全108件 (108件中 1-50件目)
6月18日に復職しました。本来ならば合併先の会社に出向になるはずなのですが、長く休職していたため「研修期間」という名目で元の会社に籍を置いたまま合併先の会社で働くことになりました。とにかく1時間半余かけて満員電車に詰め込まれて事務所に行くだけでクタクタです。新しい会社、新しい上司、新しい先輩、新しい同僚、新しいオフィス…全てに疲れます。電話を取るだけで緊張します。仕事はまだ与えられず、上司や先輩のレクチャーを受けたり自習をして商品知識を身に付けています。通勤だけで精一杯です。辛いです。
2007年06月23日
コメント(73)
死にたいと思う日がある。でも、もう少し頑張ろうと思う日もある。前を向きたい。でも、どうしても向けない日もある。何のために生きているか、分からない。でも、仕事をしてみよう。18日、復職予定。
2007年06月14日
コメント(5)
復帰予定日はとうに過ぎましたが、まだ自宅療養中です。主治医に「復帰可能」との旨の診断書を書いていただき、会社に提出したのですが診断書の中に「徐々に仕事量を増やすよう」にという表記があったためこれでは復帰を認められないと会社から言われてしまいました。先日もう一度受診し、診断書を書き直していただきました。「徐々に仕事量を増やすよう」という部分を削除する形で。復帰は来週末か再来週の初めになりそうです。今でも苦しくて苦しくて仕方なくなる時があります。生きていても仕方ないと思ってしまいます。その原因のひとつに20年以上患っている脱毛症があります。5歳くらいから髪が抜け始め、小学校に上がって間もなくウィッグを使い始めました。その頃はいくつもの病院を回り、いくつもの塗り薬、内服薬、紫外線照射療法、漢方などあらゆる治療法を試みましたが、結局効果はありませんでした。治療を止めて15年近くになります。長い間頭部に髪は全くない状態で眉毛は片側は完全に抜けてもう片側はまばらに残っている状態。まつ毛は何とか残っていました。しかし、ここ数ヶ月のうつ病の闘病で眉毛もまつ毛も完全に抜けてしまいました。ネットで調べたところ、眉毛やまつ毛まで全身の毛が完全に抜けてしまうのは「汎発性円形脱毛症」と言い、脱毛症の最も重度の状態で治癒は困難とありました。治癒が困難なことはもう分かっているつもりでした。治療を止めて15年近くなりますが、現在も原因不明、根本的治療法は確立されていないようです。命に関わる病気ではありません。でも、外に出るのは嫌な気持ちになるし、まつ毛まで抜けてしまった今、仕事に復帰するのも億劫です。我が家は片親で持ち家でもないので生活費には本当に困っています。今は傷病手当で何とか生活している状態です。私が働かないと、家計は苦しくなる一方です。何とかうつ病と闘いながら仕事に戻らなければ、生活ができません。うつ病で、薬の副作用で卵巣機能は低下し、将来子どもを産むことも叶わない。脱毛症の治癒は見込めない。どうして、私は普通になれないんだろう…。考えても、家族に苦しみを訴えても、こうしてブログに思いをぶちまけても何ひとつ解決しないんです。こんな自分を受け入れられる日は来るのでしょうか。
2007年06月09日
コメント(6)
昨日、クリニックにて受診。主治医に早く復帰したい意思を伝えたところ症状が大分改善してきていることもあって6月の復帰にGoサインを出してもらえました。(決して無理はしないようにと釘を刺されましたが…。)今朝、会社にその旨を連絡。6月4日に復帰することが決まりました。22日に県外のアパートに向かいます。23日に前の事務所へ行って荷物を片付け、制服などの支給物を会社に返します。24日にアパートにある家電をリサイクル業者に引き渡し。25日に引越し業者に荷物を運び出してもらい不動産屋さんの立会いの下、アパートの鍵を返し今度こそ本当に実家に戻ります。実家を出た時は母に引越しを手伝ってもらったのですが今回は母も弟も休みは取れず全部一人で引越しをしなければならないので、今から緊張しています。主治医から「引越しで緊張するのは誰だって当たり前のこと」と言われ少しホッとしましたが…。引越しと復帰への不安から症状が再燃しないことを願うばかりです。でも、いよいよ復帰できる。怖いけれど、嬉しいです。
2007年05月17日
コメント(3)
昨年11月より実家にて療養中ですが、会社側の配慮もあって6月より実家から通える東京の営業所で復職することになりました。それに伴い県外に借りたままのアパートは今月一杯で引き払うこととなり、現在引越しの準備に追われています。実家といっても狭い賃貸アパートなのでできるだけ荷物を少なくしようと部屋を片付けています。それと、引越し業者との打ち合わせ、リサイクル業者との打ち合わせ、水道・ガス・電気・プロバイダの手続き…。一人暮らしを始めるのに比べ実家に荷物を引き上げてくるだけなのですから簡単なはずなのに、ものすごく疲れます。部屋を片付けるだけでクタクタです。今日の午前中も母(今日は遅番)に手伝ってもらって少しでも実家のスペースを広くするため家具の移動をしましたがそれだけでぐったりしてしまいました。母はその後元気に仕事に向かいました。申し訳ない気持ちで一杯です。県外のアパートには22日夜に新幹線で向かい3日間費やして荷物をまとめ、25日に再び実家に戻ります。大変だけれども、6月に復帰するために乗り越えなければならない壁。ここから再スタートするために。
2007年05月11日
コメント(0)
焦るな。気負い過ぎるな。今できることを精一杯やろう。目の前のものを一つずつ片付けていこう。できる、できる、きっとできる。そう言い聞かせる。不安に負けそうになる。でも、先へ進みたい。
