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2005/04/11
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あまりの行列に何だろうと思って、「真夜中の弥次さん喜多さん」という映画を見てきました。人気映画らしいですが、私の頭が固いのか、理解不能な映画でありました。どうやら喜劇らしく、周囲は爆笑の渦なのですが、全編を通して、何が可笑しいのか、まるでわからないうちに映画が終わってしまいました。

一言で言えば、ピーター・フォンダ主演の「イージー・ライダー」をナンセンスにした映画で、ステッペンウルフの「ワイルドで行こう」が、ZAZEN BOYSとかいうバンドの似たような感じのヘビメタに置き換わったものと言えばいいのかな。麻薬を扱っているところや、バイクに乗って二人組が旅に出る設定とか、音楽が散りばめられていたり、旅して回る場所ごとにエピソードが作られている構成などは共通しているんで、「イージー・ライダー」に触発されて作った映画なのだろうけれど、ちょっと中年オヤジの私にはついて行けない世界でした。

監督の宮藤官九郎という人はテレビの売れっ子脚本家らしいですが、私はTVドラマをこの20年くらいの間見たこともないので全然知りません。恐らく、40歳以上の人では違和感を感じるだけなのではと思うのですが、もしかして日本で私一人文化的に取り残されているのかな?昔、篠原何とかと言ったと思いましたが、ガラクタを集めて摩訶不思議な構造物を造ってゲージツだとか言っていたり、日本TVの元気が出るテレビとかいう番組で巨大な大仏を台湾(?)に持って行くという企画を立てたりとか、ああいうのをもっと極端にした感じかな。

どんな感じかを、お伊勢参りに出発した弥次喜多の道中のあるシーンだけ、ちょっと書いておきましょう。中村七之助君扮する喜多さんが麻薬中毒で幻覚に取り憑かれてしまい、(何ゆえに弥次喜多にアーサー王が出てくるのか全く理解できませんが)アーサー王のとろろ汁というお店(この店の主人のアーサー王が中村勘九郎)で、岩に刺さっているアーサー王のExcaliburという剣を引き抜いて、長瀬智也君扮する弥次さんを刺し殺してしまいます。実は、この映画では弥次さん喜多さんはホモのカップルという設定になっていて、正気に戻って弥次さんを刺殺してしまったことに気づいた喜多さんは、一人悲嘆に暮れながら旅を続けます。

弥次さんは、冥界で研ナオコさん扮する奪衣婆に、喜多さんとの約束があるから生き返らせてくれと頼みます。奪衣婆は、三途の川を渡ることはできないので、三途の川を遡って死の世界から生の世界に戻れるのではないかと提案します。三途の川の源流では、弥次さんがお伊勢参りに出てくる前に誤って死なせてしまった妻のお初が、あろうこともない異様な姿(これが噴飯ものらしいんですが、私には単なるグロとしか......)で泣いているのです。この涙が滝となり三途の川となるのです。お初が、私のお尻の下を通って生の世界に戻れと言うので、弥次さんがお初のお尻の下まで行った途端に、この異様な姿のお初が屁をこいて、その勢いで弥次さん、生の世界に戻れるのですが、空中を飛んで糞溜めに落ちて大けがをし、さらにはその足には犬が噛みついたボロボロの姿で、悲嘆に暮れていた喜多さんのところに戻ります。

ご覧の皆さまは、こういう世界が理解できますでしょうか?これはほんの一例で、こういう世界がひっきりなしに続くのです。周囲は大笑いしているのですが、私はまるで世界の中で孤立したかのような気分を味わいました。このこと自体が、ホラー映画の一シーンに置かれているかのような雰囲気です。

原作は漫画とのことですが、原作が既に荒唐無稽なもののようです。映画化するのは難しいのではないかと言われていたようですが、実写にして(もちろんCGが使われていますが)原作を凌ぐ荒唐無稽さになっているらしいです。

私の見た回の次の回もものすごい行列をしていて、客層は大学生からちょっとその上くらいまでの若い層が中心です。小さい子は全然いません。若者の価値観に触れる良い機会だと思ってちょっと考えてみました。

いわゆるオカルトと言うか、アンチ科学というのとも違いますね。この映画のぶっ飛んでいるストーリーを現実のものと混乱する人はいないでしょう。奇想天外と言うか、予測不能な映像が繰り返されていく、その意外性が受けているのだと思います。若者の感覚が、溢れる情報の前に、ありきたりな仕掛けでは満足できなくなって、常識的なストーリー進行では考えられないような、無理な、というか、破茶目茶な展開になっているのでしょうかね?現代の若者の身の回りの出来事も、複雑に利害関係が入り組んで、一つ一つを細かく解きほぐして理解を深めてゆくことが難しいので、事象の論理的科学的意味や整合性を問うことを放棄してしまっているようにも見えます。これは、エンターテイメントとしての映画での話であって、科学という扱いではないので、これはこれで構わないと思います。それでも、この映画には、生と死を考えさせたり、麻薬中毒を侮蔑的嘲笑的に描くことによって麻薬防止へのメッセージを感じますね。イージー・ライダーでは、麻薬は肯定的に、反抗の手段として、ある意味でカッコよく描かれつつ、最後に銃殺されてしまうのですが、この映画のような麻薬のとらえ方は麻薬撲滅の一つの有効な方法だろうと思いました。もちろん、水谷修さんがやっていらっしゃるような努力が正統的なものだと思いますが。







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最終更新日  2005/04/11 12:02:55 AM


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