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2008.10.22
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いつもなら、ぎゃ~、また年を取ってしまう!

お願い、時間よ止まれ!



なんて思って過ごしていたわけですが、


今年は、なんだかどういうわけだか



「○○年前に、 母が私を産んでくれたんだな~

 ありがたいな~。

と思いました。








父と結婚して、それほど裕福な暮らしをしていなかった二人。

私を妊娠したときに、

育てていくお金がないから おろそうかと思ったこともあったと

私がサリを妊娠したときに、話してくれた母。




「でもね、 命はお金では買えない

 おろしちゃだめだ、って思って、あなたを産んだのよ。

 産んでからの生活も、決して楽ではなかったけれど、

 やっぱり産んで良かったって、心の底から思ったわよ。


と言ってくれた母。







そのころは、まだまだ働いている女性のほうが少ない時代。



結婚しても働き続ける女性は少数。



しかも、子供を産んでまで働き続ける女性は本当に少なかった時代。





私を見てくれる(預かってくれる)ところがなく、

仕事をやめるべきかと何度も悩んだのだけれど、

同じような悩みを持っていた人たちと、

無認可保育所を立ち上げ、私を預けながら働き続けた母。







小学校のとき、誰もいない家に帰るのがいやだった。




「おかえり、今日のおやつはりんごよ。」

なんて出迎えてくれる よそのお母さんをうらやましく思った。








母が私の今の年のとき、

私は19歳だった。




心配ばかりかけて、迷惑ばかりかけて、

それでも、母は私を見捨てることもなく、

突き放すこともなく、ずっとずっと愛し続けてくれた。




「あなたは、本当に反抗期が長くて、大変だったわ~。」

としょっちゅう言われた私。






大人になって、

仕事をするようになって、

結婚して、

子どもができて、

本当に母の大変さ、ありがたさ、優しさ、強さ、すばらしさを感じた。






自分のことは二の次にして、

人の心配ばかりしていた母。




私の年の母に、私はまだまだ全然かなわないわ。




もっと心の広い、優しい人間になりたいと思っているんだけれどね~。


たくさんの人から愛された母のようになりたいと思っているんだけれどね~~~。






なんだかこんなことを書いていると、

天国の母が笑っている気がします。





年齢が重なって、増えていくのはちょっといやだけれど、

○○年前に、母が私を産んでくれた、ということは本当にありがたいことだと思います。



でも、私、母が生きているうちに、その言葉、伝えられなかったんです。

後悔先に立たず、ですね。




あ、なんだかかなりまとまりがない文章になってきました。


今日は、この辺で。



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最終更新日  2008.10.23 15:07:34
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