2007年05月07日
コメント(0)
30日、母と東京の本社に行きました。重役と人事部長との面談です。結果、会社の配慮もあって実家から通える都内の営業所に異動することになりました。そして、会社としては7月前に復帰してもらいたいということも言われました。休職して実家に戻ってから半年以上そのままにしてある県外のアパートも5月一杯で引き上げることになりました。昨日病院で主治医にその旨を伝えたところ復帰に向けて徐々に減薬をすることになりました。ほっとした反面、不安も大きくなりました。不安というより恐怖です。うちの会社にリハビリ出勤のような制度はありません。復帰直後から週5日フルタイム出勤です。通勤にはおよそ1時間半。さらに朝夕の通勤ラッシュにも耐えなければなりません。年明けからスポーツセンターで体力を養ってきたとはいえとても自信がありません。主治医も「焦らずに」と言って下さいますが気持ちが焦ってどうしようもありません。「頑張らなくちゃ」という気持ちに押し潰されそうです。逃げたくなります。死にたくなります。そして、自分に腹が立ちます。
2007年05月03日
コメント(2)
日記にコメントを付けてくださったみなさまへ。一人一人に返信ができなくて本当に申し訳ありません。そしてこのブログを見守って下さる全ての方へ。ありがとうございます。まだ死にたい気持ちは消えません。でも死ぬ勇気がなくて、今日まで生き長らえてしまいました。いつか、「あの時死ななくて良かった」と思える日が訪れるのでしょうか。
2007年04月26日
コメント(5)
もし明日死ぬとしても、何も思い残すことはない。むしろ、もう1分も1秒も生きているのが辛い。
2007年04月15日
コメント(26)
昨夜、会社の総務人事部から電話がありました。私は昨日体調が悪くて(昼間酷い頭痛と吐き気に襲われ、食べたものを戻してしまった)早めに布団に入っていたので、電話には母が出たのですが会社側としては母と話をしたいようです。私ももう大人なので、会社とは自分で話をしたいのですが前々から親と話をしたいと言われていたので仕方がありません。5月2日に母と本社へ行って話をしてきます。いよいよ、辞めさせられるかもしれません。確かに入社して半年ほどで休職してしまい、現在も復職を伸ばし伸ばしにしています。「辞めて、治療に専念した方がいいのでは?」そう言われた時、どうすればいいのか?絶対に辞めたくないと言うべきか?それとも他の道を模索した方が良いのか?私はもう何がしたいのか分かりません。会社は合併し、それに伴い私の所属していた部署は無くなり現在は仮に他の部署に籍を置いています。会社にしがみつけばいいのか…。それとも一度「辞めさせられそうになった」人間がその会社で引き続き仕事を続けるのは、もしかしたらものすごく居心地が悪いのかもしれません。自分はどこへ向かえば良いのだろう?
2007年04月11日
コメント(4)
ああ、新年度が始まってしまった。今日は入社式が執り行われたことでしょう。近所に郵便を出しに出かけましたが、桜を見ると辛い気持ちになるので目を背けて足早に通り過ぎました。一昨日の夜―元恋人から電話があってから―調子がとても悪いです。辛くて辛くて、眠れないと気が狂いそうです。涙が止まりません。生きるのに本当に疲れました。死にたいです。死にたい気持ちと気が狂いそうな恐怖を抑えるために頓服薬に頼っています。本来ならば今日から復帰していたはずなのに…!
2007年04月02日
コメント(3)
一昨日、布団に入った後携帯電話のバイブ音が響きました。見覚えのある番号からだったので出てみました。…元恋人でした。彼曰く「部屋を片付けていたら研究室の名簿が出てきて気になっていたから電話してみた」そうです。「仕事はどう?」「今○○(私の自宅)?」と聞かれて嘘をついているのが心苦しくなり、現在うつが酷くて休職中で、実家にいることを打ち明けました。私もかつて彼を傷付けました。だから謝りました。そういう話題になると彼は話を変えようとして結局、最近面白かったマンガや映画など他愛のない話題で明け方まで話しました。彼は「もう二度とかけないから」といって電話をしてきて「もう二度とかけないから」といって電話を切りました。ずるい。ずるいよね。彼の近況が気になっていて、半ば彼と分かりつつ電話を取ってしまった私がいけないのかな。でも、彼の今後のこと(とりあえずあと1年は今の研究室の助手をするらしい)を聞けたことともう二度と聞くことのないと思っていた彼の声を聞けたことが嬉しいと思ってしまいました。一方的に別れを切り出されて、私は未だに納得できていないというのにこんな風に電話をかけてくるなんて、ずるいよ。忘れた方がいいのかな。何だか、気持ちの整理がつかない…!
2007年04月01日
コメント(0)
久々の更新になってしまいました。前の日記にコメントを下さった皆様、本当にありがとうございます。個々にレスできなくて申し訳ありません。結局4月の復帰を断念し、未だ実家にいます。病院から紹介状はもらってきましたが、実家近くのクリニックに転院するかどうかはまだ決めかねています。会社のことは全然分かりません。上司に電話で問い合わせたところ、会社の合併に伴い私の現在の所属部署はなくなるそうで4月からの配属先は別の部署になっているそうです。しかし、これはあくまでも「仮」の配属であってその部署で復帰できるかどうかは不明です。現在は週に2度程度のスポーツセンター通いを続けながら少しずつ家事をしているところです。いつまでこんな状態が続くのか、わかりません。
2007年03月25日
コメント(3)
もう、誰も助けてくれません。誰にも本音を言えません。ただ、「死にたい」と。誰か、誰か、助けて!
