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『うるさい』の
五月蠅いというのは当て字で
本来は、『右流左死』(うるさし)
平安時代、右大臣菅原道真が大宰府に流され
都に戻れないまま、大宰府で亡くなってしまい
菅原道真を流した左大臣藤原時平の方も
疫病で死んでしまったことを
道真のたたりだと町中で囁いていた状況
『水に流す』とは下鴨神社の手洗池で
疫病やききんが流行っていたときに
身を清めていたからだそうですね。
先日、テレビでそう言っていました。
『うるさい』ことを言われたときに嫌な行為を目の前でされたときに
反応して、鋭いチクリを言う方がいいのか水に流してしまうのがいいのか
そんなことを思っていたのですごく考えるきっかけになりました。
そして、元気とゆとりと知恵があれば
人を刺すこともなくなると思うのですが
元気とゆとりと知恵を手に入れるには
単純に言ったら、いま楽しいかどうか
楽しいかどうかで
エネルギーが増えるんですよね。
人が生きるには、喜びがないと生きれないし
喜びというのが、人のすべてだし
喜びのために、生きているし
喜びのために、吟味がある。
喜び、楽しみのなかに
人は生きて、そのために吟味をしていて
人が興味、好奇心を示すのは
なぜそういうことをするかというと
それが、喜び、楽しみだからなんですよね。
喜びだから、見たい、知りたい、聴きたいと思う
人が生きるというのは
その人、その人によって違うけれど
喜びのために頑張っていて
悲しみのために頑張っているんじゃないですよね。
「それは、エネルギーが下がっちゃうよ。」
という言葉がわかってきてそういうこともあるかと水に流せるようになり
そのことに気がついて、自分のなかで
喜びでない、吟味を止めてみました。
流せるときには、自分のなかに
ゆとりや余裕があるときなんです。
喜びのためだけに、吟味をするとぜんぜん違いますよね。
「この人、なんなん??」
「この人、訳わからん。」
とか思っても
それを知ってどうなるだしなんでも、どうでもいいことなんですよね。
まぁ、この日記を書いているうちはまだまだ、引っかかってしまっているんですが(笑)
笑顔で仲良く楽しく
自分のなかで、呪文のようにやっていくだけでも
ものすごい変わってきますよね。
『記憶のヒミツ』( 2010年06月29日 )