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2019.08.04
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カテゴリ: UCI、サンク
​​​​現在もなお真理の仮面をかぶった虚偽の宝庫、ヨンギ氏(マキチャンネル=マキの夫)記事から。
​​​​ 1959年代から2000年まで、お父様は独生女に対して終始一貫、同じ説明をしてこられました。独生女に対して原理的な説明を正確にされ、神様の摂理の中で独生女がどのように探し出されるかを明らかにされました。私自身の記憶をたどってみても、お父様の御言葉選集に記録されたみ言葉を探してみても、独生女に対する説明は明確です。同じテーマをお父様は半世紀以上語られましたが、曖昧に説明されたところはなく、その論調にも乱れはありませんでした。
本来、アダムとエバは神様の子女である独り子(独生子)と独り娘(独生女)として創造され、彼らが成長して神様の祝福のもとに夫婦となり、家庭を完成することが神様の創造目的でした。
ところが、アダムとエバの堕落によって、神様は独り子と独生女を再び探し出す摂理を経綸してこられたのですが、これが復帰摂理歴史であり、再創造摂理歴史です。神様はまず、独り子がこの地球星に再び生まれるようにするための摂理を進められ、四千年ぶりにイエス様が神様の血統を受け継いだ独り子として生まれ、再び二千年後にお父様が生まれました。 しかし、神様は直系の真の愛の血統を通して、独り子アダムを見出したものの、独生女は見出せませんでした。サタンがエバを奪ったためです。独生女を探し出す責任は独り子にありました。独り子はサタン世界からエバを探してきて、独生女として再創造しなければなりません。本来、アダムを創った後に、アダムの体からあばら骨を取ってエバを創造されたように、独り子は、探し出したエバの偽りの血統を否定し、断ち切って、娘と妹のような立場で接ぎ木した後、8段階の犠牲的投入の過程を経て、神様のみ旨に相応しい独生女を育てなければならないのです。これが独り子・独生女に対するお父様の一貫した教えでした。神様の息子として生まれた独り子が、サタン世界で奪われたエバを復帰し、独生女として育てて、二人が神様の祝福を受けて本然の真の家庭を成すことが、神様の復帰摂理歴史の核なのです。

事必帰正、432​​​​

これが長年真の父母様に侍ってこられた郭錠煥氏の言葉かと思うとガッカリさせられる。
私自身、個人的にはピースカップ(韓流サッカー)ファンとしてピースカップ組織委員長としての郭氏に関心を寄せていたりもしたのだが。

創世記からは、
エバはアダムのあばら骨を取って創造されたとあるが、お父様のみ言からは年にして1・2歳の違いであった。アダムの完成を待ってエバをアダムが捜したとはなっていない。

イエス様の時はどうだったか?
アダム・エバが堕落したからといってすぐに次のアダムを神様が創造されたのかといえばそうではなかった。全能な神様だからそれが出来ないというものでもなかった。ところが、自らが決めららた「創造原理の絶対性」を崩すことができなかったため、というのが講論にも書かれていた理由だ。
故に、イエス様まで4000年を要した。聖書や原理講論は男性中心として書かれているために、どうしてもそこに主眼を置いてしまいがちだが、その一方でお父様のみ言からは女性に対する考えも語られていた。

先ずもって、男性も女性もすべて母親の胎から出てくる。
イエス様もその例外ではなかった。となれば、神様が華々しい(争いの)アベル・カインの摂理の背後では堕落していないアダムを生むことが出来る女性の胎を準備されて来られたのではなかったか。
アダム・エバ以降のアブラハムまでは女性の名は一つも出てこない。ノア家庭ですらお父様はその妻は悪女であったと語られては、山頂に箱舟を造るノアの弁当も次第に少なくなっていったと。



アブラハム路程にあって妻サラ(サライ)が出てきた。
独生女考(10) --「アブラハムの家庭」における「女性」の復帰摂理は?!



このように聖書に出てくる女性を見たときに共通するものは、神様への「絶対信仰」、たとえ石打で殺される運命にあるとしても天の血統を残すといった信仰心であった。イエス様もまた、マリヤのこの信仰によってタマルの勝利によってもたらされた胎中聖別の基台で誕生することが出来た。
アダムの時エバは神様が創造されたように、アブラハム・イサク・ヤコブの妻も神様が予定して来られたものであったようだ。

イエス様の相対はというと、イエス様が探されたという話は一切なかった。
お父様のみ言からはヨセフ家庭とザカリヤ家庭がそれを準備しなければならなかったと。イエス様はマリヤに自分の結婚式のことでマリヤに何度も訴えたとお父様は語られていた。イエス様は本来、十字架に架かるためではなく「子羊の婚宴」をするために来られたというのが原理の内容であった。
やむなく、十字架で肉身はサタンに奪われてしまったが霊は神様の元へと帰っていかれた。一方、この地上へは聖霊を送られては、イエス様を信奉する(新婦)教団を導いて来られたのが神様であられた。お父様までの2000年間も「魔女狩り」などに代表される如く、それでも変わらない信仰心でもって今日までの摂理を導いてきた。

お父様であってもイエス様と変わることなくお母さん(女性)の胎から出てこられたものだ。
それに際してもお父様は3.1独立運動の時の柳寛順烈士の話をされておられた。
柳寛順烈士もクリスチャンでその「絶対信仰」が条件となったというのが私たちが聞いてきた「主の路程」ではなかったか!!
そして、16歳の復活節の朝にイエス様と出会われてその使命を継承されたと。
つまりは、その時にお父様がイエス様の体をまとわれたということか。