2007年03月12日
コメント(7)
死にたいんです。一刻でも早く。でも、弟と話しているとこの弟を困らせるようなことはしてはいけないと思うんです。だから、誰にも死にたいって言えない。あと5日で自宅へ帰ろうと思います。そしたら、自分でどんな行動をとってしまうか分からない。実家にいる時はできないことも、一人になったらやってしまうかもしれない。誰にも言えません。死にたいんです。一刻も早く。
2007年03月10日
コメント(5)
基本的に調子の良い時にこのブログを更新しているので日記を読んでいると順調に回復しているようですが、まだまだ布団から一歩も出られない日もあるのです。一昨日と昨日は一日中寝たきりだったので今日は歯を食いしばる思いでスポーツセンターへ。トレーニングも週2~3回を保つので精一杯です。それから母も弟も仕事をしているので食事の準備を手伝う機会はよくあるのですが肝心の私本人に全くと言っていいほど食欲がありません。運動した後も、何も食べたくないのです。むしろ、食べることは苦痛です。明日は病院。色々な事情が重なって新幹線通院をしてそろそろ半年になります。(新幹線「通勤」は聞いたことがありますが新幹線「通院」ってあまりありませんよね…。)4月に復帰できるのか、主治医とよく相談してきます。会社のことはよくわかりません。同期の情報によれば全社的に今月末に内示が出るそうですが…。課長曰く現在の工場に残るか、県内の別の工場に移るか五分五分だそうです。これだけ食欲がないまま、また一人暮らしに戻るのは不安で仕方がありません。
2007年02月23日
コメント(1)
昨日はスポーツセンターが休みだったので部屋を片付けました。実家に帰ってきてから一度も片付けていなかったので特に机の上に昨年の郵便物や色々な書類が未開封のまま山積みになっていたのです。ひとつひとつ確認しながら、必要なものと不要なものに分け不要なものを思い切って処分。机の上はまっさらになりました。そして今朝、窓を開けて埃を払いました。風水も占いも信じないけれど、何だか机の上は昨年の具合が最悪の頃の嫌な空気がよどんでいたような気がしたのでこれでマイナスの運気が出て行けばいいな、と思いました。今日も3時間半ほどトレーニング。内示は今月末に出る模様。忘れようとしても常に頭にそのことが浮かび落ち着いていられません。あと10日ほどの辛抱だと思うのですが、行く先が見えず苦しいです。
2007年02月20日
コメント(1)
スポーツセンターのトレーニング室に週3回通い始めてそろそろ1ヶ月になります。今まではその都度利用料を払っていたのですが、続けて通えるような気がしてきたので今日、思い切って11枚綴りの回数券を購入しました。有酸素運動と筋トレとストレッチをじっくりと。身体を鍛えれば、こころも鍛えられないかな。身体が柔らかくなれば、こころも柔らかくならないかな。そう思いながら1回3時間かけてじっくりトレーニングしています。復職は3ヶ月くらいかけて100%の仕事量に徐々に増やしていくのが理想的なのだそうです。しかし、会社は4月の時点で「100%」を求めてきます。復職まで1ヵ月半。自分がどうなるか、全く見えません。うつの回復期の過ごし方について考え直す時期なのかもしれません。
2007年02月14日
コメント(4)
2日に会社の事務所を訪問し、課長と面会。合併に向けた会社の状況を聞きました。まだ、どのメンバーがどの工場に配属されるか全くわからない状況だそうです。私は今の工場に残るか、県内のもう1つの工場に配属になる可能性が五分五分、それ以外の部署に配属になる可能性もゼロではないと言われました。また、それは課長の考えであり、人事がどのような決断を下すかは結局3月になるまではわかりません。それよりも「今度こそきっちり治してきて欲しい」と何度も念を押されました。それは会社側としては当然ですが3日に病院に行った時に主治医にそれを伝えると「この病気は『完治』というのが非常に難しい。様子を見ながら病気と上手く付き合っていくしかない。」と言われました。私は4月2日から復帰するつもりで何かにつけて「4月に復帰するには…」という言い方をしていたのですが主治医曰く「いつ復帰するから…という逆算をしないほうが良い。」私の体調に合わせて軽めの業務や半日の業務から徐々に慣らしていった方が良いと言うのです。確かにそうかもしれませんが、会社としてはそれを了承するのは難しいでしょう。今後、産業医の先生も交えて話し合う必要があると思いました。3日の夜、また実家に帰ってきて4日は疲れで1日中ぐったりしていました。今日は昼過ぎまで休んだ後いつものスポーツセンターで3時間ほど汗を流しました。体力をつけるくらいしか、今できることが思いつきません。食欲はまだ全然ないけれど、母の作ってくれる食事を残さず食べ、良く眠り、適度な運動をする。それ以外に何もできません。2月半ばくらいから自宅に戻って、少し自活の訓練をしようかとも思います。美術館のオープンアトリエや市民体育館に通いながら半月くらい生活できないか、と。ただ、今の食欲のなさで自分自身で料理をして食事をするモチベーションが保てるかどうか、そこが問題です。
2007年02月05日
コメント(2)
会社の合併に伴って、次の勤務地がどこになるか全く分からない状態です。このことが不安に拍車をかけます。日曜日くらいから自分が自分でないような感覚を覚えました。現実感がなく、気が遠くなるような気がします。ネットで少し調べてみたところ「離人感」というものが当てはまりそうです。全身に力が入らなく、歩いてもふわふわとした感じがします。座っていてもゆらゆら揺れるようなめまい感を感じます。昨日よりは治まりましたが「現実感のなさ」は続いています。週末は新幹線で会社に行って、課長に現況を聞いてきます。そして病院に行ってきます。先が見えず、もやもやが消えません。もやもやを抱えたまま、トレーニングを続ける日々です。
2007年01月30日
