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2020.06.20
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​今回は​​​​​​​​​​​文鮮明総裁が「独生女(独り娘)」、(真の)お母様について語られた「文鮮明先生み言葉選集」ともいうべきものです。


​韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁​

第1部  真のお母様はいかなるお方か

4. 独り娘として来られた真のお母様



神様の復帰摂理歴史は悲しい歴史です。神様がアダムとエバを失ったことが悲しいのです。ところが、アダムとエバを失えば、その二人で終わるのではありません。アダムとエバを失ったということは、アダムとエバの一族を失ったことになります。その一族が拡大して、民族になったはずであり、一つの国家を成したはずであり、一つの世界へと拡大したはずですが、すべて失ってしまったのです。ですから、アダムとエバを失うことによって、天の国の王権を中心としたその王国を失うようになり、天の国の民族を失い、天の国の氏族を失い、天の国の家庭を失ったのです。天の国の男性と女性、 独り子と独り娘 を失ったのです。ですから、救いの歴史、復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です。アダムとエバが堕落していなかったら、繁栄して、今日数十億の人類は、みな天の国に登録され、家庭的にそのまま天国に入るようになっているのです。(143-25, 1986.3.15)

イエス様の思想の中で最も偉大なのは、神様は私の父であり、私は神様の 独り子 であると主張したことです。 独り子 とは、天のお父様の初愛を占領したということです。初愛を受けられる位置に立ったということです。神様がキリス卜教を世界的な宗教にせざるを得なかったのは、イエス様が「私は神様の 独り子 だ」と主張する位置に立ったからです。 独り子 とは、神様の愛を強調したものです。 独り子 は神様の初愛と関係を結んだ個人です。(138-256, 1986.1.24)

独り子 が現れず、人類が神様を中心とした愛の因縁を結べなかったので、人類にとってはそれが恨でした。ところが、その恨を晴らしてくれる一人の代表的な男性が現れたのですから、これ以上の福なる便りはないのです。もし 独り子 が現れなかったとしたら、大変なことになります。歴史上にそのような人が現れたので、全人類が彼の味方にならなければならず、天地も彼の味方になるべきであり、創造主も彼の味方にならなければなりません。それゆえ、その道をさえぎる者は滅び、歓迎する者は栄えるようになります。 独り子 が現れたということは幸福です。神様は 独り子 を先に送られました。それで今までの歴史は、男性が綴ってきたのです。 独り子が来れば、その次には独り娘が来なければなりません。 (23-149, 1969.5.18)

神様は真の愛を中心として縦的な父母としておられる方です。垂直は一つです。横的な立場で垂直になれるのは90度の角度一箇所です。男性の立場も90度一つであり、女の立場も90度一つです。二つはありません。人類歴史上初めてその90度に合わせて愛を受けた者が独り子です。 その独り子の前に独り娘がいなければなりません。メシヤは独り子として来られ、独り娘を探さなければなりません。探す際は、ただ探すわけにはいきません。アダムを通してエバをつくったので、この世に来られて、エバを探さなければなりません。サタンが奪っていったエバを探さなければなりません。独り子であるイエス様が、神様の息子として独り娘を迎え、男性と女性が90度で一つになり得る道を合わせておかなければ、天地が解かれません。神様には二性性相があるので、独り子と独り娘が一つとなったその場所に神様が入ってこられて臨在するのです。 (185-186, 1989.1.8)

イエス様がこの地に来られた目的は、新婦を迎えることです。愛を中心とした人格的新婦を求めようとされたのです。それゆえ、キリスト教を代表して、世界的キリスト教の舞台に新郎を招き、その新郎を中心として結婚してこそ、新郎・新婦の愛の圏が形成されるのです。新郎と新婦が一つになって、神様が取ることのできる愛の圏が始まるのです。 独り子の愛の圏をもって独り娘の愛の圏を取ると同時に、この独り子と独り娘を中心として新郎・新婦の愛の圏が確立されます。 いくら国が大きく、歴史が長く、驚くべき文化的背景をもっていたとしても、それが問題ではありません。 神様を中心として独り子と独り娘が一つになる夫婦の愛の基準が貴いのです。 堕落によってこれを失ったので、これを探し出さなければ、世の中の出来事はすべて虚しいのです。したがって、 神側で独り子と独り娘となり、新郎・新婦として夫婦の愛の圏を成さなければなりません。夫婦の愛の圏が成立すれば、自動的に子女の愛の圏が成立します。 (138-257, 1986.1.24)

