田中およよNo2の「なんだかなー」日記

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2004年11月14日
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カテゴリ: 硬派
僕たちはあのUSAワールドカップ予選、いわば「ドーハの悲劇」を冷静に検証することができるのではないだろうか。

振り返るとドーハの悲劇は当然だったようにも思えてくるのだ。

なぜなら、我々はワールドカップという大会ばかりを世界であると考えていて、アジアに眠るワールドクラスの選手を知らなさすぎたのだから。

まず、イメージを払拭しよう。
繰り返し流されるビデオ。
最終戦、ロスタイムのイラク戦。
イラクのヘディングがGK松永選手の横を通り過ぎたシーン。
いわゆる、ドーハの悲劇。

だが、あれは一つの結果なのだ。


我々は楽観的だった。
日本の組織的な守りはアジアNo1であり、カズはアジア最高のストライカーだと、無知な我々は疑いもしなかったのだ。

そして迎えた初戦。
サウジアラビア、0-0、ドロー。
悪くない。
だが、この試合で光ったのは日本の組織的な守備ではない。

アル・デアイエ選手。

サウジアラビアのGKである。
前半にサイドからのボールをボレーであわせた福田選手のシュートは正確だった。
オフト・ジャパンの真骨頂である。

しかし、デアイエ選手は信じられない反応と、バネでボールを外にはじき出した。

だが、それは間違いであった。
あれはデアイエ選手にとっては当たり前だったのだ。
彼はそのくらい素晴らしいキーパーだったのだ。

現に、アメリカ本大会でもベルギー、オランダ、モロッコの雨あられのようなシュートを止めまくっている。
そして、予選リーグを突破し、アジア勢として久し振りのトーナメントに出場している。


話をドーハの悲劇に戻そう。

次のイラン戦である。
2-1、日本敗戦。
この試合は後半のゴン中山選手が執念のゴールを奪ったことばかりが印象に残っていないだろうか。

でも、この試合は日本は敗北しているのだ。
だけど、2点目を奪われるまでは楽観的だった。
日本は攻勢でありすぐに取り返せると思ったのだ。
だが、カウンターを受け得点を決められてしまった。

だが、この「まさか」のカウンターを決めた選手の名前をあなたは知っているだろうか。

アリ・ダエイ選手。

そうだ。
あなたはその選手の名前を知っている。
4年後のジョホールバルでも日本の前に立ちふさがったFWであり、アジアサッカー至上、最高のストライカーと言っても過言ではないということも、知っている。

でも、ドーハで日本相手に得点を決めたことは、おそらく知らないのではないだろうか。
勿論、当時はグランドの選手もダエイ選手の凄さを知らなかった。

世界が彼を見出すのは三年後のアジアカップのことである。
ファルカンジャパンがクウェートにいいところなく、二発くらって敗戦したのを尻目にイランは韓国に大勝している。
スコアは6-2。
ボロ勝ちだ。

だが、まだ驚くのは早い。
この決勝戦でダエイ選手は後半だけで4得点を挙げている。

ただ、このイランも準決勝でデアイエ選手のサウジに0-0のスコアに抑えられ、PK戦の末敗れている。
なお、1996年アジア大会の優勝は準決勝、決勝ともにPKで勝ちあがったそのサウジアラビアである。

優勝はできなかったイランではあるが、ダエイ選手はドイツに見出されビーレフェルトに羽ばたいた。
やがてベッケンバウアー氏の肝いりでバイエルンミュンヘンに移籍している。
いずれも評価に値する実績を残している。

ちょっと、余談になるが、実はダエイ選手を初めに見出したのは代表監督だったハンス・オフト氏でもある。
ドーハの悲劇のあとジュビロの監督に就任したオフト氏はダエイ選手と契約を交わした。
しかしながら、複雑な事情から来日が出来ず、結果としてジュビロには入団できなかった。
もし、入団していたら、ゴン、スキラッチとスリートップを組むことになっていただろう。
考えるだけで恐ろしい…。

さて、やっとドーハの悲劇が後半ロスタイムの不運だけではないことがお分かりいただけたであろうか。

ドーハの悲劇の時、我々は日本の守備をアジア最高だと思っていた。
しかし、アジアでもっとも固い守備はデアイエ選手のセービングだった。

当時、我々はカズをアジア最高のストライカーだと思っていた。
だが、本当の意味でアジア最高のストライカーであり「ワールドクラス」だったのはイランのアリ・ダエイ選手だった。
そして、彼をフリーにしていたのだ。
点を取られて当たり前である。

どうして、ワールドクラスの選手をマークせずして、ワールドカップに出場できるのだろうか。
日本は少し、傲慢だったのかもしれない。

ドーハの悲劇はアジアの中のワールドクラスを見逃した傲慢さよって生じた、必然的な結果だとはいえるのではないだろうか。





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最終更新日  2004年11月14日 15時18分27秒
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