コメント(3)
月曜、火曜と気分が落ち込み布団から起き上がれませんでした。また元通りになってしまったのかと焦りました。今日は郵便局に行く用事があったので歯を食いしばって家を出て郵便局の帰りにそのままスポーツセンターへ。有酸素運動、筋トレ、さらにはダンベル体操までやってきました。今週は先述のとおり既に2日サボってしまったのであと2日スポーツセンターに通うことが目標です。2月3日に病院なので、その時に会社に様子を伺いに行こうと思っています。課長に少しでも元気な顔を見せたいと思います。波があって辛い時もあるけれど、治っている過程だと信じたいです。
2007年01月24日
コメント(4)
今日は実家から歩いて10分ほどのスポーツセンターに行きました。公共のスポーツセンターなのでトレーニング室を1回300円で利用できるのです。近いし、行ってみて嫌だったらすぐに帰って来ようと思っていました。トレーニング室に入り、何をして良いかわからずエアロバイクの前でおろおろしているとインストラクターの方が「初めてですか?」と声を掛けて下さったので「病気で休んでいたのでリハビリをしたいんです。」と伝えました。するとインストラクターの方は親切にそれぞれのマシンの使用方法を説明して下さり1番軽いリハビリ向けのメニューを組んで下さいました。身体を動かすことが何よりも嫌いだった私。高校を出る時、これで体育の授業から解放されると喜んだものです。私にとって運動とは「苦痛」以外の何者でもありませんでした。しかし、今日身体を動かしてみるとどうでしょう。負荷を最も弱くして身体のあちこちを動かすと気持ちがいいのです。結局1回の利用時間3時間を少しオーバーするまでトレーニングをしました。あっという間の3時間。こんな爽快感を味わえるとは。もしかしたら明日筋肉痛で動けないかもしれません。それどころか、また気分が落ち込んで布団から出られなくなるかもしれません。でも、今の気分は「早くもう一度スポーツセンターに行きたい!」です。
2007年01月16日
コメント(4)
今日は10時半頃に家を出て20分ほど歩いて駅に行き、さらに電車に乗ること20分。映画館に行きました。母に無料券を2枚もらったので、とりあえず1本見てみて嫌になったら帰ろうと思いました。1本目は「こまねこ」というパペットアニメーション。平日の昼間なのでガラガラで貸しきり状態でした。短編で気軽に見ることができたので、もう1本見てみることにしました。2本目は「フラガール」。面白かったです。この3ヶ月、本も新聞もマンガもろくに読めずテレビすらうるさく感じていたのに、面白いと思えた。それが嬉しいです。病院以外で外出したのも1ヶ月振りくらいです。3ヶ月、ほとんど寝たきり状態だったので今日は疲れました。もしかしたら今夜も眠れないかもしれません。明日はまた寝たきりにもどってしまうかもしれません。でも、今日1日がどうか回復への足掛かりとなりますように!
2007年01月15日
コメント(5)
先週の金曜日に会社に行き、課長と話をしてあと3ヶ月休職を延長することを了解してもらいました。最終的に休職が認められるかは人事部長や重役の判断を待たなければなりませんが、課長に直接「療養に専念して万全の体調で復帰したい」という意思を伝えられて良かったと思います。その後産業看護師に12月26日の脱走事件で心配をかけたことをお詫びしに行き、帰宅しました。次の日、病院で主治医に休職の3ヶ月延長に同意していただき、診断書を書いていただきました。転院も考えたのですが会社の合併問題があり、今転院しても4月に異動になり再び転院しなければいけない可能性があるため、1ヶ月に1回、ちょっと大変ですが新幹線で通院することにしました。今再び実家にいます。布団から離れられません。時間を持て余しています。母が映画のチケットをくれました。でも、観に行く元気があるかなぁ…。
2007年01月08日
コメント(3)
明けましておめでとうございます。あまりおめでたくない気分なのですが…。年末にコメントを下さった皆様、本当にありがとうございました。私は1月1日もいつもと変わらず、こみ上げる悲しさを辛さから逃げようと布団に潜っていました。会社が始まったら、実家で腰を据えて治療に専念したいことを伝えなければなりません。合併で社内中が揺れている今、解雇にならない可能性がゼロではありません。直属の上司に、治療に専念して、元気になってまた仕事をしたいことを訴えるつもりではありませすが、なんせ、病院以外は家にこもり続けた2ヶ月間、2時間以上かけて会社に行って、まともに話をできる自信がありません…。そしたら、後々上司に直接手紙を書いて今の気持ちを伝えようと思います。「私は、辞めたくない」と。それから、実家で治療に専念するとなると、転院を考えなければなりません。今の病院にはまあ満足しているのですが(待ち時間が長いのは、診療時間が長いことの証ですから。)とにかく新幹線で2時間以上かけて2週間に1度通院するのは辛いです。主治医以外に心理臨床士、ケースワーカのサポートも充実していて今の病院を去るのは心苦しいのですが、実家で徹底的に治す、と決めた以上こちらで病院を探したいと思います。ただ、実家の近くでいい病院が見つかるという保障もなく紹介状があったとしても、また「どうして一番初めに病院行こうと思ったのかな?」から始まる質問攻めがあることを考えるといまから憂鬱で憂鬱で仕方ありません。病院は今までに5回変わっていますが、その度に嫌な思いをしてきました。良い病院、良い先生に出会えることを祈るばかりです。
2007年01月01日
コメント(5)
2006年も今日で終わりですが、私には今日も明日も変わりません。ただ、辛い日々が続くだけです。きっと明日も、布団に横になって泣いているのだと思います。いつ終わりが来るのか、出口はまだまだ見えません。でも、来年こそこんな日々を終わらせたいです。その方法は分からないけれど…。今年、このブログに訪れてくださった皆様、コメントやメッセージを下さった全ての方に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