原理講論のイエスの路程を見れば、第一次復帰路程、第二次復帰路程が失敗し第三次の霊的復帰の延長で再臨主によってこの地上で成就されようとしたものであった。モーセまでが不信に陥ればということを懸念されて「幕屋と契約の箱」を準備されたのも、それを信奉する者がモーセに代わって摂理を継承していけるようにしたものであり、ヨシュアがその後を引き継いだように、お父様が実体でイエス様のバトンを引き継がれた。









その時すでに悟られたことは、「天のお母様」がおられないのに「天のお父様」とは何事か?
であり、イエス様も十字架ではなく、結婚しなければならなかったのだと。


さて、郭錠煥氏の書籍引用に戻ってみよう。
アダムとエバの堕落によって、神様は独り子と独生女を再び探し出す摂理を経綸してこられたのですが、これが復帰摂理歴史であり、再創造摂理歴史です。神様はまず、独り子がこの地球星に再び生まれるようにするための摂理を進められ、四千年ぶりにイエス様が神様の血統を受け継いだ独り子として生まれ、再び二千年後にお父様が生まれました。
これは、「 お父様が「独生女」を最初に語られたみ言 」でもって真っ赤な嘘っぱちであったとハッキリ断言出来る。
ビデオ映像(金振法院長)は​ こちら ​、34:00~頃からを視聴。



​​​「神様の 独り子イエス様が この地の上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために 独り娘も送られたでしょう。 神様の 2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。 」​​​ (1959.10.11)

人間始祖における堕落は、エバだけでなくアダムも同様だった。したがって、原罪のないアダムはどのようにして地上にきたというのか。聖書をみれば女性の神への「絶対信仰」、神の血統を重んじる信仰心と時代的数理性が重なった時であった。摂理の中心人物、特には、イエス様のときに「独生子」(+)が誕生されれば自ずと「独生女」(-)も生じてくるのが原理である。ところが、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が準備すべきその責任分担を果たすことが出来なかったために成就することが出来なかったとも語られていた。

「堕落圏からエバを」 探してではなかった。
私のブログでこれまでも『祝福と理想家庭』からの引用を何度も紹介していた(以下)。
​​​ イエス様が、母マリヤの前に立って、三度痛哭しながら訴えたということを知らなければなりません。イエス様が三十歳になるまで、母マリヤは哀訴を聞き入れなかったので、(イエス様は)ふろしきを背負って家を出て、公生涯の路程を出発したのです。
 それでは、 母マリヤがすべきことは何でしょうか。イエス様に妻を迎えることのできる相対的因縁を整え、歴史的基盤を備えなければならないのです。イエス様がそのような基盤を完結するためには、母子協助をして、息子が恨みの多い道を行くに当たって、母親がすべての責任を負うべきなのです。そして、イエス様の新婦を選び出してヨセフ家庭の基盤の上に、神様を中心とする聖婚式を挙げるべきでした。ところが、それが夢と消えてしまったのです。マリヤ自身は、生活問題、自身の相対問題に縛られ、暮らしていくのにきゅうきゅうとしていたのです。 (56)
 これまでの、母子協助は、息子を探し求めるためでした。マリヤはどんな存在だと言いましたか。「僕です」。(マリヤは)息子を生みましたが、僕の体で生んだのです。ですから、イエス様には、新婦がいなければなりません。創造の原則に従って女性を創造しなければなりません。イエス様はアダムの立場で、失われたエバを探し出さなければなりません。そうしてこそ、結婚できるのです。
 ところが、イエス様はエバを探し出しましたか。探し出せませんでした。ですから、イエス様は再び来なければなりません。再び来て妻を迎えるのです。妻を迎えられずに死んだので、結婚するために再び来るのです。イエス様が妻を迎えるという思想はキリスト教の思想です。(笑い)
 ゆえに、再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。「婚姻の宴会です」。婚姻の宴会とは何ですか。婚姻の宴会とは嫁ぎ、めとるという意味です。婚姻の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。「はい」。こんな話をすると異端だと大騒ぎをします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。
 婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。 その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、 ​三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。​
 人類の父母となるはずだったアダムとエバが堕落することによって悪の父母となりました。したがって、私たちが堕落する前の善なる父母をもつようになれば復帰は完成します。それゆえ、人類には、善なる父母がいなければなりません。小羊の宴会をするのは、善なる父母として即位するためです。キリスト教思想は簡単です。これがキリスト教思想の骨子なのです。 (57)
 イエス様を見ると、イエス様は家庭を愛することができませんでした。そのようなイエス様がどれほどかわいそうか、考えてごらんなさい。キリスト教徒たちはイエス様を救世主だと信じて、あれやこれや言いますが、そのイエス様がどれほどみじめでかわいそうだったかを考えてみなさいというのです。イエス様は家庭を愛してみましたか、国を愛してみましたか、天宙を愛してみましたか、神様を愛してみましたか。できなかったというのです。どんなにか、愛そうと心を砕かれたにもかかわらず、できなかったのです。

第三アダムの相対者(エバ)は 「堕落していないエバ」であり、 この時点で郭氏の記述 「独り子は、探し出したエバの偽りの血統を否定し、断ち切って、娘と妹のような立場で接ぎ木した後、8段階の犠牲的投入の過程を経て、神様のみ旨に相応しい独生女を育てなければならないのです。これが独り子・独生女に対するお父様の一貫した教えでした。」 とあるが、 「お父様の一貫した教え」 とは異なる。これを基軸として書かれた郭氏のお母様「独生女」批判はどこにも根拠がないものとなった。

原理講論(教義)の「重生論」からも郭氏のそれは間違いであったこと
我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。 それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。 原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。 ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。

​ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。​

このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。


これ一つとってみても何十年と真の父母様に侍ってこられた経緯は認めるが、
​郭氏の書籍「事必帰正」そのものにまったくの信ぴょう性が無いものとなった。​







一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2019.08.04 20:35:25
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