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2020.06.16
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​文鮮明先生が見た韓鶴子総裁​

第1部 真のお母様はいかなるお方か

1. 真のお母様は愛の勝利者


真のお母様に対する感謝

お母様は家庭の母として、教会の母として、天宙の母として、当然真の母として、より一層大きな責任をもつようになられます。そのようなお母様において、他の人に比べてどのような点が特別かと言うと、お母様は生まれながらにして特別に鋭敏な霊的直観力をもっています。また人物や事物に対する洞察力と観察力が正確で、直観力も非常に鋭敏で明晰なので、お母様の心に反映されたことは常に真実であるという点です。

それから、先生に対する絶対的な忠誠心をもっていて、誰が何と言おうとも、何でもしようと深く決意しているということです。それがお母様の信念でもあります。そのような信仰と信念があるので、その苦難の歳月の中でも目的達成のために、尊く実に信じ難いほどの忍耐力をもって勝利してきたのです。

先生は、お母様がみ旨に対して特別な性稟をもっていることに深く感謝しています。それは、お母様が常に私心がなく、自分の子供だけでなく食口の皆さんに対しても何でも与えようとすることです。自分が持っている物の中で何か貴いと思うものがあれば、いつも誰かに与えようと思い、与えることを喜びと思うのです。

世の中の人は、先生の妻は喜びがたくさんあり、宝石や服などをたくさん持っているだろうと思うでしょうが、実際は全くそうではなく、何でも自分が良いと思うものは誰かに与えて喜んでもらおうとします。

気候が突然変わったある日、先生と外出をしないといけないのに、衣装だんすの中に服がさほどなく、その気候に合う適当な服が見当たらない時もありました。もちろんそうでなければ、先生の伝統について行くことはできませんが、お母様は、先生以上に質素な生活をしたと言っても過言ではありません。

お母様は常に先生の心をとても正確に読んで、先生の期待よりはるかに多く理解してくれました。そのようなお母様に対して、先生は次の三つの点で特に感謝しています。

第1に、お母様は霊的に非常に繊細かつ敏感で、すべてを霊的に明確に読めるということです。

第2に、先生に対する絶対的な忠誠と献身です。いかなる方向に先生が導いても、いつも喜んでついて来てくれます。

第3に、自らのすべての所有物は神様と天宙のものであり、万物は天宙と享有されるべきものなので、いかなる貴重なものでも人に与えて、誰かを喜ばせてあげたいという、私心のない無私の生活観を表明しているという点です。「これは私のもので、あれはあなたのものだ」という感覚をもっていません。



勝利された真のお母様

先生はすでに言及したとおり、国家という限界内の領域を越え、天宙的な段階に入ろうとしています。もし皆さんが自分自身だけを考えているならば、この運動の中で長続きすることはできません。例えば、お母様がもし自己中心的で、自分だけを考える人だったら、今日お母様の位置には立てなかったことでしょう。ですから、私たちの運動の中で、もし自己中心的なリーダーがいるならば、今でも荷物をまとめて出ていかなければなりません。そのような人にとっては、どうせ長く留まることのできない位置です。

先生はリーダーたちをそのような観点で見ています。そのような観点で価値を測るのです。どれだけ無私かというその中心となる基本原理に従って人事をします。

先生は「原理」を教え、「原理」を考え、「原理」を実践しています。きょう皆さんは、私が統一教会の指導者としてどのようにこの道を歩んできたかを知りました。お母様はこの点においてすでに勝利的な女性です。先生もその点において勝利的な先生です。

お母様はただひたすら完成基準に向かって7年間闘ってきました。この7年間という期間は実に様々な非難や中傷、うわさ、誤解が先生一家を取り囲み、渦巻いていました。非難や中傷、迫害のゆえに血を流すような期間でしたが、そのすべてが必要なことでした。

問題は、お母様がこのような試練に耐えながら、非難されてもそれを克服して乗り越えられるかでした。皆さん、当時のお母様の立場が想像できるでしょう。そしてお母様はすべてに勝利されました。

とにかくお母様に対する数々の非難があり、「お母様は責任を果たせなかった。それで先生は新たにお母様を選ぼうと考えておられる」とか、さらにお母様は、誕生日をだまして、二人の誕生日が同じであるかのようにされている」という実にサタンだと思わざるを得ない、ひどいうわさを聞くたびに、お母様の胸は張り裂けそうだったでしょう。

そのような情況のもとで、お母様はひたすら沈黙を守って我慢し、耐えなければなりませんでした。このような事情の中で月日が流れていきました。しかし、どんなことが起こってもお母様は最後まで不屈の信仰で忍耐し、犠牲になりながら、沈黙を守り、先生に対して信仰を継続してこられました。そしてついに非難されてきた事情がすべて逆になり、すべての人がお母様の前に頭を下げて、「この方は本当に天宙の母であられる」と考えるようになり、そのように尊敬して迎えるようになりました。時にはとうてい信じられないことが起きたりもしました。そのような当事者たちはお母様と一体となろうとせず、結局一人ずつ離れていきました。

先生は「原理」をもっているので、このような種類の事情をいかに主管し、指導者としての使命を果たし、最終的勝利を得るべきかをよく知っています。もしも「原理」を知らなかったら、先生は本当にどう処理したらよいか分からず、うろたえていたことでしょう。

結局は愛です。愛が中心であり、すべて愛の問題です。そして、愛の問題がどれほど極端な方向に行くのかを皆さんも知っているでしょう。したがって、このような事情を主管したことが本当にどれほど繊細で難しいことでしょうか。残念なことですが、ある意味では外で起きた多くの迫害よりもはるかに悲惨で激しい闘いであると言えるでしょう。

先生は愛を完成し、復帰するために来ました。そして、それは神様に対する心情復帰でもあります。したがって、先生は愛のために、心情のために蕩減をしなければなりませんでした。愛に勝利し、すべての愛を天のために復帰、完成しなければなりませんでした。それは、そのために負うべき十字架を意味しています。それこそ愛の十字架であり、愛の十字架こそが最も大きなものでした。

そして、このような事情については、決して二人の間で話し合うことができませんでした。「さあ、あなたはそのような試練を理解し、勝利し、不屈の忍耐で勝利しなければなりません。私はこのような計画を成就するために、これこれこのような目的にしたがってそのようにしたから」という説明は一言もしませんでした。



先生は、今皆さんに話しているこの程度までもお母様に説明したことがありません。そこで見ることのできるものは、実に勝利的な信仰の表明以外のいかなるものでもありません。献身と先生に対する絶対的な信仰です。お母様も、洪順愛おばあさんも、共に勝利したのです。(1977.2.23 ベルべディア修練所)





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.06.16 23:28:43
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