2006年12月31日
コメント(5)
今日、思い切って会社の産業看護師さんに電話をしました。すると看護師さんはすぐに人事に連絡を取って就業規則を確認して下さり、1月に復帰できなくとも、解雇されることはないこと、現在は「欠勤」扱いで最大6ヶ月までは欠勤できること、欠勤6ヶ月を過ぎて初めて「休職」扱いになることなどを説明して下さりました。つまり、私の会社では病気で休む場合、「欠勤」6ヶ月、「休職」6ヶ月最大1年間の猶予があるということです。(但し、休職6ヶ月を過ぎても復職できない場合は自動的に解雇になるそうですが…。)直属の上司や人事と直接連絡を取ったわけではないので何だか実感が湧きませんでしたが、お礼を言って電話を切りました。今、2ヶ月休んだのであと4ヶ月は欠勤できます。その後さらに6ヶ月休職できます。「治す」ことに専念できるのです。何だか、ほっとしたというよりこれからどのように過ごしていけばいいか分からず、今日一日はそわそわした気持ちで過ごしました。まだ、全くやる気が起きません。何に対しても関心が持てません。テレビを見ることも、新聞を読むことも、マンガを読むことすらも億劫です。今までは外に出ることが大好きでしたが、今は病院以外で外に出ることなんて考えられません。大好きだった服にも化粧品にも全く興味が湧きません。時間があるので勉強がしたいのですが、何をして良いのか分かりません。やる気が出るまでゆっくり待てば良いのでしょうか?うつの治療は「薬と休養」と言いますが…。ただ、布団に横になるしかできない今日一日でした。
2006年12月29日
コメント(5)
一昨日、母と弟の出勤後、思い詰めて部屋を片付けPCのデータをすべて消し、冬物の服をタンスから出して鞄に詰め、昼前に実家を飛び出しました。この休職していた2ヶ月間、財布と通帳は母に預けていたのでクレジットカード1枚だけで切符を買い電車に乗りました。鈍行で4時間近く電車に揺られながら、これからのことを考えました。思い切って実家を出られたのだから、ひとりで生活できるかもしれない。これからアパートに帰って、シャワーを浴びてゆっくり眠ったら洗濯をして、買い物に出て、そうやって1月6日の受診の日までひとりで生活できたら会社だって復帰できるかもしれない。そう思って自宅のアパートに着いた頃には真っ暗になっていました。シャワーを浴びて、布団に入ったのですが、まず頭がガンガンとしてきました。いくら力を抜こうとしても身体中が硬直したようになり、とても眠れませんでした。のぼせて大量に汗をかき、次は悪寒に襲われるということを一晩中繰りかえし、地獄のような一晩でした。次の日、母が追いかけてきました。あれだけ固い決意をして実家を出たのに母に会ったら辛い気持ちが溢れて止まらなくなり泣いて、泣いて、泣き叫び続けました。結局母と一緒に再び実家に戻りました。また、同じところに戻ってきてしまいました。会社の事情があり、これ以上の休職延長はできません。また、復職してまた体調を崩した場合、3度目の休職もあり得ません。つまり、1月に完全に復帰を果たさなければいくら診断書があっても「解雇」です。仕事を辞めて実家に戻り治療に専念するか、最後のチャンスに賭けて1月に復職するか。もちろん、病気を治すためには治療に専念した方が良いのは分かっています。ただ、今の仕事を辞めたくないのと、再就職がどれほど難しいかを考えた場合、最後のチャンスを捨てきれない自分もいます。ただ、現在精神状態は安定していません。体調も万全には程遠い状態です。あと10日で完全に回復するのは絶望的でしょう。でも、会社はもう待ってくれません。あと10日で結論を出さなければなりません。
2006年12月28日
コメント(4)
今日、母に「分かれた彼のことを忘れなさい」と諭され、大声で泣き叫び、大暴れしてしまいました。もう、自分でコントロールが効きませんでした。母に取り押さえられましたが、それを振り切って暴れました。母には「キチガイ」「もう手に負えない」と言われました。自分でもどう自分の心と向き合えばいいのか皆目見当がつきません。復帰まで2週間を切りました。同時に今度復帰できなかったらクビであることを聞きました。今の会社は好きですし、辞めたくありませんが、こころと身体がついていきません。実家を出て貯金を切り崩しながら治療に専念するしかないのでしょうか。今のアパートは会社が借りているものなので、クビになったら出て行かなくてはなりません。どこか病院に通える範囲で安いアパートを探しそこで治療に専念するしかないのでしょうか。もう、死にたいです。やりたいことも、興味があることも何もありません。死ぬことは怖くありません。
2006年12月25日
コメント(4)
外に出られない私の代わりに仕事に出る母に郵便局の通帳記入を頼みました。賞与が振り込まれていたそうです。少ない、少ない賞与ですが、7月に1度目の休職から復帰して11月に2度目の休職に至るまでの4ヶ月間だけを評価してくれたのです。ああ、会社に感謝しなければいけません。やはり、今の会社で復帰したいです。今日は朝から胸が苦しくて苦しくてレキソタンを飲みましたが気持ちは治まらず、寝逃げをしようにも眠れず、苦しい時間を過ごしています。早く、抜け出したいです。そのためにはとことん、自分と向き合って、病気を治そうとしなければいけないのでしょう。でも、私は「自分と向き合う」ことが何なのか、まだ分からずにいます。自分は何がしたいのか?彼と直接話がしたい。ちゃんと終わりにしたい。次に進むために。どこかで過去を断ち切らなくては、抜け出せないのでしょうか。でも、過去を断ち切るって何?たくさんの「過去」が重なって、今の自分がいるはずなのに。認めればいいの?許せばいいの?誰を?何を?
