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恋焦がれて、買ってしまった。「オペラ座の怪人」のDVDボックス。初回限定バージョン。セブンイレブンの配達サービスに在庫はもうないぞ!amazonにはまだ若干あるようだが。。。これでここ最近ほしいと思ってたものはすべて買った。しばらく物欲はおさまるだろう。(って本当かしらん。)ストレスってお買い物であっさり解消されるのね。人生初の経験なような。とっても意外です。
Oct 11, 2005
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買っちゃったさ、下のスカート。一番下の生地までカウントすると、なんと3枚重ね。パニエがなくてもふわふわなのがいい感じ。
Oct 7, 2005
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精神衛生上、これはもう欲しいから買う。値段なんか度外視だもんね。でなければもう耐えられん。ちなみにグリーン・白タータンのやつね。さすがに赤は買えない。恥ずかしくて。
Oct 3, 2005
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携帯って何、ってことから。こんなこと書いてていいのかしら。明日の宿題からの逃避だということはわかっている。でも現実逃避したいんだってば!携帯を見るとむかむかする、って症状はたまに現れる。携帯に対して嫌悪感を感じるときだけでなく、自分の使っている携帯に対して嫌悪感が向けられているというときなんかもそういう症状は現れる。厄介なのは、それが自分の使っている携帯に限らずすべての携帯に向けられることだ。携帯って便利だよね。日本なら大体どこにいてもつながる。登山の心得にさえ最近は「携帯をもっていきましょう」ってあるらしい。誰かを介すことなく本人につながるんだもん。その恩恵は国際電話の場合にだってあずかれる。実際つながったときはびっくりしたけれど(笑)ちなみに国際電話は001+81+90~でつながる。本人に直接つながる、ということはとりもなおさず本人に首輪をつけることにもなるね。auではじめた居場所を強制的に知らせるシステムなんかまさにそれ。携帯はつながりというものを強化した。反面、想像力や期待や信頼、空白の時間といったものを奪った。いつでもすきな人と、どこでもつながりを持つことができる。その代わり目の前にいる人はおろそかになる。携帯を使ってつながりを確認することもできる。けれど次第にいつでもつながっていなくては不安になる。寂しいとき、悲しいとき、楽しいとき、うれしいとき、その感情をリアルタイムで伝えることができる。あとで面と向かったときに話す楽しみはなくなるけれど。もしも感情を前面に押し出して言うなら携帯はないほうが恋愛はロマンチックだ。会えないときは相手のことを考える、想うことが存分にできるから。いつも確認しあうなんて、つまらない。確認しあう、って何を確認するのだろう。つながり?どんなつながり?実際に会って話して抱き合って、それでも確認し足りないならいっそ同棲するなり結婚してしまえばいい。離れているとき、携帯をかちゃかちゃしあうカップルは両想いのようでただの自己満足という危険性を孕んでる。報告しあって確認しあって、何を根拠に「想う」と表現するのだ。「想う」は「思う」ではない。まとまらなーい、っていまさら言い訳。とにかくほとんどすべての人が携帯を持つようになった今、当たり前のように誰もがいつ何時でも携帯を動かすことに抵抗があるのは確かだ。少なくとも言えるのは目の前の、生身の人間をおろそかにしてまで携帯で別人ととるコミュニケーションなどいくばくの価値もないと思うのだ。そう思うから私はきっと冒頭のような気分に陥るのだろう。いい加減、そういう気分が自分だけで収まるようになればいいのだけれど。誰かが目の前で盛んに携帯を使ってるからといってその人を責めるいわれはない。察するとか、慮るとかって言葉は近い将来廃れるのでしょうか、ね。
Oct 3, 2005
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携帯って何?答えが出ないっていうのと明日朝早いからってことで書くのを断念。最近こんなのばっかりだね。介護等体験の施設での事前説明会を無断欠席したツケはどんな風にやってくるのだろう。楽しみだ。
Oct 2, 2005
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夜中にありえないくらいへこむ。気分が落ち着くまで彼氏さんに電話とメッセをしてもらい、どうにか眠れる。昼近くになってようやく起きる。寝覚めは、最悪。熱もまた出た。(その前日も起きたときは熱があった。)それでもケーキを焼こうと思って台所に立つ。タルトのフィリングを絞っているとき搾り出し口に刻んだチョコレートのかけらが詰まる。押しても出てこないので搾り出し口をはさみで切って広げる。すんなりフィリングはタルトにおさまった。なんて、簡単なことなんだろう。夕方散歩も兼ねて図書館に出る。台風が近づいているとあって、道はいろいろなもので汚れている。新聞紙やら、ごみやら、枝やら。図書館の中も荒れている。まるで図書館の外壁はその意味をなさなくなったと言わんばかりに。本を何冊か借りた。その中の一冊に意味不明な記号を見つける。端から端までその本を読んでみてもその記号の意味はわからない。世の中ってそんなもんだと自嘲してみる。小川洋子の本を読んでみる。思い出を標本にすることができたら過去の遺物に苦しめられなくてもすむのかもしれない。たくさんのことをしたようで何もしていない日。そんな日だって時には必要。特に、台風が来るのを息を潜めて待つような日は。
Sep 25, 2005
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とりあえず生きています。明日がレポートの、しかも2つの締め切りです。まだ手をつけていません。というわけで、何かを察してやってください。書きたいことはいろいろとあるんですけどね。中国はインフレかと思うような物価でした。スタバやハーゲンダッツ、その他日本企業を含む外資系企業の品物は日本より高いです。ガイドさんによれば「中国で買う中国製よりも日本で買う中国製のほうが立派」なのだそうです。とにかく詳しくは明日以降少しずつってことで。
Sep 21, 2005
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某陸の孤島でのインターン、無事終了しました。もう二度と行きたくない、と思ったかどうかは想像にお任せします。少なくともネットにはつながらなかったということは容易に想像できるはずです。で、再び予告。明日から杭州に行ってきます!中国です!気温34度、湿度78%の予報です!今、午前2時過ぎてますが、明日8時には成田の予定です!帰国は21日の予定です!皆様、こんな私でも見捨てないでやってください。ちーん。
Sep 16, 2005
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明日から陸の孤島にある独立行政法人の機関にインターンに行きます。一応パソコンは持って行きますが何せ陸の孤島のこと、ネットにつなげるかどうかすらわかりません。なのでもともと少ない更新がさらに減って週末のみという事態もありえます。逆にネットにつなげる場合、ばりばり更新するかもしれません(笑)それでは皆様ご機嫌よう。
Sep 3, 2005
