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統一教会公式サイト「 第56回「真の父母の日」敬礼式を挙行 」からの引用です。
人間の"成長期間"と"責任分担"について言及し、「(これらが)真の子女様や祝福二世においても確実に存在するという明確な認識が必要だ」とし、
また以下に、『祝福と理想家庭』からの一部を抜粋しましたので、参照してください。知恵ある人は悟るでしょう。
第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭
5.お母様を通した七年路程堕落は、女性のエバから始まりました。聖書にははっきり記録されていませんが、当時エバの年は、いろいろな状況から見て十六歳ぐらいに推定されます。エバは少女時代に堕落することによって、神様が信頼すべき人類の母の基準を喪失しました。ですから復帰の原則に従って、真の母になるべきその方は、二十歳になる前に選ばれなければなりません。そして先生の聖婚式は、四十歳を越えてはなりません。そのような関係で、先生は若い妻を迎えて、娘のように愛しました。(24)
エバは堕落することにより、神様の前に愛する娘の本分を果たせず、アダムの前に妹の本分を果たせず、妻の本分を果たせませんでした。 ですから先生は、お母様を娘のように育て、兄の立場で愛してあげ、新婦として対さなければなりませんでした。堕落によって偽りの父母、偽りの兄の愛を受けたので、お母様になるべき人には、偽りの父母、偽りの兄がいてはなりません。
お母様は、妹のようで妻のようで娘のような人でなければなりません。どんなに困難なことがあっても、自分の父母や兄など、訪ねて訴えることのできる家族や親戚がいてはなりません。( 25)
聖婚式以後、最初の七年間は、お母様を育てる期間として天的な家門と家法に従った教育をしてきました。先生はこの期間、夜も寝ず、ずっとそのことのために祈祷しました。(先生は)お母様もよく気づかないうちに、このようにして、堕落の結果として失ってしまった神様の娘と、その相対基準と、真の父母の基準、この三つを実体として復帰しました。これは堕落した人間始祖の後孫であれば、誰もが行くべき道なのです。(26)
先生はお母様を迎えましたが、ほかの人の家に送って、初めの三年間苦労をさせました。 それで、初めは気にくわないといって憎んでいた統一教会の女性たち、おばあさんから女の子たちまで全部、「ああ先生、あんまりです。お母様をお迎えになって一緒にお暮らしになればいいのに、なぜ外に出して苦労をおさせになりますか」と言いながら、同情するようになったのです。全部お母様側になったのです。そうして、再びもとの位置に、位置を確立して帰ってくるようになったのです。
蕩減復帰摂理は、どうすることもできません。お母様も強く大胆に七年間の蕩減期間を経なければならなかったのです。ところで、お母様が立派なのは、自分のお父さん以上に私を信じようとしたことです。私がおじいさんのように感じられたといいます。このようにおじいさん以上、お父さん以上、お兄さん以上、百パーセント信じてきたのです。このように塀を越え谷を通りながら、全部位置を確立してきたのです。
男性が勝利した後には、女性が勝利しなければなりません。それで、反対するこの社会と国家で七年間蕩減の過程を経なければならなかったのです。
聖婚式を挙げた以後、父母の日、子女の日、万物の日、神の日まで探し立てたのです。(27)
神の日は、お母様が責任を果たしたので設定することができました。世間にどんなことがあっても、七年間、お母様の私に対する心は変わることがなかったというのです。死んでも変わることなく、夫が行く道をついていこうという覚悟と姿勢で、七年路程を越えました。
エバが神様を信じることができない立場で堕落したので、代身して蕩減する立場で神様が信じることのできる立場に立たなければならず、また、エバがアダム(夫)を堕落させたので、夫が百パーセント信じることのできる立場に立たなければならなかったのです。ところで、お母様は不信の人類歴史の中で、初めて神様と夫が百パーセント信じてくれる立場に立つことによって、その心の基台の上で、神の日が設定され得たというのです。
そのときが一九六八年でした。男性の蕩減復帰基準と女性の蕩減復帰基準を立てて、アダムとエバが長成期完成級で堕落したのを復帰する七年過程を経て、八年目を迎える一九六八年に初めて完成期完成級で夫婦の資格、夫の資格を備え、この地上に現れることができました。
そうして家庭を率い、息子・娘を率い、国家基準を越え世界に向かって出動することができたので、そのときアメリカに渡ったのです。(28)
第一次七年路程期間は、お母様の受難期でした。娘をもった数多くの統一教会の女性たちが、お母様を憎んだのです。それで三年間、お母様を外部世界の他の家で暮らすようにしました。そうすることによって、統一教会の女性たちがお母様に協力し得る環境を造成しました。強制的方法によってではなく、自然に従順屈服しなければならなかったのです。そのような七年期間を経ることによって、本然のお母様の位置に上がるようになったのです。
お母様を探し立てるための第一次七年路程が終わって初めて「神の日」を宣布することができました。
その期間中に「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布し、「神の日」を宣布したのです。「神の日」を宣布しつつ、神様に対し得る家庭的ひとときを迎えたのです。(29)
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