2006年12月08日
コメント(1)
嘘つき、って叫びたかった。私が傷付けたのに。私が追い込んだのに。それでも嘘つき、って叫びたかった。一生守ると言ってくれたのに。脱毛症で、うつの私を受け入れてくれたのに。彼に謝りたい。謝りたいのに、憎しみが湧き上がってくる。私は汚い。そして大人になれない。自分を確立できない。自分と向き合う時だ。でも、どうやって?泣いて、喚いて、叫んで、そこから何かが見つかるの?
2006年12月07日
コメント(2)
土曜日に受診。結果年内は療養に専念することになりました。直属の上司から了解はもらえましたが、人事がどのような決定を下すかは分かりません。自宅に篭る日々。母はもっと友達と連絡を取れば良いと言いますが、私のこの状態で誰と連絡が取れるというのでしょう。結局私はすべてをさらけ出すことはできないのです。さらけ出したら、逆に相手を傷つけたから。私には誰もいない。どこにも居られない。消えたい。
2006年12月04日
コメント(4)
また、自分中心で物事を考えてしまいました。彼に伝えたいことがある。そう思って、また自分の気持ちを押し付けてしまうところでした。彼は、たまたま間違ったとしても私に電話をかけてくれた。そして、すぐに切らずに話をしてくれた。それは彼の優しさ。彼は大人だ。私も、自分を確立しなければいけない。うつを完治させて、仕事をして、自分ひとりで立たなければならない。今、彼に会って思いを伝えようとしたらまた気分が高揚して彼を傷つけてしまうかもしれない。もう、彼を傷つけてはいけない。声を聞かせてくれて、ありがとう。私のことを少しでも心配してくれて、ありがとう。話をしてくれて、ありがとう。「少し楽しかった」と言ってくれて、ありがとう。次に会うときは「すごく楽しかった」って言ってもらえるように大人になるよ。もう恋人と恋人としては会えないけれど、人間と人間として会えるように、大人になるよ。今は、彼の心配をするのではなく自分を確立させるときだ。
2006年11月14日
コメント(4)
今日の日記は自分のための備忘録です。私が彼と最後に連絡を取ったのは自殺未遂をした前日。6月のことでした。あれから5ヶ月。やっと彼に電話が繋がりました。それは数週間前のこと、まだ休職する前彼からもらったキーホルダーの人形の頭が取れて無くなってしまっていて「彼に何かあったのではないだろうか?」と強い不安に襲われました。勇気を出して彼に電話をしました。でも、何度かけても通じませんでした。今日もかけました。するとやはり繋がらなかったのですが暫くして彼の方から電話がかかってきました。「もしもし」電波が悪くてなかなか声が聞こえません。「もしもし、久し振り」と言ったら「誰かと思った」と言われました。思っていた通り、彼は私ともう連絡が取れないよう、電話番号、メールアドレスその他私の連絡先をすべて消去していたようです。今日は仕事関係であちこちから電話があり、着信履歴からたまたま間違って私にかけてしまったようです。6月に電話したときより声が落ち着いていました。「仕事はどう?」と聞かれ、「うーん、ぼちぼち」と答え休職して実家に戻っていることは黙っておきました。それから、彼の近況(というか研究室の近況)を少し聞きました。彼のノートパソコンが壊れて買い直したとか、新しい研究員が来て歓迎会をやったとか、卒業生が久々に研究室に顔を見せに来たとか、そんなことです。20分程度だったでしょうか。今日は来客があるらしく、彼の宅電が鳴りました。電話を切る際に彼は何度も「もう連絡してこないで」というようなことを言いました。「もう関わり合いたくない」「思い出すと嫌だ」「きれいさっぱり忘れて」そんな風に聞こえました。私が彼をそこまでに傷つけてしまったことは解っているつもりです。でも、二人のことを「忘れて欲しい」ということを言われて悲しかった。あのときの二人のことまで無しにされてしまうのは、辛い。私だって完全に立ち直ったわけじゃない。これから先、彼に関わっても良いことなんてないそんなこと解ってる。これからもずっと彼のことを傷つけ続けることになってしまう。でも、あの時「一生守る」と言ってくれた彼に「嘘つき」という憎しみの感情すら湧いてしまう。私は汚い。もう一度、伝えたいというのは私の我侭でしょうか。彼をさらに傷つけるだけでしょうか。自己満足だけでしょうか。小学校の頃、好きだった男の子に「ヅラ、ヅラ」といじめられました。私は一生恋愛なんてできないと思っていました。こんな私を本当に愛してくれる他人はどこにもいない、と。彼は私の脱毛症もうつ病もすべて受け入れてくれました。なのに、私は彼を追い詰め、彼を壊しました。「別れてから色々あったんだよ」彼はそう言いました。私のことを「…ちゃん」と言い掛けて「…さん」と言い直しました。二人で共用しているパソコンが彼の家にありましたが、私のアカウントは消去したとのこと。「すべて痕跡は消したから」そう言いました。やはり、私が今日電話したのは迷惑以外の何者でもなかったのでしょうか。でも、彼は確かに「(電話して)少し楽しかった」と言いました。もう一度伝えたい。あなたに会えて良かった、と。あの時、こんな私を愛してくれてありがとう、と。私はあなたを否定しない、と。忘れたりなんてしない、と。きれいさっぱり忘れ去らなければならないほど、二人でいた時間は醜いものだったのでしょうか?もう一度やり直したい、なんて思いません。私はまた彼を傷つけてしまうから。ただ、今日言えなかったことを伝えたい。彼を失ってから生きる目標みたいなものが見つかりません。今は母のために生きています。しかし、順番から言って母は先に送らなければなりません。弟はいずれ結婚して家を出るでしょう。そうしたら、私は誰のために生きる?自分のため?自分のためって何?私がやりたいことって何?もう他人は愛せない。私は独りです。何もないよ。生きていたくなんてないよ。彼に、伝えたいことがあります。伝えたいです。