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来年の教育実習をお願いするため、母校に行ってきました。こんな時期までずれ込んでしまったのはええと教科の先生に長らく実習を拒否されてたからです。母校に電話をかけること十数回、担任だった先生を通じてお願いすること数回。どうにか教頭面接にこぎつけてたぶん来年実習ができることになりました。ふぅ。それにつけても今回思い知ったのが「母校」という絆の強さ。はっきり言うと教科の先生に拒否されたのはその先生の母校の慣例を持ち出されたからです。しかしいい歳をして慣例を持ち出すことの無意味な場面かどうかも判断つかないのでしょうか。しかもその先生の母校と私の母校は姉妹校といえないことはないものの今ではまったく別の高校。その慣例を持ち出されたら手のつけようもありません。とはいえ、高校も大学も「母校」という意味ではとても卒業生のつながりの強いところ。将来変なことを言いだすOGにはならぬよう気をつけなければなりませんね(笑)それはそうと教育実習の問題が片付いたところで介護等体験の問題が片付いてないんですけどね。事前指導の日程が、中国に行く予定と見事にバッティング。さてまぁ、どうこの問題を料理しようか(爆)
Sep 1, 2005
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Chapter 24Fools who wear their hearts proudly on their sleeves,who cannot control their emotions, who wallow in sad memories and allow themselves to beproveked this easily weak people, in other words they stand no chance against his powers!いやあ、professer Snapeはいいこと言います。ちなみにこの his は you know who のことです。もちろん。
Aug 25, 2005
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香川に旅行に行ってきました。香川は某クリスマス生まれの友人の実家があるということで卒業する前に一度は行ってみたいという私の希望を彼女が叶えてくれたのです。感謝。四国に行くのは実は人生初。ましてやB-767なんて滅多に乗らない飛行機。なんだか違う意味でどきどきしました。香川ではたくさんうどんを食べてしかも作ったりして金比羅にお参りをして「喫茶 コンピーラ」という喫茶店のネーミングがツボにはまって笑い転げ団扇の製作体験をしたりかなり充実したものでした。見るものすべてがはじめてで食べるものにいちいち感動して。だから旅行は大好きです。そして水不足に悩んでいるはずの香川から帰る飛行機は夕立の中を飛び立っていったのでした。なんか2泊3日だったわりにはあっさりとした感じですが自分としてはかなり楽しかったです。3日中2日も車を出してくれたR氏に感謝です。
Aug 20, 2005
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髪の毛が根元10センチほど黒くなってきてこれはさすがにまずいだろうと思い、染めることを決意。ただ普通に化学系染料では黒く染めてもまた色が抜けていくのでヘナで染めようと思い立つ。ラッシュのカカでもよかったのだけれどたまたま行った池袋の東急ハンズでヘナ売り場を発見。いろいろ物色して「マックへナ ナチュラルダークブラウン」を選択。で今日染めてみました。これ、面白いのは2工程あること。1回目は普通のオレンジへナで下地を作り、2回目はインディゴで紺色を重ねてダークブラウンに仕上げる、とパッケージにはありました。それぞれの放置時間は3,40分とかなり短め。途中でドライヤーで加温すると良い、ってのもまた面白いですけど。私は髪の毛が鎖骨下10センチくらいなので1つで足りるかなと思いつつトライ。トリートメント効果も狙ってそれぞれの放置時間も1時間半ずつとかなり長めに。2回目の放置が終わって洗い流すと。。。黒い!!想像以上の黒さです。っていうかブラウンじゃないし。。。(-"-#顔の印象すら変わって見えます。次回私に会っても笑わないでやってください。何で今日、ヘナで髪の毛なんか染めたのって?それは暇だったから。テニスの試合をデフォせざるをえなかったから。もちろん、誰のせいでもないデフォだから仕方ないんだけど。1回戦、8-0で勝ってこれから、とは思ってたんだけどね。だけど、やっぱりちょっとへこんだ。ここ最近、自分がどこまでできるのかを試したことがなくてせっかくの機会だったから。言い訳とか逃げ道とかがない状態で自分を試してみたかったから。その機会が失われたことを残念と思う。いくら無駄に自信を持とうと推奨してもその根拠が全くないなかで自信なんて持てるわけじゃない。モチベーション、といってしまえばそれもあるけど再度私は「これでいいの?」って疑いながら進むことになる。それがなんだかなぁ、と思うわけです。愚痴になってしまいました。足りないのはやっぱり、自己肯定感、ですかねー。
Aug 15, 2005
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今日はお葬式でした。誰の、って?携帯の。今朝でかけようとして自転車に乗っていたら、衝動的に携帯が自殺を図ってしまったのです。毎日毎日酷使する主人に嫌気が差してしまったのかもしれません。とにかく砂利の中に飛び込んだ彼女は画面が傷つき、カメラにもひび、ととても生きているとは思えない状況でした。しかしながら、それでもなお彼女の意識はありました。それだけが唯一の救いでした。彼女の記憶が無くなってしまうことを恐れた私はテニスの練習が終わり次第携帯ショップへ向かいました。途中確認すると彼女はまだ話をすることも可能でした。ただ顔をこちらにむけてくれないのです。結局、彼女の記憶は新しい器に入れ替えられ今も生きています。彼女の記憶のかけらを探し求めなくてすんだのが幸いです。って要するに携帯落っことして壊しました。こんな文にしたのはただ単に森博嗣氏の「女王の百年密室」を読んだ直後だからです。(携帯ってウォーカロンっぽいよね、ってことで。)あしからず。一瞬メモリーが飛んだかと思ってひやひやしましたが電源は入ったため何とかデータを新しい携帯に移し変えることができました。よかった、よかった。でも携帯壊れて何に青ざめたかと言うと携帯が唯一のコミュニケーションツールとなりつつあるってことに気づいたことです。これがないと(ほとんど)友達とも連絡がつかない、ってことに。携帯が無いからといっていらいらしたりはしないけど不安には陥るということがよくわかりました。少なくとも携帯はネットよりはリアルだものね。
Aug 10, 2005
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リンドバーグの曲です。震えるつま先 高なる鼓動 何度も何度も胸に手をあててみた見えないハードルにつまずいたとき あなたの気持ちが少しでもわかりたくてスタジアムに響き渡る歓声を吸いこんであなたはゆっくり立ち上がるevery little thing あなたがずっと追いかけた夢を一緒に見たいevery precious thing 奇跡のゴール信じて今大地を踏み出したええと、Aメロ? かな。1番ってやつです。この曲が何かというと、実はこれ、私の自分に対する応援歌。特にスポーツをやるときの。試合(レースも含む)の緊張した感じがすごく自分と似てる気がして。でもこの曲を歌ってるのは試合を見てる側(客観)だから心の中で歌うと緊張を冷静にとらえられる気がして。まぁ、これでも一応陸上やってたのでだからこそこの曲に共感する部分はあるのでしょうけど。ちなみに。私が緊張しているかどうか見分ける方法。1 髪の毛をやたら触る。2 やたら多弁3 気がつくと無口4 靴紐をきつく縛りなおしている。スポーツのときに限る。1~3は3になるほど緊張の度合いが強いです。私の観察に役立ててくださいませ。って誰も使わないか。。。さぁ明日はテニスの試合だっ!
