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皆さん! 愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆さんの血統を継ぐことができる 精子 と卵子をみなもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてこそ知ることができるのです。同じ論理で神様がいるのかいないのかと言う時、または神様を見たのか見なかったのかと尋ねる時、見なかったと言うことができないのです。
第十二章 真の家庭を求めて
◆一 自己の為に生じたものは一つもない
どこに個人主義がありますか。自己において自己だけを主張する部分は一つもありません。子供が父母の愛によって母親のおなかの中で、卵子から育って生まれる時、九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉です。そして○・○○一パーセントの一つの父親の 精子 が合わさって生まれるのです。そこには自己という概念はあり得ません。
誰でも生まれる時、自分自身だけという概念はなかったのです。いかに立派な人であっても、自分一人で立派に生まれついたといえる人は一人もいません。骨や血や肉も全て母親のおなかの中で譲り受けたものです。この体の重要な部分は、母親の体の延長という事実を認めなければなりません。私達の体のあらゆる要素は、卵子と 精子 に含まれていたのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。
上という言葉が成り立つ時は、下を認めたうえでいう言葉です。上という事だけで、個人主義が成り立つでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。右というのは、左というものをあらかじめ前提としたうえでいう言葉です。前後について見ても、前というのは後ろを前もって認定していう言葉です。男性という言葉も、男性一人を念頭に置いていう言葉ではありません。女性を前提条件にしていう言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉なのではなく、宇宙的な事実です。
男性は何故生まれたのでしょうか。男性達は自分一人で生きていけるので、そのような事に関心がないなどとよく言いますが、男性は女性の為に生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないのです。結局、自分の為に生まれたものは、一つもないのです。
私達の五官を見て下さい。自分の目が、自分の目を見る為に生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手も全て相対の為に生まれました。五宮を総動員して、集中させる事の出来るその力が何かといえば、真の愛です。目、鼻、耳、口、手は、真の愛の為に生まれた真の愛の道具です。自分の為に生まれたものは一つもありません。
反面、人のものを自分のものにする人を泥棒といいます。人のものを持ってきて、自分のものとして使う人は泥棒ではないでしょうか。ですから女性の為に生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人は泥棒なのです。
男性と女性は、何が互いに異成るのでしょうか。生殖器を含んだ体が異なります。では、男性の生殖器は、誰にとって絶対に必要なのでしょうか。男性の生殖器は、女性の為にあるのです。人間の生殖器の一つは凹であり、一つは凸ですが、何故その様になったのでしょうか。二つとも、とがらせるとか、二つとも平べったくする事が出来るのに、何故その様に異なって生まれたのでしょうか。全て、相対の為です。
男性のものは、女性が絶対に願い、女性のものは、男性が絶対に願います。女性のものは、絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領する事によって、愛を完全に知るのです。
二つが一つに成るような経験を通してのみ、最高の高い境地の愛を知る事が出来るのです。どこの誰であれ、このような事実を絶対に否定する事は出来ません。誰でもみな、認定しなければならないのです。二つが完全に一つに成るその場で、理想的な夫婦が生まれます。まさに、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在されるのです。 (祝福家庭と理想天国I-六二)
父の 精子 は骨です。骨を中心として母は肉です。 精子 が母親の卵子と合わさって構成されて生きることによって、母親の卵子が構成されるのです。骨! 骨に対するものがどのように生まれるのでしょうか。父親の赤ちゃんの種の根本がプロジェクトです。根本の計画というものです。それが母親に入って、母親の肉を受けて大きくなって、みな形を整えて本来の父親の赤ちゃんの種としてあった構成的、その実体がプラスになって、母親の腹中で、母親の体をマイナスとして大きくなっていくのです。このようにして初めて、計画されたプログラムの形態に一致して生まれたのが私です。
雌と雄が生まれる時に、体が先に生まれたでしょうか、生殖器というものが先に考えられて生まれ始めたでしょうか。途中で雌、雄が決定しますか、雌、雄が決定されてから育ち始めますか。どうですか、尹博士? 決定されてから育ち始めるのでしょう? そうだというのです。その雌、雄を誰が決定しましたか。アメーバが、「私が雄になる」と思って雄になれますか。雌のアメーバは絶対的に雌のアメーバであり、雄のアメーバは絶対的に雄のアメーバです。行ったり来たりできないのです。
文総裁がお母様のように「女性になる」と思ってなることができますか。既に、生まれる時に決定されるのです。 精子 と卵子が一つになる時、既に決定されているのです。男性、女性が現れる前に、生殖器が決定されるのです。男性になるところだったのに女性になったのではありません。男性は男性として絶対的であり、女性は女性として絶対的です。