2006年11月13日
コメント(0)
うたたねをしていました。夢を見ました。死ななくちゃ、死ななくちゃ、と高いところへ登ろうとする。どのビルが一番高いだろう?どの窓が開いているだろう?そんなことを考えながら、死ぬ場所を求めてひたすら彷徨う夢。死ななくちゃ。死ななくちゃ。でも、力が入らない。そこで目が覚めました。とても気分が悪いです。そういえば去年の今日は元恋人と一緒でした。二人で日帰りで少し遠出をしてピクニックに出かけました。何もない路を二人でひたすら歩き、河川敷で手作りのお弁当を食べました。その日、私は全身脱毛症であることを打ち明けました。あれから1年。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
2006年11月03日
コメント(4)
1ヶ月振りの更新になってしまいました。この1ヶ月の間にコメントやメッセージを頂いた皆様にはお返事ができず大変申し訳ありませんでした。会社に行くのが精一杯で、会社に持っていくお弁当以外ほとんど食事が取れない状態になっていました。一昨日から休職し、実家に帰っています。昼間はだるくて起き上がれず、眠れば悪夢にうなされる毎日です。もう、こうしてブログに想いを綴ることに何の意味があるのかわかりません。
2006年11月02日
コメント(4)
昨日は一日中生きるか、死ぬか考えていました。もう少しで死を選んでしまいそうなほど辛かった。苦しかった。でも、もう1日生きてみることにしました。
2006年10月02日
コメント(11)
3週間振りの診療日を迎えることができました。もはや、何を話したのかよく覚えていないのですが、主治医も、カウンセラーの先生も、「休みなさい」とは仰いませんでした。会社の産業看護師さんのところで相談すれば「病院で相談しなさい」と言われ、病院で相談すれば「会社の産業医と相談しなさい」と言われます。万策尽きた感じです。このまま、続けるしかない。自分との闘いだ。
2006年09月30日
コメント(1)
限界だ、限界だと思いながら今日まで来ました。コメントやメッセージを下さる皆さま、返信ができず本当に申し訳ありません。食欲が全くありません。味覚がほとんどありません。眠剤を飲んでもぐっすり眠れません。動く気力がありません。仕事がしたい、ただそれだけで生きています。明日からもう5日間は頑張ります。まだ、休みたくない。動いてくれ、私の頭!動いてくれ、私の身体!
2006年09月24日
コメント(4)
力が出ない。食欲が全くない。睡眠も充分に取れない。仕事を続けるためだけに食べるものを胃に流し込み、薬を飲む日々。疲れた。身体が動かない。考える力も、ない。
2006年09月15日
コメント(5)
今日は診療日でした。この3週間辛かったことを主治医に告げました。しかし、この疲労に効く薬はなく、身体を休めるには会社を休むより他にないと言われました。「休職とはいかないまでも、週に何日か半休を取ったらどうか」との意見を頂きましたが、残念ながら有休はもう残っていません。主治医は診断書を出すと仰いましたが、もう、周りに気を遣われるのは嫌です。結局(診断書を)「書いて下さい」とは、言えませんでした。薬は新しい眠剤を処方されるに留まりました。帰りにドラッグストアに寄り、栄養ドリンク(今まで買ったことがない)と冷感湿布を買い、帰宅しました。栄養ドリンクを飲んで洗濯をし、食事を簡単に済ませ、熱めのお湯にゆっくり浸かり、肩と、足首と、足の裏に湿布を貼りました。少しでも疲れが取れることを祈るばかりです。
2006年09月09日
コメント(3)
自宅の玄関の下駄箱の上を物置にしているのですが、先々週に買った梨を2週間放置したまますっかり忘れて原型を留めないほどに腐らせてしまいました。帰宅すれば、真っ先に目に入る場所なのに昨日まで全く気付きませんでした。いかに注意力が散漫になっていることか。会社から今月の保険給付の通知が出ました。6月の「あの日」の医療費の額に驚きました。母に心から謝りたいです。明日はやっと診療日です。今夜は疲れてもう動けません。
2006年09月08日
コメント(3)
負けるな。立ち止まるな。動け、私の身体。負けるな。負けるな。負けるな。
2006年09月05日
コメント(5)
昨日、泣きながら母に電話していたら「もう仕事を辞めてこっち(実家)に帰ってきたら」と言いました。確かに、もう限界です。このままだったら、また6月のようなことをしてしまうかもしれない。それくらい判断力が鈍ってきています。でも、今の仕事は?就職活動にあんなに苦労したのに?今の仕事が嫌なわけではなく、むしろやりがいを感じているのに?苦しい。とても苦しい。毎日泣いてばかりいます。やりたいことがあっても、身体が全く言うことを聞きません。今日、耐え切れなくなって会社の診療所に駆け込みました。看護師さんには「病院へ行くしかない」と言われました。でも、有休が残っていない私はもう休めません。主治医は土曜しかおらず、電話で他の先生のアドバイスを請うにも会社から電話するわけには行きません。次の診療日をじっと待つより他にありません。今、全てを捨てたら地元でまた一から就職を探さなければなりません。弟はいずれ家庭を持つでしょう。ですから、私しか母の面倒を見られる人はいないのです。才能もセンスも何もない私は好きなこと(銅版画)だって、安定した収入があるからこそ許される趣味だと思っています。稼がなければ。母のために稼がなければ。それ以外に、自分の生きている意味が見出せません。