Aug 7, 2005
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たとえば自転車の二人乗り。乗せてもらう方が怖がって身を硬くしていたらこぐ方はとてもやりにくい。たとえばお化け屋敷。一緒に入った人が異様に怖がってたら怖くなかったはずのもう一方の人さえ怖くなる。たとえばテスト。どこかで不安がよぎると自信があったはずの回答ですら不安になってくる。恐怖とか不安といった負の感情は恐ろしいスピードで全体を食いつくし周囲さえそれに同調させてしまう。それはますます自分に跳ね返ってきてさらに不安に陥るという悪循環。だから自信満々でいよう。「~かもしれない」は捨て置いて、あるいは忘れて「~できるはず」だけを考えよう。自信満々でいれば必ず周囲もそれに引きずられるかたちになるはずだ。運や勝負でさえも。だから自信満々でいよう。できないことを数えるのではなくできることだけを数えて。反省はその後でいい。追記:松岡修造マインド化計画進行中。
Aug 5, 2005
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夏です。夏ならやっぱり1回くらいは花火に行きたい!ってことで連れて行ってもらいました。花火大会の話題は後にして、まずはこちらから。最近、きれいな線香花火って見かけないですよね。小学生のとき、国語の教科書の説明文で線香花火についてっていうのがあってその中にこんな記述があったわけです。「線香花火の火をよく見てみよう。散った火花の先でさらに火花が散るのが観察できるはずだ。」もっとももう記憶があいまいなのでこんな感じの記述があった、ってくらいなんですが。で、これを読んで以来、線香花火をするたびに目を凝らして火花を観察したのですがどこをどう見ても火花が単純に放射状に散っているようにしか見えない。だからずっとその説明文に疑問を抱いていたわけです。ところが最近になって最近線香花火の主流は中国産で安価な中国産のものは火花が良くないという話を耳にしました。1本1本手作りする国産のものは美しい火花を散らすのだ、という話も一緒に。なので今回、せっかく花火をするなら線香花火もしようとお願いして山懸商店っていう国産花火問屋さん(蔵前)に行って、国産線香花火を買ってみました。そこではオリジナルの国産線香花火(大江戸牡丹)のほかにもいろいろな産地の線香花火を売っていて、選ぶのに困ってしまうほどでした。結局大江戸牡丹と九州産の限定品をかって試してみたわけです。結果。火花が火花の先で散ってる!説明文は本当だった!ということがわかったわけです(笑)でもほんとにきれいなんですよ。ひとつひとつの火花が大きくしかもなめらかで散るときの形もすごくきれい。そしてものすごく儚い。勢いよく火花が散っても、あと少し見ていたいと思うところで玉が落ちてしまうのです。この後味たっぷりな感じがたまらないです。同じ「儚い」という言葉で表現されてても桜の散る「儚さ」とはまた少し違った趣です。こう、儚い感じこそが欧米型の花火にはない日本らしさなんだろうなとか考えてみたり。肝心の神宮外苑花火大会は彼氏さんのお仕事先の屋上からゆったりと見ることができました。少し煙に隠れてしまうこともあったけどゆっくり見られる、という点では外苑に行くよりも良かったと思います。ありがとー♪でももう少しプログラムの中に「柳」があったらよかったのになーとは思いました。それも4尺玉の、すごく長く垂れ下がるやつ。都会のど真ん中じゃ無理かしらん。。。ともあれ、花火は夏の風物詩です。これからも花火大会いっぱいあると思うのでぜひ出かけてみてはいかがですか。浴衣も、この時期逃すとまた1年間おあずけです。
Aug 1, 2005
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Je commence a travailler a la bibliotheque.C'est travail a temps partiel entre les vacances.ってわけで図書館でのアルバイトを始めました。仕事の内容は配架、つまり返却された資料を書架に戻すのが主です。なれないと意外に時間がくうのでびっくりです。図書館にマガジンの最新号が置いてあるのもびっくりです。「研修中」って札をつけているのに「どーぶつのずかんはどこですかー」って聞いてくる小学生にびっくりです。退屈はしない本読めるからだけどアルバイトです。
Jul 28, 2005
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更新命令が出ているのを発見したので、取り急ぎ更新致します。こうやって更新できるのもまた熱が出たせいかと思うと微妙なのですが私は決して病弱なのではありません。と、訴えてみる。実際は年をとって無理が利かなくなってきたという疑いが濃厚。年はとりたくないですね(笑)
Jul 26, 2005
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今日は誕生日だったので以前から念願だった「誕生日にディズニーに行く」というのを実行に移しました。ファンダフル・ディズニーのパーティに参加するため朝早くから付き合ってくれた彼氏さん、ありがとうです。感謝です。ええと、ではとりあえずタイトルの「レイジング・スピリッツ」の報告は後半に回してファンダフル・ディズニーのファンパーティについて。ファンダフル・ディズニーってのは要するにファンクラブのことです。年会費は3150円だけど、会報誌やらグッズやらカレンダーやらをくれるので払う価値はあるかなーと思ってます。ただ、会員限定企画がどれも微妙。レイジングス・ピリッツのプレビュー招待なんかは1度ディズニー・シーに行ってなかで応募しないとだめだったし。あきらかにリピーター狙いの企画です。って言うか私も相当なリピーターですけど年パス持ってるほどじゃないし。。。期間限定でパスポート安くなるけど県民デーやキャンパスデーと比べて安くなるかといえばそうでもないし。あくまで会報誌の購読料と思ったほうがいいかもしれないです(爆)で、ファンパーティ。これも事前にお知らせが来て、「抽選で」チケットを「購入」する(パスポート別)ことでようやくいけるパーティです。なんて面倒な。それで指定された時間に(TDSは)ブロードウェイミュージカルシアターに行き、(指定されていない)席に座ってショーを見ました。内容は。。。TDLの5周年とか10周年のときのショーに似ている気がしました。今はあんまりショーを見ないのでなんとも言えないのですがこう・・・レトロというか・・・地味というか・・・とてもディズニーらしさを感じました!(←一応フォロー)ほとんどドナルドしか見ていなかった私が言えることじゃありませんが(笑)ちなみにパーティの参加特典は・ファストパス1枚(レイジング・スピリッツを除く)・ポップコーンを買うともらえるオリジナルコースター引換券・写真を現像するともらえるフォトフレーム引換券の3つでした。これをどう思うかは貴方次第、といったところでしょうか。ちなみにこの日は昨日の地震の影響のせいでものすごく空いていたのでファストパスは使いませんでした。で、レイジング・スピリッツについて。どういうわけかこれ、あまりプロモーションされてないですよね。周囲に聞いても知らない人ばっかり。CMもほとんど見かけません。せいぜいyahooの広告でくらいでしょうか。おそらくは身長制限が140cmと高く、しかも走行時間が1分30秒と比較的短いこともあってプロモーションしにくいってのが本音なんでしょうね。だって身長制限が140cmって、小学校高学年にもならないと乗れませんよね。確かに並んでる人も大人ばっかりでした。で、大学高学年(=博士課程)であるにもかかわらず彼氏さんはコースター系を拒否したのでそれをずるずる引っ張っていくわけにも行かず結局私はシングルライダーを活用して乗りました。もともとスタンバイで40分待ちとそれほど混んでいなかったのですがシングルライダーを使うと驚きの速さ。並びはじめてから出てくるまで約15分。混んでいて、でもどうしても乗りたいという方はシングルライダーを活用されるといいかもしれないですね。寂しいですけど。レイジング・スピリッツはTDR初の回転系コースターです。なのでどんな感じかなーととてもどきどきしたのですが感想は。。。小さい。短い!わかりにくい!!なんとまあ敷地面積がインディー・ジョーンズの3分1強で一番高いところの高さが同じくらい、前にも書きましたが走行時間が1分30秒、回転部分は特殊効果の霧がかかっていてよく見えません。高さがインディー・ジョーンズと同じくらいということからもわかるかもしれませんが回転部の高さは全体の3分の2くらい、つまり5,6メートルほどで、回転できるぎりぎりの高さといった感じです。私、TDLのスプラッシュ・マウンテンがものすごーーーーーーーく嫌いなんですけどそれでもレイジング・スピリッツは平気でした。レイジング・スピリッツはなんと言っても上半身を固定するタイプの安全バーなのがきいていると思います。体がふらふらしないので落ちる部分がほとんど直線だけのレイジング・スピリッツでもあまりあのコースター特有の浮く感じがせず、怖くないのです。肝心の回転部分も霧で覆われているため、「もしかして今、回ってる??」と思うくらいのあっけなさ。乗り終わると(どれだけ怖いか)心配して損したよ、という気分になったのは強気な小心者の私だからでしょうか。。ともあれ無事にレイジング・スピリッツに乗れたわけです。この日は非常に(経営が心配になるほど)空いていたのでその後も効率よくまわれたのでした。グロッキィなのにいっぱいついてきてくれた彼氏さん、ありがと♪
Jul 24, 2005