独り子 である。神様は私の父である」と言いました。 独り子 というのは、神様の初愛を丸ごと受けたということです。神様の 独り子 はいましたが、 独り娘 がいません。 独り娘 に出会えなかったので、神様の初愛を丸ごと受けられる 独り娘 再臨主が来られて、「小羊の婚宴」、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛を丸ごと受けた男性と、神様の初愛を丸ごと受けた女性が家庭を築かなければなりません。その立場が、堕落していないアダムとエバの立場です。 (41-311, 1971.2.17)

メシヤは、神様の本然の直系の息子の立場で、神様の愛、絶対愛を中心として生命の種をもってくる方です。その息子を再び探し立てるのが、神様の救援摂理史の主な目的です。メシヤはこの地上に来る時、何ももってくることはできません。メシヤには国もありません。何もありません。相対を失ったので、相対もいません。エバとカイン・アベルを失ったので、主人のように振る舞えないのです。それを探しに来るのです。ですから、キリスト教は、新郎として来られるメシヤを迎える新婦の宗教です。キリスト教の核心的な真理は驚くベきものです。イエス様を 独り子 と言いました。独り子はアダムです。堕落したゆえに、独り子がいなくなり、 独り娘 がいなくなったのです。 独り娘 はサタンに奪われました。神様がつくったものをすべてサタンが滅ぼしたので、それを探してこなければなりません。 アダムを中心としてエバをつくったように、天の新しい息子の種を送って、エバを再び創造しなければなりません。 (285-24, 1997.4.19)

エデンの園のアダムは、神様の 独り子 です。エバは神様の 独り娘 です。彼らが成長して、春の日になり、花が咲く時、二人が互いに春の歌を歌いながら、「あなたは私のお兄さんではないですか」、「あなたは私の妹ではないですか」と言えば、神様はどうするでしょうか。花が満開になって香りを放つようになれば、神様が結んでくれたことでしょう。神様が結婚式を挙げてくださることによって、成し遂げようとされた創造の最高の理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らが、 独り子と独り娘 としてよく育ち、思春期まで行くためには期間が必要です。(159-195, 1968.5.10)

イエス様は、「私は神様の 独り子 だ」と言いました。 独り子 に必要なのは 独り娘 です。イエス様が、この地上で世界を救うために出発しようとするならば、一人ではいけないのです。家庭の土台を準備しなければなりません。 独り子 であると主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。その前に家庭を築かなければなりません。イエス様は家庭を築くことができませんでした。ですから、この地上の人間たちを救うためには、「このようにすべきだ」と言える家庭が現れてこなければなりません。一つのモデル家庭が現れなければならないのです。イスラエルの国を救う前に家庭を築かなければなりません。もしイエス様が、神様の 独り子 として 独り娘 に出会い、結婚式をするならば、その結婚式の主礼は間違いなく神様がしてくださるのです。救いの摂理の最高目的は、神様が愛する一つの家庭を築くことです。そうして、神様の愛を中心として 独り子と独り娘 の立場で成長し、神様を父として侍ることのできる立場で祝福を成し、人類の真なる先祖の土台をすえるのです。その立場を失ったので、再び探し出さなければなりません。(159-192, 1968.5.10)

イエス様は地上に来られて、初めて 独り子 という名前をもつようになりました。神様が失った歴史時代、アダムとエバの失敗した歴史時代において、初めて神様の愛を受けられる血統的内容を中心として、地球星に 独り子 が生まれました。しかし、 独り子 は生まれましたが、 独り娘 がいませんでした。神様は4000年の間、救援歴史を通して、完成されたアダムを再び創造されたようなものです。神様は、アダムをかたどってエバをつくりました。アダムの相対になることができるように、アダムをつくられた原則、その青写真を土台に真似てつくりました。聖書を見ると、「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り」(創世記2:22)と記録されています。それは骨子を取ってつくったということです。ですから、完成したアダムは、この地の失ったものを取り戻すことのできる 独り子 です。神様は、直系の真の愛の血筋を通してアダムを得ましたが、エバは得られませんでした。エバを得るためには、堕落以降の今までの歴史を再び家庭から復活させて接ぎ木し、国をつくらなければなりません。それを準備してきたのが、ヤコブからのイスラエル民族12支派です。選民思想を中心として、ヤコブの12人の息子が着地して、この世に勝利の版図を拡大させたのが、イエス様が来られるまで2000年間のイスラエルの国とユダヤ教なのです。(347-171,2001.7.4)

