが間違いなんよ。
協力して頑張ろうなというとき
100%うまくいくかというと
そんなことはないよね。
後ろと前は、直結しているので
後ろが思ったことは、前に伝わるのよ。
自分で決断しているように思うけれど
後ろの決断だったりするんだ。
前は、その通りするんだけど
間違うことは、あるやん。
あっ、違ったって。
例えば、何か深夜まで作業をしていて
『うわぁ、2時を過ぎてしまった。』
と気づいたんだけど
もうちょっとと、
なんとか仕上げて頑張った。
でも、明くる日に
『あぁ、しんど。』
って、思ったりするよね。
となると、
『3時までやったのは間違いだった。
いや、1時で寝ておけばよかった。』
と思ったりする。
でも、昨日の段階では
『もうちょっと、
頑張った方がええんちゃうん。』
と頭のなかで考えていたやつもいたから
3時までやっていたんだよね。
『頑張らんかった方がよかった。
お前が、頑張ろうと言ったから
3時まで頑張ったんやんか。』
と、責めることになってしまうわけだ(笑)
そう責められても、昨夜は
3時までしようとは思ってなかったけれど
もうちょっと頑張ったらが
結果的に3時になっただけなんだけどね。
『お前が、12時までとか決めていたら
こんな状態にはならんかったやんか。
お前が、もっとしっかりせぇ。』
って、責めちゃうんだよね。
これは、自分のカラダではなくて
何をすべきかどうすべきかになったから
自分を忘れてしまったからなんだよね。
守護霊って、いうけれど
本来なにかといったら
自分の幸せを守るものなんだ。
幸せのなかには、元気も入っている
2時3時だと元気もなくなるよね。
じゃぁ、なんでそうなったかというと
それは、物事をどうするかに
意識を置いているからなんだよね。
火事場であれば、今やらないといけないが
一生というのは、今日だけではないので
何かを作り上げるときは
今日も明日も明後日もあるから
12時だったら12時に
終わらなければならないのではないか
ところが、人というのは、物事に囚われるので
とりあえず、今やりあげようと思ってしまう。
なんにウェートを置くかということだよね。
その時に、物事を考えるには
エネルギー、つまり、ゆとりがいるんだ。
うまくいかないときは
ゆとりがなくなっている
物事に囚われている状態で
何が正しいかという生き方になっているんだ。
今頑張ることが正しいになってしまっている。
でも、自分に目を向けたら
今頑張ないことが正しいことになるよね。
ゆとりがないんだから。
実際には、ゆとりがあれば
3時までやってもかまわないんだよ。
3時までやって6時に起きても
その人が、元気なら問題ないんだよ。
自分自身がしんどいことをわかっているのなら
やったら、だめだろうし
12時でしんどいのなら
11時にしないといけない。
しんどくなる前に気づくということは
自分自身を常に把握しておかないといけないし
それだけ、上手に賢くやらないといけない。
後ろの間違いというのは
物事をどうするかと思うから間違いなんだ。
自分自身に意識を置かないといけない。
一番初めに言ったことだけど
皆で協力してサポートしようといったよね。
それは後ろの意識というのも
物事を見ていたということなんだよ。
お互いに人を見ていないくて
仲よくしようがそこに無かったんだ。
無意識のなかで
仲よくしよう、楽しくしよう、
笑顔で、優しさをもって
後ろの人にも、前の自分にも
みんなにあったとしたら、無理しない。
いい状態というのは
結果として無理をしないんだ。
無理してしんどくなったら、笑顔はでないよ。
頑張らないといけないから、無理をするんだろう。
協力して、頑張るのは、何のためか。
物事をなすためなんだ。
物事をなすということに意識を置いているんだ。
本来、生きるということは
仲よく、楽しく生きることに意識を置くこと。
それを聞いてしまった人は
仲よく、楽しかったらなんでもいいのか
何もしなくていいのかと反論したくなるけれど
仲よく、楽しかったら
何もしないって、あり得ないんだ。
人というのは、頑張りたいし、ちゃんとしたい
しっかりしたいし、事を成したいと思っている
何もせんでいいでと言って
しない人は、その人がしたくないからなんだ。
しんどいからなんだ。
肉体、意識も元気
心も肉体もゆとりがあれば、みんな頑張る。
頑張りたくないということは、しんどいんだよ。
ゆとりがいっぱいあったら
頑張るのは、ちょっとでよくなるんだよ。」
そんな話を聞いてきました。
水曜日に聞いてきたことを思い出すままに
メモを見ながらばーっと書いたので
今日の日記は、行間が繋がってないとこもたくさんあって
いつもはこの段階ではないのでアップしないのですが
書くことで、次の段階に進む感じがしたので
不完全ながらアップしてみました。
長文になってしまってごめんなさい。
なんとなく、通じていますか。