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Il y a un grand tremblement de terre.Exactment cette heure, quant a moi, il est dans l'universite.Etant etonne, je me leve.J'ouvris la porte, et me cache sous le bureau.Le fenetre de verre ne fend pas.Mais,les metros et les trains ne se deplace pas completement.Je me preoccupe que je ne peux pas rentrer a la maison. Bonheur dans l'unhappiness, mon amour est dans mon cote.Quand C7est mon une personne,je ne sais pas probablement pourquoi il est bon.いやー地震すごかったですね。震度5弱だそうですが「階段を下りていてまったく気づかなかった」という友達の発言にも驚かされましたがやっぱり揺れのすごさに驚かされました。びっくりして立ち上がり、机の角にひざをぶつけて怪我してしまいました。私ってば、おっちょこちょいね。困ったのは学校の近くは営団地下鉄しか通っていいのに地下鉄が止まってしまったこと。後日、いつも利用しているこの駅がニュース映像で流れていて乗客があまりに説明を要求するので駅員がキレるというシーンだったのですが、私もあと少し駅にとどまっていたならキレていたかもしれません。だって駅員の声が小さいんだもん。何言ってるかほとんど聞こえない。そりゃあ乗客だって説明を要求しますよ。仕方なく都バスで近くの別の駅に出てそこで彼氏さんと落ち合い、早くから復旧していた都営線で上野に出て当初予定した通りラケットを購入。ガットを張ってもらったり、お茶してみたりいろいろ時間をつぶしていたらようやく私鉄が動き出したのでそれで帰りました。いつもは全部で1時間かからない道のりが2時間弱もかかりましたとさ。阪神淡路大震災やら新潟県地震やらを教訓にしたせいか建物やインフラの損傷はあまり目に付かなかったのですが尼崎の事故を受けて(たぶん)JRの動かないこと、動かないこと。もしもJRでしか帰れないところに住んでいたらと思うとぞっとしました。この日はいいことと悪いことが微妙にたくさん。詳しくはまたアップしますね。
Jul 23, 2005
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冷房病にかかった。毎年のことではあるのだけれど。正確に冷房病かどうかというのはわからないんだけれどとにかく鼻水が止まらない。くしゃみも止まらない。夕方には微熱に変わる。そんな症状がものすごくはっきりでている。原因ははっきり過ぎるほどはっきりしていて、というかこういう風なことがあったら確実に上のような症状が出ます、っていうのがあります。それは「汗をかいた直後に冷房にあたること。」これを朝やってしまうともう、1日中だめになってしまいます。こんなことそんなにある? と思うかもしれないですけど日常の中には結構あってたとえば駅まで自転車で行って、電車に飛び乗る。これはもう、てきめん。弱冷房車だろうとなんだろうとほとんどダメでこういうシチュエーションになると1日をあきらめます。それから寝汗をかいたのに、朝起きて居間に降りたら冷房がついていた。これもかなりやばいですねー。不意打ちな挙句に、この症状が出ることを知っていて家の冷房をつけるのは苛めです。ほんとに。あとは、涼しい部屋と暑い屋外の出入りを繰り返す。これって外に出ると一時治ったような感覚に陥るのですけれど結局室内に戻れば元の木阿弥。。花粉症よりも風邪よりも症状がひどいので暑い時期はある意味で要注意な季節です。そもそも冷房なんてものが存在するからいけないのだと思う。夏は夏、暑くてけっこう。視覚や聴覚で涼を取ればそれでいいじゃないですか。温暖化に拍車をかけてまで涼むのはいかがなものか。気温差。暑い、暖かい、涼しい、寒いという感覚は総じて相対的なものである。何度だから涼しいとか、暑いとかって言うのはあくまで自分の感覚に過ぎなくて、自分が相対的に暑いのかどうかは他と比較しなければ絶対にわからない。実は自分が異常なくらいの温度だったと知ったとき、あるいはそれはたいした温度ではなかったと知ったとき、絶対温度で何度だろうと気温が下がる気がするのはなぜだろう。
Jul 19, 2005
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Apres-midi, pour faire des courses je vais a Shinjuku.Je voudrais acheter un sac, des sandales et un cadeau pour mon amie.Au premiere, je vais a Marui et Takashimaya.Il y a beaucoup de magasins comme OZOC, ru, metamorphose, the Scotch House, etc.Quand je regarde un chemisier, une vendeureuse me dit "C'est mignon, n'est-ce pas?""Oui, c'est ca, c'est mignon."je pense.Cependant je veux faire l'une personne quand faire des courses.La bonte depend quand.Apres tout, j'achete un sac lin, une chemisier blanche, et des bonbons pour mon amie.Je suis satisfais.
Jul 13, 2005
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「ま、いっか」この言葉、あまりいい意味で使われることがない。それはそれまでしていたことを放る、あるいはなあなあでものごとを済ますというニュアンスがこの言葉から感じられるから。あるいはそういうニュアンスで使われることが多いからだろう。良くないニュアンスで使われることがわかっていても、私は割りとよくこの言葉を使う。「ま、いっか」確かに何かに失敗したときや、理想の状態にものごとをできなかったときに使うことが多いのだけれど。込める思いはマイナスではない。「やるだけやったのだから、どうにかなる」ほとんど人事を尽くして天命を待つといったところか。それほど大げさなものでもないけれど。重要なのは、このニュアンスでこの言葉が言えること。なぜか。それは常に完璧にはできないなかでどこでどう自分と折り合いをつけ自らを納得させることができるかということだからである。あるいはすべてが思い通りに行くわけではないなかで自分と他(人とは限らない)をどう位置づけるかの問題だからである。上ばかりを見る、人をうらやむ、そういった状態ではこの言葉なかなか言えるものではない。完璧、自分の思い通りは他にあるけれど今この状態で自分は自分のできることをした。そういう満足感のようなものからこの言葉を使って欲しい。不思議なことに、そういう意味でこの言葉を使うとものごとの凝り固まった部分が別な視点から見えてくる。いったい自分は何にこんなに固執していたんだろう、とかね。「ま、いっか」最近私の適当のセンスを代表する言葉です。注:適当のセンスは昔のサイトでしていた私の主張です。 説明は必要。。。ですかね? とりあえず、 決してものごとをいい加減にこなすためのセンスではない とだけ言っておきましょうか。
Jul 10, 2005
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内容は普通なんだけど。Je dines au restaurant chinois avec ma famille.Parce que mes parents aiment des fruits de meron commande les plats de poisson.Je les prefere, surtout frit de langstine.Bien manger, bien parler, je suis tres content.私の家の近くにはとてもおいしい中華屋さんがある。名前を出すと私の住所がばれるので(それくらい近所なのだ)名前は出せないのだけれどとにかく海鮮料理がおいしいので海老好きの私にはたまりません。お勧めは「海老の中華風フリッター」です。料理の火の通し方が「技」を感じさせます。久しぶりに家族そろっての夕ご飯でした。
Jul 9, 2005
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日記の更新がずいぶん遅くなってしまったことについて。えっとですね、この間の日曜日の深夜、日記書いてたんですよ。ちゃんと予告どおりフランス語のやつ。だけど全部書き終わって「更新」をクリックしたら・・・「メンテナンス中」という非情な文字が。何の嫌がらせですか、ほんとに。メンテナンスの予告を忘れていた自分が悪いといえば悪いのですけど日記が消えてしまうとなると結構ショックで、要するにそのせいで日記を書くことに嫌気が差したと言うか。楽天さーーーん、メンテナンス中でも書いた日記がせめてメール保存されるようなシステム開発しようよ。さて今日の日記。Je suis allee a l'universite ce matin.Pour aller a l'universite, je me suis levee a 6 heures et demie.Mais non!!J'ai trouve une phrase dans le tableau noir,"Il n'y a pas la classe parce que professeur est absent."Mes amies et moi ont dit "Ca m'ettonnerait?!"On va a l'universite pour juste cet classe le vendredi.Tout de suite, je suis rentree a chez moi.Rendez-moi mes 3 heures, professeur!
