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2006年08月11日
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カテゴリ: 花・植物
至仏山より尾瀬ヶ原


 尾瀬の景観を保護したり、回復させたりする技術的手法の話をテレビで観ていて、遠い過去がフラッシュバックした。広い湿原や点在する池(池溏)、そしてそこに生える植物相に、今でも強い関心を抱いているのは、尾瀬の「印象」に負うところが多い。

 戦後間もなくの1948年、尾瀬ヶ原をダム湖にする計画が持ち上がったという。それから10年後、初めて尾瀬ヶ原を訪れたのだが、そのとき頼りにした案内書にダムの位置が点線で描かれていたと記憶する。その本は所在不明で定かでないが、三条ノ滝近くではなかったか。その残像が、ずっと心の奥深く突き刺さっていた。

 いろいろな資料から察するに、昭和30年代に尾瀬の人気が急速に高まった。同時に尾瀬の景観や植生の破壊が進み、現場は正視できないものになったらしい。私が訪れた1958年は、まさにその兆候が見え始めたときだった。

 東京を夜行で発って、半分眠りながら三平峠から尾瀬沼に入った。当時の尾瀬沼には、なんと長蔵小屋から沼尻まで渡船があり、それを利用して楽をした。沼尻からは燧岳に登り、尾瀬ヶ原の温泉小屋に下りた。温泉は狭くて、外に登山者の声が聞こえる雰囲気だったが、早々に到着して、さっさと入り、快哉と叫んだ。

 そのころ、尾瀬沼や尾瀬ヶ原にどれくらい「木道」が敷かれていたのだろうか。関心が薄かったからかもしれないが、記憶にない。おそらく、ほとんどは踏み固められた草原の小径をたどり、ぬかるみがあれば脇に避けたのではなかったか。

 宿泊した温泉小屋だったか、途中の「十字路」あたりだったか、わらじを売っていた。今はなつかしい、時代劇に出てくるような純正のわら製。何に使うかというと、「キャラバンシューズ」では湿原を通過できないから、裸足になって履けということ。そこで、重い靴を背負って「中田代」とかをベチャベチャ歩いた。スピードが急にダウンして、焦ったのを覚えている。

 この風景は、今風に言うと、小学生の田植えだが、なにぶん「田んぼの底」が分からない。恐る恐る一歩一歩を踏みだして進む。友人は、太ももまで落ちて大騒ぎをした。当時は笑い話のネタだったが、ルートの両側に幅広く広がった湿原の荒廃は察して余りある。しかし今、ネットにその影を探しても、どこにも見あたらない。忍耐ある修復作業のなせる技である。

 三平峠と並ぶ尾瀬の入口、鳩待峠からはアヤメ平を目指した。ところが、ようようたどり着いた憧れのアヤメ平は、1958年でも一面に荒れ果て、幻滅の一言。前出のテレビでも、ネットで見つけた写真でも、当時よりよっぽど美しいアヤメ平を観て、思わず涙した。西丸震哉著、ブルーガイドブックス6「尾瀬」(1964、昭和39年発行)を開くと、アヤメ平についてこんな記述がある。

 「原の最上部に大きな池があり、まわりを板の道がグルリととりかこんでいて、ある人がお猿の電車といったそうだが、けだし名言。これも泥沼になる以前なら目立たなかったろうが、草がふまれてしまった今は救いようもない。池のまわりわずかに草がふみ残されている」



 今では日本百名山の1つ、花の特異な至仏山に景観修復の重点が移っているもののようである。





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最終更新日  2006年08月11日 12時37分45秒
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