イエス様が、堕落した人間たちに対して神様の息子、娘であると語られたことと、「私は神様の息子だ。神様の独り子だ」と語られた事実は偉大なことです。また、 「独り子」 という名前が地上に現れたという事実は、神様が数千年の蕩減歴史を経てくる中で、朗報中の朗報です。ですから、 独り子 を中心として、初めてユダヤの国とユダヤ教、カインとアベルを転換し、血筋を転換しなければなりません。しかし、イエス様は 独り子 という名前をもってきましたが、 独り娘 に出会えませんでした。そのような人に会うためには、ただで出会うことができません。準備された基盤がなければなりません。個人と家庭、氏族を基盤としてつながっていかなければなりません。そうして、はじめて家庭から血筋を転換しなければなりません。(164-256, 1987.5.17)

イエス様が家庭基盤を備えるためには、新婦である聖霊を迎えなければなりません。実体聖霊を迎えるようになれば、平面的な基準を中心として思いのままに活動することができます。ところが、弟子たちが息子、娘の基準を立てられなかったので、イエス様は霊的条件だけを立てるようになったのです。これがイエス様の恨です。このように地上で完全蕩減の基準を立てられなかったので、しかたなくイエス様は昇天するようになったのです。男性は天の代わりであり、女性は地の代わりです。イエス様は人類の真の父であり、聖霊は人類の真の母です。したがって、聖霊が実体をもって臨まなければならないのに、実体であられる 独り娘 が現れなかったので、そのみ旨を成し遂げられなかったのです。(23-176, 1969.5.18)

聖霊は霊的母を意味します。イエス様と聖霊が合わさり、霊的な子女を繁殖させ、世界的な基盤を築いたのがキリスト教です。 そのように霊的にのみ世界的救いの摂理の基盤を築いてきたので、このキリスト教の基盤を中心としては、霊肉を中心とした神様のみ旨を実現することができないのです。したがって、イエス様が再臨しなければならないのは必然的な帰結です。肉的世界が未完成の状態にとどまっているからです。霊的キリスト教世界の基盤を肉的世界の基盤まで連結させなければ、霊肉を中心として神様の新しい世界的歴史に移ることができないのです。(73-241, 1974.9.22)

聖霊実体、独り娘として来られた真のお母様

キリスト教の中心はイエス様です。新郎であられるイエス様が新婦を迎えるのです。これが正に「小羊の婚宴」です。小羊の婚宴は、イエス様と、聖霊である一人の女性が実体をもって結婚式を挙げることです。キリスト教では、父は神様であり、子はイエス様であると言います。(原理的には)聖霊は母神です。母神であるので、母神である聖霊を受けなければ重生できません。母神である聖霊が生んでくれなければなりません。父母の愛を通さずしては、人は生まれることができません。これが天理です。イエス様は父、聖霊は母、すなわちイエス様は新郎であり、聖霊は新婦です。皆さんの心に聖霊が臨み、聖霊が新郎であるイエス様を思慕する力と皆さんのその心が一致するとき、火を受けるのです。ひっくり返るのです。そうすることで、霊的父母の愛の因縁によって、新しい生命が注入されるのです。 (19-202, 1968.1.7)

天国は男女が共に家庭を築いて入る所です。ところが、イエス様はこの地に来られて、新婦を見つけることができず、子供をもつことができずに亡くなったので、これまで楽園で2000年の間祈祷しながら、聖霊をして役事させているのです。罪は女性が先に犯したので、女性神である聖霊が母の実体として現れ、罪を洗い流し、世の中を浄化すれば、イエス様が再び新郎として新しい種をもって再臨しなければなりません。再充電し、新しい天地の真の父母の血族として、神様を中心とした新しい世界をつくろうというのが神様の目的です。(21-199, 1968.11.20)

神様の復帰摂理を中心として、女性たちが世界を動かせる時代が来たということは、この地上に女性を代表し得る一つの聖霊実体、この地上に復帰し得るエバが現れる時になったことを例証します。そのような方になるためには、真なる妻になり、真なる母にならなければなりません。そのような資格者となった後には、真なる女王にならなければなりません。この三つの素性をもたなければなりません。そのような責任的所行を担当して余りある人格をもった女性にならなくてはならないのです。神様は、天の国の真なる母になることができ、真なる妻になることができ、真なる妃となって余りある女性を探すのです。神様のそのような召命を受けるようになれば、サタン世界を蹴飛ばして行くことのできる、勇敢無双の女性でなければなりません。(93-40, 1977.5.1)

神様は今まで母を探してきました。相対がいませんでした。神様は男性格主体なので、女性格相対がいなければならないのです。その方は、神様の相対であると同時に、この地の王妃であり、氏族王の王妃であり、家庭王の王妃です。それゆえ、祖母の代わりであり、母の代わりであり、自分の妻の代わりであり、自分の娘の代わりです。母はそうなのです。母が本来いれば、そのようにすべてなるのです。天の国の王妃になり、この国の王妃になり、自分の先祖たちの祖母になり、自分の母になり、自分の妻になって、自分の娘になるのです。それを全部合わせたものが母の価値です。(398-134, 2002.12.9)