Jul 8, 2005
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友達にメールをしました。夜の1時30分に。何の気もなくしたメールだったのですが相手にとっては違ったようで。というのも「深夜のメールだから何かあったのかと思って」と返事がきたからです。そこでようやく気づいたんですね、夜の1時30分というのは深夜だということに。このことからもわかる私の生活の乱れっぷり(笑)友達、として誰かと付き合うということは相手と自分の望む形に折り合いをつけてやっていくわけだけれどどうもその友達との付き合い方は私が思っていた形と相手の望む形が食い違っていた模様。それに気づかなかったわけじゃないけどいい年した人間が自分の思う形だけで相手に接して良いわけじゃないと痛感した。自分ももちろんこれは反省すべきなのだけれど相手にも是非考えてもらいたい。悲しいかな、最近周囲に似たような人種が増えていると思う。類は友を呼ぶ?決してそうは思いたくないのだけれど。自分の権利・主張が犯されることに対して頑固な人。不愉快だ、という以外は特に問題がないから放っているのだけれどいくら自分の思ったことがうまくいかないからってその相手を攻撃するのは間違ってる(と思いたい)。怒ったから、不愉快だから、負の要因であれば相手に対して何を言ってもいいというわけではないでしょうに。想像しようよ、相手がそれを言われてどう思うかを。否、想像なんてしなくてもいい。だけれどもそういう発言をする自分が恥ずかしいということには気づいてほしいものだ。そういうやり方をする貴方たちは、みっともない。
Jul 6, 2005
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このままいくと明日からフランス語日記始めちゃいますよー。反論、異論ないんですか、本当に。はてさて。今日も教職のために学校で授業です。いい加減お休みはお休みにして欲しいと思います。そんなことはどうでもよくって。いやぜんぜんよくない。今日の授業の内容って主に「脳死と移植医療」についてだったのですよ。別にそのトピックスを授業に使うのは悪くないんだけどいかんせん教員の知識不足を感じましたね。しかも話の進め方が異様に下手。それで教員か?! と突っ込みたくなりました。微妙な話題を扱う以上、知識の欠如ほどどうしようもないことってないね。とまあ単に土曜日に学校出てきてろくでもない授業を聞かされた愚痴なのだけれど。それでも死について考えてみるのも一興かもしれない。
Jul 2, 2005
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日記の更新頻度を上げるためと自分の上達を目指してフランス語で「いわゆる日記」を書こうかな、と検討中です。訳はつけないつもりですが。もちろんフランス語がわからない人にはまったくわからないでしょうし逆にフランス語を自在に操る人からすれば間違いも多い稚拙な文章を目の当たりにするわけで。あんまり人に見せる日記にはならないかもしれないですね。だからこそ練習の場になるかなあとは思うのですが。何か意見あったらお知らせください。なければ週末あたりからはじめようかな、と。もちろん今までのようなブログはちゃんと(?)続けるつもりです。
Jun 30, 2005
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きれた。最近にしては珍しく、きれた。ぷっちん、って音がしてとめようがなかった。ぷっちん。きっかけ?くだらないことだ。パートシュクレを延ばしてるときに断りもなくコンロの火をつけられたこと。(注:パートシュクレは熱に弱い)思い返すとどうでもいいことだが、あれくらいのことでぷっちんするほどストレスがたまってる?自覚がない。危ないな。。。結局その日作ったお菓子は気分のいいときに作ったダコワーズのほうがよっぽどおいしく感じられたとさ。料理への最高のスパイスはやっぱり愛情とか、そういった暖かな気持ちなんだね。
Jun 26, 2005
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またろくでもない夢を見ました。今朝も意識は覚醒しているのに、体がついてこないというコンディション。午前中の授業を早々にあきらめ、再び眠りに落ちたときに見た夢。知っている女の人が歯ブラシをのど笛に突き刺して自殺を図った。私はその人が助からないことを知っている。でも周りは必死に助けようとしている。そこで私は気づく。その人が助からないというのは私が望む結果であって、確実な結果ではないということに。そう、私はその人に死んで欲しかった。より正確に言えばその人の自我に死んで欲しかった。その人は救急車で運ばれていったけどどうなったか私は知らない。もしもこの夢が見たままの意味だとしたら私はこの人がいなくなってしまえばいいと思うほど憎んでいるってことになる。確かに私は現実のこの人が苦手だ。感情のままに振る舞い、自分のことが最優先である彼女が。それでも逃れられない関係であるからこそせめて夢の中では殺してしまいたいと思うのか。相手を貶めることで優越感を得るという行動を醜いと思う自分がまったくそのような行動を取る夢を見るとはね。笑ってしまう。それとも上を見続けて常に不満足である自分の心の均衡をとるためのせめてもの手段としての夢なのか。誰も答えはわからない、自分でさえも。何もかも放り出してできる限り自分に対するストレスを除いたらこういう不愉快な夢を見ることもなくなるのだろうか。もしそうであるなら、試してみたい。夢の中まで嫌な思いをしたくない。
Jun 23, 2005
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こういうタイトルの小説があってもおかしくないような気がするのは私だけでしょうか。ようやく体の調子が元に戻ってきた感じがします。だけど、寝ていてこういう夢を見るのはまだ本調子ではないことの証拠なんだと思う。早く元に戻ればいいのだけれど。深海魚の夢緑がかった暗い海の中を私は漂っている。視界に広がるのはただ、海の底の暗さだけ。かといって海底が見えるわけでもましてやほかの生き物が見えるわけでもない。私はただそういう空間を「魚」という意識を持って漂うばかりである。そこに突然一筋の光が現れる。闇のような暗さを貫く人工の光が差し込んでくる。だからといってまぶしいわけではない。光の源はやがて近づいてくる。白い金属の物体。しばらくしてそれが潜水艇だということがわかる。大きなドーム状のガラスが前面についている潜水艇。誰かが操縦かんを握って意図的に私に光を当てている。その誰か、は私の知っている誰か。誰なのかは特定できないがひどくなつかしい感じがする。潜水艇は光を上方に向け、ゆっくりと上昇していく。「私も追わなければ。ついていかなければ」私ははっきりとそう意識する。しかし、哀れなのは深海魚であるこの体。急いで上昇すれば内臓が飛び出して死に至ってしまう。また深海魚の常である醜い外見を気にしてなかなか明るいところへ出て行けない。それでも潜水艇から離れてしまうのが嫌で仕方なくできるだけゆっくりと、でも大きな焦りを抱えたまま私は上昇していく。ようやく水面にたどり着いたときいつの間にか私は「私」になっている。深海魚でもなく、意識でもなく、ただの私に。そして地上に私を引き上げたのはまぎれもなく暖かい人間の腕だった。病んでるなぁ、私(笑)これが昼寝のときに見る夢ですかって。今あらためて書いてみると何かの象徴と読めないこともないってことに気づきました。養生に努めようっと。
Jun 17, 2005