2006年09月04日
コメント(4)
さっきまで、布団から一歩も出られない状態でした。それどころか1mmも動けない状態でした。何とか食事を摂って、(そろそろ食べることもどうでも良くなってきましたが)お風呂にお湯を張ってゆっくり漬かったところ、少し身体の緊張が和らぎました。それにしても、辛い。涙が止まりません。こんなんで月曜日からまた仕事ができるのか。もう全てを投げ出して実家に帰りたい。でも、この仕事を見つけるのにあんなに苦労したのに?それを全部投げ出すの?そんなことはしたくない。でも身体と精神がついてきません。6月の悪夢が蘇ります。
2006年09月02日
コメント(2)
自分が思っているより「死にたい」はまだ近くにいるようです。帰宅して、何とか食事を摂ってぼーっとしていると力が抜けてきて全く動けなくなります。そして悲しくなります。もう決してしないと決めたのに、ふと、ある考えがよぎります。今がチャンスだ、と。その行為が正しいとは思いません。しかし、そうせざるを得ないまで追い詰められることもあります。何がしていいことか、してはいけないことか判断がつかなくなるほど疲弊する時もあります。それを、身を持って知っています。
2006年09月01日
コメント(3)
これ以上、何から逃げれば良いのでしょうか?仕事は定時に切り上げて、家事も手抜きをしています。それなのに、帰宅するとクタクタで一歩も動けません。辛くて、辛くて、涙が出てきます。何が辛いのか分からないのに、涙が止まらないのです。先週は納期に追われていたため、仕事が一段落したら楽になると思っていました。ずっと憂鬱だった接待が終われば楽になると信じていました。でも、楽にならないのです。動きたくない、動けない。でも、誰も助けてくれません。自分で動かなければ、食事をすることも洗濯をすることもできません。会社を休めない。もう有休は残っていません。いや、仮に欠勤したらもう二度と会社に行けなくなる気がします。だから、休めません。辛い、辛い、辛い…。逃げられるところからは逃げています。これ以上、何から逃げれば良いのでしょうか?
2006年08月31日
コメント(3)
何とか週末を迎えました。1週間を乗り切れたとはとても言えません。昨日は泣きながら眠りにつきました。今日のカウンセリングで、ここ3~4日不調である旨を訴えました。一昨日の日記に書いた通り、原因はわかっています。逃げられるところは逃げているし、助けを借りられるところは借りている。最低限のラインでやっているのに、クタクタなのです。では、どうすればいいのでしょうか?臨床心理士の先生の提案は「この休日でできるだけ疲れを取ること」です。今日はできるだけゆっくりお風呂につかって身体をほぐすため、先ほど一発念起してお風呂を掃除しました。(お風呂もずっと掃除をサボっていたため、カビだらけになっていました。)今夜は浴槽にたっぷりお湯を張り、ラベンダーの香りの入浴剤を入れてゆっくりお湯につかり疲れを取るつもりです。
2006年08月26日
コメント(5)
月曜と火曜、(おそらく)眠剤の効き過ぎで危うく会社に遅刻するところだったので眠剤の量を半分に減らしました。身体が眠剤を欲していないということは良い傾向だと思っていました。揺り戻しはいきなりやってきました。夏休み明けにいきなり大量の仕事が待っていて、今週中が納期の仕事が3つ。帰省中は何もしなくても食事が出てきて、着替えたものは洗濯してもらえる生活だったのにそれが再び全てを1人でやらなければならなくなったという環境の変化。行きたくもないバーベキュー大会の誘いや、接待。色々なことが重なって、全身が悲鳴を上げました。定時で帰っているのに、昨日から身体中が痛くて仕方がありません。今日は泣きながら帰宅しました。アパートに入った瞬間に倒れこみとりあえず実家に電話しましたが、喋る気力さえ起こりません。母に「とりあえず眠りなさい」と言われ着の身着のまま、その場で受話器を放り出して、眠りました。目が覚めて、やっと今動ける状態になりました。自分の身体とこころはまだ本調子ではないということを忘れてはいけませんね。何とかあと1日乗り切って、土曜のカウンセリングを受けたいものです。
2006年08月24日
コメント(3)
やっと県内で銅版画が制作できる場所を見つけたので(ある美術館内のアトリエです)今日は、見学も兼ねて朝から出かけました。初日なので、スタッフの方に実技室の使い方の説明をして頂いて少しだけ作業を進めました。今日の実技室の利用者は私を含め7人。皆さんそれぞれ、デッサン、水彩画、木版画、リトグラフ…と思い思いの作品を制作しつつ、色々とアドバイスをし合ったり、アイディアを出し合ったりと和やかな雰囲気でした。スタッフの方にも親切に指導して頂きました。やっと、また始められたんだ。銅版画を始めたのは17歳の時だから、キャリアは10年近く?(ブランクだらけだからキャリアとは呼べないか?)でも、うつになってから、制作ができなかった。やっと、やっと…。新しいスタート地点に立てたと考えて良いでしょうか…。
2006年08月20日
コメント(8)
全108件 (108件中 1-50件目)