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「絶対セックス」です! 絶対的に心と体が一つになっていない人が、絶対セックスになれますか。生殖器も二重です。絶対セックスなので、私の生殖器は神様の生殖器であり、完成したアダムの生殖器です。神様に生殖器があるでしょうか、ないでしょうか。 なぜ笑うのですか! 分からなければ「分からない」と言い、あれば「ある」と言ってみなさい。あるでしょうか、ないでしょうか。動機がないのに結果が現れることはできません。人間は結果的存在なので、結果がそのようになるためには、動機的内容がなくてはならないのです。理論的です。
神様も生殖器があります。その生殖器がどこかに行って、二重的人格である神様も二重的なものが必要なので、内的人格の神様の位置、外的人格の体の位置が必要です。体の立場は誰ですか。完成したアダムです。心の立場は誰ですか。神様です。結婚式をして二人が一つの家で爆発するのです。
初愛のアダムとエバが生殖器を合わせる初夜に、 精子 と卵子が泳いでキスし始めるときは、神様とアダムとエバは別々でしょうか、同一でしょうか。
日本のエバ国家という名称を中心として見るとき、エバはお乳を搾って息子に飲ませなければならないのです。アベルとカインを食べさせなければならないのです。食べさせて育てなければなりません。したがって、エバは父を愛する心をもち、その父は神様を愛する心をもって、限りなく愛さなければならないのです。限りなく愛するということは、息子、娘よりももっと愛することができる位置に立たなければならないということです。
そのような血統的因縁によって、ここで再び父の 精子 を受け継いで、赤ん坊の種を受けて再び生む運動をしなければなりません。しかし、大きくなってから再び生むことはできないので、接ぎ木しなければならないのです。

天使世界に神様は女性を造りませんでした。なぜ女性を造らなかったかというのです。女性が多いのです。街角で自分の体を売って生きた悲惨な輩たち! またそれを連れて喜んでいた輩たち、それはサタン世界の長子たちです。
天国の母を連れてきましたが、母としてのもてなしを受けることができず、女王を連れてきましたが、女王としてのもてなしを受けることができず、おばあさんを連れてきましたが、おばあさんとしてのもてなしを受けることができず、お母さんを連れてきましたが、母としてのもてなしを受けることができず、自分の妻を連れてきましたが、妻としてのもてなしを受けることができず、カイン・アベルの妻となる嫁を連れてきましたが、嫁としてのもてなし受けることができなかったのです。
御覧なさい。サタンは、神様の妻、真の父の妻、王の妻、おじいさんの妻、お父さんの妻、自分の妻、その次にカイン・アベルの妻と、八人の女性を蹂躙しました。フリーセックスですから、お母さんとも暮らし、おばあさんとも暮らすのです。そのような家庭がどこへ行くのですか。ぞっとして考えただけでも息が切れます。
それ好むのが、サタン世界の血筋を受け継いだ凸です。サタンの長子たちはすべてそうでした。そのように滅ぼしました。女の凹を、正常な門を訪ねて入る道がないように、すべてめちゃくちゃにしてしまったというのです。
神様の骨の中に秘められていた 精子 が、十七歳なれば現れて定着しようとしましたが、 精子 の旅程が億千万世、今までどうなりましたか。一人の女性を中心として子宮に行くべき道をすべて滅ぼしてしまって、その穴がないようにぼろぼろの状態にしたので、妻を探し求めてきた神様がどこへ行きますか。 「真の父母、俺たちに屈服せよ! 俺たちがすべてを牛耳っているぞ」と言いますが、サタン世界は、それをまるごと一日でのみ込んでしまうことはできないのです。「それならば理論的に正しいことを主張しよう」と言うので
す。「あなたが正しいか、私が正しいか」という、このような途上で語るのです。語ることによってこじれました。言葉で文総裁の理論を凌駕ができるでしょうか。天地父母天宙安息圏! それも理論的に連結できないようにしたのです。安息圏で絶対「性」、絶対「 精子 」、愛の主人、再臨主、救世主、メシヤです。イスラエルに来たイエス様がそのような立場にあった、ということを知らなかったのです。葬り去りました。
いくら女性がいたとしても、自分では凹のドアを開けることができません。その凹に火がついて沸騰するためには、どうなりますか。人の温度は何度ですか。三六・五度です。三八度以上になって凹凸の壺が沸騰しなければなりません。
それ以上の熱を持ってくるのが 精子 です。神様の骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、血の中の血、すべての皮の中の皮です。ようやく十七歳以上になって結婚できるようになるので、その核の種が出発して、凹凸の壺が三七度以上で沸騰するのです。女性が子宮から、膣宮から凹自体がドアを開けて「どうぞいらしてくださいませ! 神様の願い、神様の本体の愛と父母の愛と一致したそれが、私の子宮に入ってきて種を植えてくださいませ!」というのです。それが女性の願いなのです。
男性は冷たくなくてはなりません。冷たいので、入ればどうなりますか。凸が凹の膣宮を通して子宮に入ると、熱が出るので、そこにくっついて 精子 が「ああ、いい!」といって、赤ん坊の家(子宮)に入るのです。熱をもった愛のこれを支配できる女性がいないので、男性の真の愛の種を迎え入れるのです。
精子 を迎え入れるために、すべての存在が始まりました。アージュ! 神様もアージュ、アダムもアージュ、エバもアージュ、天使長もアージュ! その血筋が永遠に天国の王権を受け継げる血統であるということめぐって、アージュと言わざるを得ないのです!
サタンが神様に代わって骨となり、本体となりました。 そのようになったのですが、父母様が神様と一体になったので、 本体となり、肉となれる体、体となれる真の父母、その次に骨となれる真の神様です。その 精子 は死なず、なくならないので、神様の胸骨の中に埋められます。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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