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諸悪の根源、教職の授業の1日でした。1日、というか先週末と今週末の4日間だったのだけれど。おかげさまで先週また熱が出たのは日記にも書いたとおり。で。今回の授業の目的は一石ストレートラジオを作ること。こうかくとなんだか簡単そうでしょ。楽しそうでしょ。うきうきしちゃいそう?・・・そんなわけないじゃない。物理すらまともに授業を受けてない生徒にいきなり無地基盤と回路図渡して「じゃ作って(笑)」は、ないでしょう、先生。挙げ句、「あー、間違ってても面倒臭いから修正はしてありません(笑)」ですと?製作がメインの授業なのに作り始めたのが17時。・・・・ぇ?「早い人は21時くらいには帰れますよ(笑)」は?それでもそれでもそれでも早く帰ろうと一生懸命作業を始めました。「あれー、ここわかんないね。先生に聞かないと。。。」(先生の姿見えず)「(言葉も出ない)」このシチュエーションが15回くらい。いいんですよ別に、教職のために授業が少しくらい忙しいのは。教育実習のために少しくらい奔走したって。でもせめて先生も、授業を受ける生徒も不快な思いをしなくてすむための努力はしましょうよ。それって授業という枠組み以前に人として他人とかかわるための最低限のルールじゃないでしょうか。こんな授業があるから教職を志望している生徒が教職に嫌気をさすどころか「先生」という職業そのものに呆れてしまうとも言える。そあまつさえそれでも教職を目指す生徒に嫌な思い出しか残さないという最低の授業作りを改めないというのは、もう、ある意味すごい。(2年前に同じ授業を受けた友達の話からすると状況や内容は全く変わっていない)まぁそれでも私はどうにかこうにか聞こえるラジオを作り上げ、20時すぎには学校をあとにできたのでまだいい方だったのでしょうが。最後のひとはいったい何時になったのでしょうね。ラジオなんて簡単じゃーん、と笑ってるそこのアナタ。アナタは料理が得意ですか。裁縫はできますか。専門外のことを習うってのはそれを専門にしていない人にとっては思いのほか大変なのです。最後の一言がわかっただけでもよしとするか・・・あーあ、最近日記かいてないから内容が支離滅裂だわ(笑)さっさと寝ようっと。
Jun 12, 2005
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また熱が出た。それも39.1℃。保険証が見つからず、病院にも行けない。(結局父が歯医者に行くために持ち出していたことが判明)もうこの人の扶養に入ってるの嫌になってきたよ。こんなことしか日記に書かないと、そのうち南条あやみたくなっちゃうね。それは嫌だなぁ。そうそうわかりにくいけどリンク追加しました。よく行くページってやつです。
Jun 6, 2005
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仮屋崎省吾氏の魅力に負け、具合が悪いのをおして池袋メトロポリタンにある創作鮨「咲かせ鮨 花回廊」へ。ここは華道家として有名な仮屋崎省吾氏が総合プロデュースしたフレンチ×お鮨のお店。メニューはコースがひとつあるだけです。コースの内容は食前酒から始まって、オードヴル、茶碗蒸し、天むす、お重、椀もの、江戸前鮨(好きなだけ)、デザート。お米でおなかがいっぱいになれます。でね、ここのすごいところはひとつひとつの料理を「魅せる」工夫が惜しみなくしてあること。単に料理をきれいな器にきれいに盛るみたいな工夫だけじゃなくて客側が「これは何だろう?」って楽しめるような工夫がしてある。一緒に食べに行った友人(注:全員食物関係)は皆、食事中話題につきませんでした。なかでも私が一番気に入ったのは、天むす。これもまたただの天むすじゃなくて巻き寿司のまわりにカラフルなぶぶあられ(?)をつけて揚げてさらにその上にそら豆ときくらげのうす葛あんがかけてある。天むす=おにぎりという予想が完全に裏切られたうえ、目でも楽しめました。やっぱりひとつひとつのお料理に「花」が意識してあるのもすごかったですね。手まり鮨ですら、紫陽花に見立ててある。結局のところ、お料理がおいしく感じられるのは単にその料理そのものがおいしいからだけではなく作り手から食べる人へのこまやかな気遣いがあるからだと強く思わずにはいられませんでした。インスタント食品や手軽に食べられる食材が増えた現代でも、どんなに工夫しようとも真心のこもった料理に勝るものはないのですね。そうそう、このお店に行くとお米の消費拡大に協力できた気がするのは私だけでしょうか(笑)え、私が(お鮨を)食べすぎなだけですか?
May 23, 2005
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1週間も放置するのはやめようよ、と自分で突っ込む。もっともまた放置ぎみになるかもしれないけれど。というのも単純に体力がないから。考える、ってのは健康で暇だからこそできる芸当なんだなと痛感しました。なんでこんなに体力ないかなー。やりたいことの半分もやれてない。やるべきことすらきちんとできていない。なのに体調は悪くなる一方。せめて親が理解してくれたらな、とも思ったけど話したときの答えは「ゆっくり歩けばいいじゃない」出来るなら、そうしてますよ。とっくに。今日も出かけた途中で帰ってきてしまいました。どうしようもなく自己嫌悪。「体調くらい自分で管理できないのー?」そんな自分の声が自分を余計に苛む。どうしたら自分も満足のいく状態で誰も悲しませることがないように出来るのでしょうね。
May 22, 2005
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私の専門は「食」である。専門と言ってもまだ、所属研究室さえないひよっこなのだけれど。私は一度目指す専門を変えた。そうまでしてなぜ「食」に惹かれるのだろう。わざわざ大学を変えてまで「食」を専門とするわけとは。大学の個人調査表の志望動機欄には、確か「人(生命)を支える根源たる食を科学してみたい」のようなことを書いた気がする。あくまで表用に。実のところ、専門を変えた理由はそんな立派なものじゃない。下手をすると「ただなんとなく。」私は私が嫌いだった。何ひとつ思い通りにならないカラダ。空想好きで現実対応していないアタマ。何にも満足できなくてそれは今もだけれど自分自身に苛立ちを感じて。その中で完全に自分の意思でコントロールできるもの。あるいはできそうなもの。私にとってのそれは「食」何を食べるか、または食べないか。どれだけ食べるか。それは自分で選べて、しかも自分の状態にすぐに反映する。自分で自分を支配する感覚の獲得。少しは確かな「自分」という感覚。自分が思い通りにいかないときは特に。まぁ原因不明の腹痛にむかついての愚痴に過ぎないのだけれど。原因がわからない、思い当たらない。私の体だというのに、どうして私の思い通りにならないのだ!
May 16, 2005
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自分の現在の状態に悩む。周囲の人が自分より出来る、あるいは恵まれているように感じる。要するに「隣の芝が青く」見えている状態。ついさっきまでの私の状態。でもさ、隣の芝が青く見えるのってある種当たり前のことなんじゃないかと思って肩の力が抜けた。だいたい比べる事柄が同じ土俵にないものを比べるから悪いのだ。全く同じ条件下で比べるならまだしも現在を比べるから佐賀あるように思うのだろう。じゃあ、そもそも比べなければいいって?そりゃあ理想論ってものだろう。だからせめてひがみにならないよう気をつけるばかりだ。人は違って当たり前。今出来ないことがあっても仕方ない。その人と私は、生きてきた時間が全く違うのだから。
May 14, 2005
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今日は(多分)過激なお話。なのでフェミニズムやジェンダーを研究なさってる方などは見られない方が無難ですとあらかじめ断っておきます。教職のための授業で30人でゼミをやっています。内容はジェンダー。今日が第1回のまともな授業。っていうかさぁジェンダーって学問なの?学問に貴賎はないと思うけど時代遅れだとは思う。だって、出てくる話の一つ一つにもてない女の僻み根性が伺えるのは気のせいなのかな。実際ジェンダー研究者で美人の20代とかっていないよね。そもそもが女は虐げられている! って発想なのが気に食わない。単純な統計的数字を「~されている」って読むのもね。(授業では女は理系へ進む道を社会的に狭められているって話だった。)単に男女平等に、って言うのならなんでレディスディ(映画とかショッピングモールとかのね)を槍玉にあげたりはしないわけ?これって立派な男子差別じゃないのかな。女だから優遇されて当然って、その発想自体が女子を差別しろってことではないのだろうか。平等な立場を目指すなら何でも同じにしたらいいじゃないか。もちろん生物学的な際を考慮した上でね。とまぁこんな考え方の持ち主なので来週の発表ではどんな爆弾を落とそうか考え中。ふふふふふふ。うふふ。もっとも以前にも書いた気がするけど私の基本的な考えは「男女の生まれ持った資質を最大限利用するのが賢い」だから、女は女らしくある方がいいと思うし(しかもその方が絶対に得。)無理に「らしさ」は社会的に作られたものであり良くないものだと考えるのはいかがなものかと思う。もっとも境界領域にある人たちへの理解を深めるという部分では役に立つ考えではあるけれど。うーん、最後までやり遂げられるだろうか、この授業。。。(追記)来週の発表は「個人差>性差」路線に決定!