今や真の父母が地上に現れたので、イエス様はお父様と一つになり、聖霊はお母様と一つになるのです。 イエス様の母であるマリヤと洗礼ヨハネの母であるエリサベツが協力できなかったので、イエス様が亡くなりました。本来すベてのイスラエルの国とユダヤ教徒全体がイエス様の前に一つとなり、イエス様の新婦を立てなければなりません。そうして、人類を生み直してあげなければならないのです。それとともに世界的な舞台で、イエス様の時代に横的にできなかったことを、この時代において蕩減しなければならないのです。お母様を通して上がっていかなければなりません。それが平面的に広まることによって、全世界的にお母様を宣布するのです。 世界人類はお母様の腹中に入っていき、お父様と一つにならなければなりません。 (235-252, 1992.9.20)

根本復帰とは何でしょうか。血統を清めて、再び生まなければならないということです。重生です。 本来、人が堕落しなかったなら、アダムが結婚する前、骨髓に赤ん坊の種としていてから、母と一つとなり、腹中を通して生まれた息子、娘になっていたことでしょう。それが拡大して、家庭、氏族、民族、国家、世界になるのです。(235-240, 1992.9.20)

実体の母が現れることによって、霊的に父の中に入った息子、娘たちが、母の腹中を通して、直系の息子、娘として再び生まれたという条件が立てられるようになるのです。そうして初めて、庶子から直系の子女の因縁をもって天の国に入ることができるのです。これが根本復帰です。先生は条件復帰ではなく、根本復帰をしなければならないということを知らなければなりません。 (235-255, 1992.9.20)

再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代なので、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上でお探しになる新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって誕生した方を探すのです。では、そのような新婦、すなわちその母はいかなる基盤の上で生まれなければならないのでしょうか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。したがって、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、その次の母はイエス様の時代においてマリヤの立場に該当するのです。ですから、その次の母はイエス様の時代のマリヤの保護を受けて、祝福のみ旨を成就し得る、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母の立場に出ていける母がいなければならないのです。 (35-218, 1970.10.19)

お母様の復帰路程がどれほど激しかったかを知らなければなりません。 アダム一人を探すために数多くの闘争をしながら血を流す曲折を経てきた歴史でした。それと同様に、母を探すためにも、どれほど犠牲の代価を払ってきたかしれません。母の基準をつなぐために、数千年前に啓示を受けて準備した人が代を継ぎに継いで、この時代になったのです。ろうそくの火を受け継ぐのと同じです。聖火を中心に消えないようにして、地上の「終わりの日」まで、ずっとつないできたのです。どれほど多くの犠牲の代価を払ったかしれません。(264-56, 1994.10.9)

(真の)母になる人は、血統的にいかなる過程を経なければならないのでしょうか。それは簡単ではありません。すべての条件が合わなければなりませんでした。前後が合わなければならず、左右が合わなければならず、上下が合わなければなりません。お母様の顔がかわいらしいからといって探し立てたのではありません。第1の条件が何かといえば、どのような血統をもって生まれたかということです。サタン世界から讒訴される血統の因縁をもって生まれたか、それとも、それを越えることのできる血統的内縁をもって生まれたかが重要です。 (170-31, 1987.11.1)

(真の)母になるためには3代が一人で暮らさなければなりません。お母様は、幼い時にも誰の後ろ盾も得ずに一人で育った一人娘でした。そのような一人娘にしたのは、サタンの血統を残さないようにするためです。お母様の母親も一人娘であり、そのまた母親も一人娘です。3代が引っ張られていくのです。それで、お母様は3代にわたって受難に遭いました。祖母と母は、信仰に夢中になって歩き回っていたので、おむつを取り替えるのも、御飯を食べさせるのも、満足にしてくれたでしょうか。人間世界の情を知らず、天情の道理をつなぐために一途な心で、骨身が溶けていくのも意に介さず、神様の前に絶対服従、絶対従順する道を行きました。 (195-147, 1989.11.7)

お父様はいいかげんに結婚することができません。3代のエバの歴史を経た娘を新婦として迎えなければなりません。お母様はそのような歴史を経てきました。聖主教、腹中教の代を引き継いで、一次エバ、二次エバの祝福を受けてきました。大母様を通じて、そのような役事をしてきたのです。蕩減復帰原則に従い、そのような過程を経ることによって、来られる主を勝利の版図に立てるべき責任があるのです。 (265-153, 1994.11.20)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2020.06.20 00:00:05
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