May 11, 2005
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性懲りもせず再び「The Phantom of the Opera」からのお話。もうほとんど映画公開も終わったということでネタばれを含みますので、ご用心を。映画のやや後半よりの中盤で出てくる曲、「ALL I ASK OF YOU」オペラ座の怪人、とっても好きでどの曲も気に入っているのですがなぜかこの曲だけは好きになれないのです。クリスティーヌがファントムを決定的に裏切る曲だから?この曲のせいで物語が破滅へと向かっていくから?理由はいくつか挙げることができます。でもこの曲が好きになれない最大の理由は、嘘臭いから。だってこの曲の一節にこういうところがあるでしょう。(Christine)All I ask is every waking moment,turn my head with talk of summer-time.Say you need me with you now and always;promise me that all you say is true.That's all I ask of you.劇団四季の歌詞だとこんな感じ。どんな時でも優しい心でどうぞ私を包んでねどんな時でも私が要ると約束してそれだけをお願いだからさすがに四季のだと意訳というか歌詞のための訳って感じでだいぶニュアンスが違ってしまっていますね。なので英語の方を見つつ。相手の言うことのすべてに嘘がひとかけらも含まれないようにお願いするのはあんまりにも都合が良すぎるんじゃないかな。もしくはきれいな部分だけを見ていたいといういたいけな心?(笑)どちらにせよ嘘臭いとは思いませんか。まぁ、後者の乙女の思い込みは「そういうものだ」で片付けてしまいましょう。でも、前者は。相手に嘘をつかないことが優しいんじゃない。相手に現実しか言わないのも優しさではない。自分の伝えたい内容をいかに相手にそって伝えるか慮ること、それが本当の優しさ。かといってそれが現実には嘘でなくても自分に対して嘘になるならやめた方がいいと思うけれど。こんなことを考えるのは多分自分がねじくれてるから。自分の口から出た言葉くらい、素直に認めればいいのにね。
May 9, 2005
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ようやく体調も安定し、GW中に果たせなかったお出かけへ。渋谷から原宿に向かって表参道、竹下通りなんかを散策。表参道は緑も多く、建物も落ち着いた色調でゆっくり歩けば本当に散策におあつらえ向き。ただ、延々と続く坂道なのが少し辛いといえば辛いのですけれど。で、単純な発想なので悪いのですけれど(誰に?)原宿ならロリータだろう、ということでロリータの衣装でお出かけ。サークルくらいのお付き合いしかしていない人が見たらさぞかしぶっ飛んだことでしょう。まぁそれでもお手製パフスリーブのブラウス、リボンのカチューシャ、メタモのスカートなどを着て、本人としてはかなりご満悦。そろそろ夏服でもそろえようかしらん。散策の途中でのぞいたショップももう夏物ばっかりだったしね。(全く関係ないけどEmily Temple Cuteって都内のショップより京都のお店の方がよりロリータちっくなのは気のせい?)残念なのは気に入っていた日傘がなかったこと。藤の手のついた、黒いはしごもようの日傘。失くしたと言えば失くしたのだけれど、その在り処を知っている場合には失くしたとは言わないのでしょうか?知っているからと言って取り戻せる場所ではないのですけれど。そんなことを考えていてふと思い出したのがタイトルにある嶽本のばら「カフェー小品集」この中の「凡庸な君の異常なる才能に就いて」ってお話。舞台は井の頭公園、ミカワ喫茶。ある文筆家が愛する彼女に向けて、という体裁をとっています。その中の一節にこういうのがあります。人を愛する為には能力が必要なのです。才能が必要なのです。誰もが人を愛する為の能力を少しは持っています。(中略)それほどまでに僕を愛することが出来たのは、僕に魅力があったからではない。君に人を愛する才能があったからこそなのです。人を愛する、ってのは才能なんですね。だから出来る、出来ないってのが人によってあって当たり前だとは思う。自分が相手を苦しめるほど誰かを(自分以上に)愛せるか?それはわからない。でも愛することが才能のなせる業なのだとしたら相手を傷つけるのもまた才能なのでしょうね。意図せずに相手を傷つけることが出来るならそれは立派な才能なのでしょう。失った傘の在り処を思って。もっとも嶽本のばら氏の作品を思い出したのはロリータをしたからでしょうけどね。くどくなるのを承知で。この日記、私以外には意味がとれないかもしれないね。けど、現在に関りのあることではないので心配しないよーに。少し考えて感傷的になっただけのことです。
May 7, 2005
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寝る前に何か嫌ぁーな感じがすると思ったら案の定、熱が出てました。それも38℃を超えて。(というか昼過ぎには39℃を超えていたのだけれど)せっかくお出かけするお約束があったのに、そのための支度もしてあったのに、正直かなりへこみました。ここのところしっかり休めて体調がいいと思っていたから、なおさら。 普段、ほとんど具合が悪くなったりしないぶん、熱が出るとものすごくなってしまうのです。確か去年の2月にも39℃の熱を出したような・・・っていうか何もGWに熱が出なくてもいいぢゃん(泣)
May 4, 2005
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目が見えないことは怖いことか?真っ暗闇を怖いと思うのは、おそらく間違いでない。しかしもっと怖いのは薄明かりの中を歩くときだ。「希望」「知識」そういった名前の明かりの中を。
May 2, 2005
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なんだかんだ言っていても結局、私は忙しいのが好きなようです。今日学校の帰りに丸善に寄りました。目的はというと、せっかくのゴールデンウィークだから久しぶりに服でも作ろうかと思ってパターンの本を漁ることでした。だいたいの見当をつけて探しに行ったのですがものの見事にそのパターンがない。ものすごくがっかりしてしまいました。あぁ、来週の暇な時間は何をすればいいんだろうって。(勉強という選択肢はないです。)少し考えてから、手持ちのパターンをアレンジして作ることにしたんですけどね。そう決めたらなぜか妙に元気が出てきて今朝午前中は学校サボろうか真剣に悩んだとは到底思えないようなテンションの高さに。本当に私は忙しくなるのが好きみたい。何でそんなに忙しいのが好きなの? って聞かれても答える用意が私にはある。でもその答えをあかすのは、聞いてきた人がいた場合にとどめようと思う。
Apr 28, 2005
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いまさらですが、私、チョコレートが大好きです。特に大学に入ってからは、(チョコレート使用、も含めて)チョコレートを食べずにいた日はないのではないか?というくらい重症です。アルコールよりもたちの悪い依存症かもしれないな。アルコールはそんなには摂らないし。今気に入っているのは輸入菓子の取り扱いのあるお店の大半で取り扱っているCote d'Or社のBRUT(カカオ86%)ってやつです。これを食べた後には日本で言うところのいわゆる「チョコレート」は砂糖菓子のように感じられます。鼻に抜けるカカオの香りが最高。それほどカカオが濃いって言うか。甘いものが好きな人に言わせるとこれはチョコレートではないんだそうな。でもこれ、食べだすとほんとにやめられない。せめてタブレットタイプを出してくれればよいものを。苦さに隠れた甘さへの期待が私を魅了してやまない。結果的にそれが私を苦しめるのだけれど。
Apr 25, 2005
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今週は木曜日にしてすでに疲れが隠せないでいる。忙しかったバイトも4月を半ばも過ぎると本来の静けさが戻ってくる。ほとんど何も、することが無い。こういうときはただ本を読んだり、ぼぉっと何か考え事をするのに限る。だからさっき居眠りしかけたんでしょーが。それにしてもなぜこんなに疲れているのだろう、私は。授業なら、去年以外はずっと忙しかった。バイトもサークルもずっとずっと目いっぱいやってきた。バイトが忙しく4ヶ月連続日曜日なしという状態すらあった。けど、今ほど疲れているようには思わなかった。いくら新学期が始まったとはいえ、こんな風になるものか?体力が衰えたというのだろうか。否、そうは思わない。何しろ運動は週2回以上のペースでしているのだから。だとすれば。問題は気持ちの方か。そうかもしれない。今、自分に対しての課題が多い。こうすべきだとか、こうしたほうがいいとか、こうなりたいだとか。あるいはこうしたいのになぜ出来ない! と思う。決して自分の能力に対する過信ではなく「頑張れば出来るはずだ」という思いから逃れられないせいだと思いたい。「頑張ればできるはず」この言葉が今、私を縛っている。少し無理をして頑張ればできるようになるのはわかっている。つまり今頑張らないと後で、あのとき頑張らなかったから今できないのだ、と思うようになるに違いない。こう考えている以上、そうなったときに後悔の念にとらわれることは火を見るよりも明らか。そう思うからこそ今無理をする。結果、より辛い状況に自分を追い込む。なあなあの状態でも今はこれくらいでいいじゃないかと自然に思えたら。今日はここまで出来たのだからそれでいいじゃないかとなぜ思えない?結局のところ、自分に満足したことが無いからなのかもしれない。ねぇ、一度でも自分が今の自分でいいと心から思えたことってありますか。
Apr 21, 2005
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コンクラーベは、根くらべ。って私が言い出したことじゃありませんよ、念のため。確か阿刀田高さんがキリスト教関係の小話の中で書いたいたように思います。新教皇が決まるまで枢機卿たちが狭い小部屋に閉じこもるのをコミカルに書いた小話だったと記憶しています。(間違っていたらどうしよう)それにしても、新教皇が決まりましたね。ベネディクト十六世、ドイツ出身の方だそうで。超保守派の割に世俗的な顔だな、というのがテレビで見ただけの私の印象です。印象で言えばやっぱり故ヨハネ・パウロ二世の方が好ましいと言わざるを得ません。もっとも故人のさまざまな活動を耳にしているからかもしれませんけど。私が耳にしたことの中で一番私がすごいな、と思ったのはやっぱり自分を銃で狙撃した青年の所へ直接赴いて許したこと。過去の過ちを詫びることより実際自分の身に起こったことをどう対応するかでその人の人柄がはかれるのではないでしょうか。過去のことは過去のことと割り切ってしまえばほとんど苦しむことなく対応することが出来ます。特に自分の身に起こったことでないことは。けれど自分の身に起こったことはそうはいきません。特に、「されたこと」に関しては。許すということは認めることに似ていると思う。相手がなぜそんな行動に出たか、どうしてそんな風に思ったのか慮る、というレベルでは全く変わらない。許すと認める、この両者の相違点はおそらく両者の関係にある。許すのは、一方がもう一方より優位な立場にあるときで認めるのは、お互いの立場が同等なとき。だって「許可」の場合を除いては友達に対して許す、とは言わないでしょう。しかもこれって個人の心のありように左右される。「された」側だから強い姿勢で、とか身分や地位がいいからといって相手を「許す」という態度になるのはその人の卑屈さを感じさせずにいられない。教皇は立場上、「許す」としか言えなかったけれどきっと本当は狙撃犯のことを「認めた」のではないのかな。私がそうだと思いたいだけかも知れないけれど。互いが互いを「認め」れば諍いなんてこの世から消えてなくなるだろうに。(今の日中関係にも言えることかもしれないが。)「認める」ことはそんなに難しいことではないのだから。少し相手のことを思いやるだけでいい。
Apr 20, 2005
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サークルで部員名簿を書かなければいけない季節になりました。毎年毎年(といってもまだ2回)何を書こうか迷うのです。どうして自己紹介欄に「座右の銘」と「好きな芸能人」があるのでしょう。どちらも、ものすごぉーーーく答えにくい質問だと思う。なぜって?それはまず私には決まった座右の銘がなかったから。それからテレビをあまり見ないので芸能人に疎いから。まぁ、毎年座右の銘が変わるのはご愛嬌。芸能人については「美輪明宏」でインパクトを狙うってのでお茶を濁し続けてきました。後者は多分今年も変わらないでしょう。なんだかんだ言っても実は結構美輪明宏さんは好きなので。(東京駅で目撃したこともあるw)でもね、確信を持っていえる話じゃないけれど今年からはきっとずっと座右の銘は変わらないと思う。「反省はすれども後悔はせず。」自分に正直に生きること。誰かにおもねらないこと。決して自己中心的になる、という意味ではなく自分のしたこと/することに対して自分が後悔しないようにすること。蛇足かもしれないが相手に気を使うのはもちろんこの中に含まれる。どんな相手に対しても自分がそれでいい(ベストだ)と思えるように関係を築くといった意味で捉えてもらうとわかりやすいかもしれない。日々を丁寧に生きるとか、そんな意味で捉えてもいいかもしれない。多様な解釈と意味づけがまだまだ可能であるように思う。ある目的のために自分に嘘をつくことはたとい目的を達せられても後々のひずみにつながるだけだ。だったら真摯に向き合って、自分が納得いくようにしていくことだ。こんな当たり前のことが今までどうしてできなかったか?私は未熟だったのだろう。(今でも、だが。)維持を発展だと思い込んでいたというのもその一因かもしれない。「期待しない」といい子ちゃんぶって自分を抑えたらいつかは崩壊するだけだから。「期待しない」のはもうやめだ。
Apr 17, 2005
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家にひとりでいると考え事をしがちになってあちこち思考がとんでゆきます。ひとりでご飯を作って食べて、片付けしつつクッキィを仕込んだり。何か作業をしながらのほうが考え事をしやすいようです。(以前にも書いたけど、歩いてるときとかもそう。)で、駄文の予感がします(爆)昨夜、昔していた販売のアルバイトの話になって、いろんなことを思い出したんですよね。当時5歳も年上の人に指導をしていて泣かれたこととかお局様に「売り上げ取りたいからどいて」と売り場を追い出されたこととか。1年もしなかったお仕事だけど、いろいろと現在の糧になっていることがあります。そのひとつが「笑う」ということ。もちろんお仕事の上ではそれは営業スマイルってことなんですけどね。お仕事中はとにかく「笑え!」って四六時中言われてた。バイト仲間と談笑するときの笑顔がなぜできないと、(お局様に)野次られたこともありました。それでも習慣ってのは怖いものでどんなに不愉快なお客さんが来ようとも具合が悪くて売り場に立つのがつらくてもむかつくことがあってもいつでも笑ってられるようになるんですね。それも口角をニィっとあげた笑い方で。でね。笑ってるといつしか気分が悪いことなんか忘れちゃう。忘れてしまうと言うか気分が良い方に変わってしまうと言うか。笑う=楽しい、positiveな気分になってくるんです。気になることを忘れろというわけではないけれどいつまでも暗い気分でいるのは嫌なもの。それに暗い気分だろうが明るい気分だろうが自分の気分って周囲の人に伝染する。でもって伝染させた気分ってまた自分に返ってくるんだよね。だったら明るい気分のほうがいいじゃない?と思ってなるべくなら(辛いときは特に)意識して笑うようにしています。ここまで考えてね、(台所で)服装と心理の関係に似てるなぁと思ったのです。一般的に自分の好きな服、場に合った服装をしてるときは晴れ晴れとした気持ちになるとか嫌いな服、場違いな服装をしているときって気持ちが落ち着かないって言う。フォーマルな服装をしてるときは背筋が伸びた気がするし、ジーパンをはいたらリラックスするなんてのもある。服を装うと同時に、服飾に装われてる。表情と気持ちの関係も装う、装われるの関係だよね。だからこそ「装う」という言葉には「衣装を身に着ける」という意味と「ふりをする」という意味があるんじゃないだろうか。だから何だと言う訳じゃないのだけれど。あぁ、やっぱり駄文でした(T-T)
Apr 11, 2005
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今の大学に入って以来憧れつづけてきたこと。「桜の季節に千鳥ヶ淵のボートに乗ること。」それが現実のものとなりました。それは新入生オリエンテーション合宿に向かう道中のこと。その日は4月もそろそろ半ばにさしかかろうかという週末で桜は満開を少し通り過ぎた頃合。辺り一面に花びらが舞うようなときでした。新入生を乗せたバスが千鳥ヶ淵に差し掛かったとき、もうすぐに退官になるという教官がしみじみとつぶやいたのです。(但しマイクで)「私が若かったころはここでデートをしたものです。ここで桜の季節にあのボートに乗ると幸せになれるっていうジンクスがあるんですよ。」ふと外を眺めると水面に桜の花びらがただよい、柔らかな日差しの中に浮かぶ一艘のボート。それはそれは幸せそうな光景でした。以来私の中ではその光景が憧れとして焼きついてしまったのです。いつかは、自分もと思いつづけて。。。水面にただよう花びら。張り出した枝の桜。柔らかな夕陽。幸せってこういうことなんだなぁと思いました。頬の筋肉がつりそうになるほど笑ってました。千鳥ヶ淵の桜、お勧めです。
Apr 8, 2005
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